03_外から掛けたもの
ダンは階下から短い角材を持ってきた。二階の低い梁を首だけ傾けて避け、窓と反対側の椅子へ戻った。前掛けを外した赤いシャツの脇には、汗が乾いた白い跡があった。
机に置き、二つのナットの上へ渡す。ミオの地図を動かす前に、端を持ってよいか尋ねた。
「上を北にして見よう。表の道は西、乾燥炉もその近くだ。北の裏口を出ると、壁と細水路の間に石の道がある」
彼は鉛筆で描かず、角材を指した。
「扉の外に、こういう棒が横たわる。持ち上げて脇へ掛ける。閉まっていれば、中の鍵は開いていても出られない」
「姉が持っていた鍵では?」
「別の錠だ。内側の掛け金を留める。そいつと外の閂は、つながってない」
ミオは二つのナットを見比べた。
「それを、事故のときに話しましたか」
「話した。工事の控えも渡した。外は開いていたと言われた」
ダンは自分の椅子に体を預けた。椅子が低い音を立てる。
「誰に」
「調べに来た人と、工場のバルトに。工場長だった男だ。当時は、まだそう呼ばれてた」
「では、外は開いていたと分かってるんですか」
「俺は見てない。扉は壁と梁の下だった」
ミオが小さな紙を出して、その答えを書いた。
ダンは書き終えるまで待った。
「取り付けたのは、火事の七か月前だ。染料が二度盗まれてな。夜、閉めるものが欲しいと言われた。俺は人がいる間は上げろと言った。鍵の掛からない逃げ口を別に作れとも」
「断れなかったんですか」
アサが言ってから、ミオを見る。
彼女はダンを見ていた。
「断れた」
ダンは言った。
「請けなければ、別の誰かに頼んだろう。そう考えて請けた」
角材がナットの上から落ちた。ダンの袖が触れたのだった。彼は拾い、今度は机に直接置いた。
「俺の注意書きがあれば済むと思った。夜に残る仕事があるのも知ってた」
アサはダンの手を見た。爪の間に油が入り、指の脇に古い傷がある。その手で何ができるか、アサは毎日見ている。くたびれた蝶番が動くようになり、底の抜けた鍋がまた水を溜める。
同じ手が、出口を塞ぐものを付けた。
「明日、工務課へ行きましょう」
ミオが紙をしまった。
「まず扉を残してもらいたいです。工事の控え、今もありますか」
「倉の箱にある。出す」
「私が確かめたいのは、姉が持っていた鍵で何ができたかです。あなたが言うから信じる、にはしたくありません」
「ああ」
ダンは角材とナットを持って立った。アサに何か言いかけたが、何も言わず、階段を下りた。
ミオは地図を丸めた。新しい図と古い図を別々に巻く。
「返してほしいときは、いつでも言ってください。時計」
アサは言った。
「今夜は、預けます。明日も聞きたいので」
彼女が書いた預かり品の紙に、二人で名前を書いた。アサは時刻と品物の傷を添えた。いつもより細かく書くことが、今できる仕事だった。
*
鍋の少年が、母親を連れて戻ってきた。
アサは布包みを自分の棚へしまい、下へ降りた。ダンは鍋の縁に細い棒を当てている。
「紐のまま火に掛けるなよ」
「掛けませんよ。私だってそこまで」
母親が言い、少年の首の後ろを軽く押した。
「この子が、ただで直せるかもしれないって」
「ただとは言ってないです」
アサは慌てて言った。
ダンは作業台の上へ鍋を置いた。
「穴を二つ空けて新しい持ち手を留める。銅貨三枚。底は薄くなってるから、重い煮物を満杯にするのは勧めない。明日の夕方でいいなら」
母親は鍋を見て、少し考えた。
「三枚なら。これ、麦湯にしか使わないので」
少年は紐をほどこうとした。結び目が固く締まり、指では動かなかった。
「ずいぶん丈夫な取っ手だな」
ダンが言った。
アサは、籠売りの顔を思い出した。
「手伝ってもらいました」
「道理で」
母親が笑った。少年も意味が分からないまま笑い、アサは紐を切らずにほどく道具を探しに行った。
南奥の作業台で、ユイが包みを作っていた。窓の光が届かないので、小さな油灯を台の隅へ出してある。丸い頬の片側に影が落ち、口元だけが不機嫌に尖っていた。新しい歯車が、古い送風機の横に並んでいる。
「それ、付かないの?」
「付く。父さんが付けないって言ってるだけ」
「どうして」
「軸も削り直すから。前と同じ仕事しかやらなかったら、同じ仕事しかできないのに」
ユイは歯車を油紙に戻した。
「聞こえてるぞ」
ダンが言った。
「聞こえるように言ってる」
アサは細い千枚通しを見つけた。二人の間を通って戻り、結び目に差し込む。手元に集中していると、ユイが隣へ来て、鍋を押さえてくれた。
「明日は店、私だけ?」
「午前中は」
