14_水際に立つ
翌朝、水運組合の南の岸で、空の舟に五つの砂袋を積むと、船縁が水へ近づいた。
工場と同じ敷居の高さを作った台を、安全な岸に組んであった。火事の夜の人を乗せ直すことはできない。トウマは、舟が沈むにつれて板の傾きが変わるところだけを見せると言った。
アサは岸から見ていた。人と同じ重さにした袋を、トウマが場所を変えて置く。片側へ寄ると舟が傾き、二つを反対へ移すと戻った。
「乗った人は、こんなにじっとしていないがな」
トウマが言った。
ミオは台と船縁の高さを測った。エダは少し離れた箱へ座り、足を休めていた。頭布を取り、耳の後ろへ髪を撫でつける。作業をしない日にも左肩が少し上がり、膝に置く手だけが休んでいた。
今日は道を確かめる日だった。実物の扉を調べた記録と、船の行き来を合わせる。危険な工場の中へ、もう一度入る必要はなかった。
ダンが板を渡した。
「敷居へ上がった後は、ここを舟へ下りる。歩ける人なら、この幅で」
アサは岸側の台で板の端を押さえた。ミオが高い端へ一歩だけ乗り、すぐ台へ戻った。
「荷物がなくても、怖いですね」
「あのときは煙で、足元が見えたり見えなかったりした」
エダが言った。
誰も、もう一歩乗るよう頼まなかった。
*
ミオは三枚の図を、空いた荷台へ置いた。遠くには工場の煙突、足元にはいま傾いた舟がある。トウマは水側、エダは道側へ回り、ダンは二人の間へ模型を置いた。ミオは相手が向きを変えずに見られるよう、図を一枚ずつ回した。
一枚目は、工場の外形と二つの出口。二枚目は、舟が実際に通った順。三枚目には、人が見たことを書いてあった。
東で、女の人が船を呼び、乗った。
北で、その人が外の金具へ手を伸ばした。
東へ戻り、建物の中へ入った。
工員たちが板を渡り、五人が船に乗った。
トウマとエダが、それぞれ自分の見たところを確かめた。後で聞いた名前や、覚えていない時刻は、同じ太さの線にしなかった。
「これだと、私が全部見たようにはならない」
エダは紙を見て言った。
「そうしたかったんです」
ミオが答えた。
ダンは扉の模型を置いた。外の棒を下ろし、鍵の留め具を外す。開かない状態を、トウマにも見てもらった。
「女の人が回った北の金具は、この位置だ」
トウマが指した。
「煙を避けながら、腕を伸ばしていた。開けたところは見ていない。結局、こちらへ戻ってきた」
エダは模型の外側を見た。
「中から押したとき、胸の辺りで止まった。位置は、それくらいだと思う」
ダンが頷いた。
ミオは北の戸口に模型を並べた。トウマが見た腕の高さと、エダが内から押した高さが、紙の両側で向かい合った。
開かない出口の外へ出て、開こうとした。
それができず