「だったら、引き取りに来る人の名前を残して。返していい品も」
ダンは頷き、黒板の一行目に湯沸かしと書いた。
誰も、明日行くなとは言わなかった。
客が帰ってから、ダンは奥の物入れを開けた。ユイが灯りを持ち、アサが上の箱を受け取った。見積もり、未収、昔、と書かれた三つの箱があった。昔の箱だけ、二つ重なっていた。
「こっちは開けるな。母さんの手紙が入ってる」
「じゃあ、仕事と別にしてよ」
「別にした。下が仕事だ」
ユイは父の手から箱を取り、低い棚へ移した。蓋の隙間から、布に包んだ髪留めが見えた。ダンはそこへ触れず、工場名の書かれた束を探した。
アサは高い棚の奥を覗きかけ、踏み台から降りた。
「明日、一人で全部抱えなくていいです。控えなら僕も運べます」
「重くはない」
ダンは紙の束を持ち上げた。
「でも、来るなら読んどけ。俺が間違えたら、そこで言え」
アサは受け取った。紙の一番下に、鉄の値段を何度も計算し直した跡があった。最後の数字だけ、前のものより小さかった。
*
ミオの家の惣菜屋は、夕方になると汁物を売った。
橋の東詰にある二階家で、西を向いた売り窓から客の列が橋際まで続く。窓の奥には卓が三つ、さらに奥にかまどがある。低い庇の下で客が肩を寄せ合うのを見て、アサは建物の南の脇道へ逃げた。そこから裏口へ回れば、すぐ籠だけ返せると思った。
買い物のとき借りた籠に、いつまでも団子の匂いが残っていた。
裏口の上窓から、湯気が出ている。豆を煮た甘い匂いと、切った葱の匂いがした。ミオは上着を脱ぎ、生成りの前掛けで大鍋の前に立っていた。柄杓を持つ肘を引き、通り過ぎる母親に場所を空け、また鍋へ戻す。道を測るときよりずっと狭い幅で、同じ足が忙しく動いていた。
「返しに。籠を」
「表に置いてくれればよかったのに」
「裏のほうが、空いていたので」
ミオは一つの椀を並べ直した。
「表が混んでるから、こっちが忙しいんです」
「あ」
「それ、そこへ置いて。手を洗って、椀を六つ出してもらえますか」
アサは袖をまくった。水桶の縁は、よく使うところだけ滑らかだった。椀は大きさごとに重ねられ、欠けたものには底に黒い印がある。
「黒いのは使わない?」
「家で使う。客用は上」
アサが三つ重ねて持つと、ミオは一つずつにして、と言った。
売り窓のほうから、母親が戻ってきた。ミオより少し背が低く、肩にも頬にも丸みがある。後ろで巻いた髪から白いものが二、三本浮き、褪せた紫褐色の袖を肘より上へたくし上げていた。ミオと同じ目で、同じようにアサの手元を見た。
「今日、時計を見てくれた子?」
「アサです」
「オト。助かるよ。ついでに椀も助かる」
彼女は空いた鍋を持ち上げた。アサが代わろうとすると、熱いからそっち、と別の持ち手を顎で示した。
二人で運んだ。
客が途切れたころ、オトは小さな椀を三つ出した。売るには半端に残った汁と、崩れた豆腐が入っていた。
「十八?」
オトが尋ねた。
「はい」
「よく食べるでしょう。ダンのところ、肉が少ないから」
「そんなことは」
「買いに来るもの、知ってるんだよ」
ミオが笑った。アサは汁を飲んだ。家賃の話まで知られているのではないかと、少し心配になった。
「明日は、お店を抜けます」
ミオが母親に言った。
「聞いた。朝の仕込みだけ頼むよ」
「午後は渡し場の地図の約束もあるから、夕方になるかも」
「分かった。姉さんのことも、自分の仕事も、食べてからやりな」
オトは二人の椀へ、残った豆腐を分けた。時計の言葉を尋ねはしなかった。
アサは、熱い汁を少しずつ飲んだ。
帰るころには、橋番が油灯のガラスを閉めていた。対岸の修理店では、奥の灯りだけが低く漏れている。ミオは前掛けの紐をほどきながら軒先まで出て、明日の待ち合わせを確かめた。
「聞こえた言葉の紙、母にはあとで見せます」
彼女が言った。
「今日は、ちゃんと座って話したいから」
アサの手の中で、空の椀が傾いた。ミオが受け取り、二つ重ねた。
「では、朝に」
「はい」
アサは店へ戻った。
二階では、時計を包んだ布が、昼と同じ形で棚にあった。触れれば、同じ音が出る。何度やっても。
彼は布を開かなかった。
寝台の前の仕切りを引こうとすると、裾が靴へ引っかかった。引っぱってから、しゃがんで外した。客が帰れば狭い部屋は元どおり自分の寝場所になるはずだったのに、椅子の背に掛けた上着が、こちらを向いた人のように見えた。
明日の紙を揃え、鉛筆を削った。力を入れすぎて芯が折れたので、もう一度削り直した。
拾っていると、階下でダンが古い箱を動かす音がした。




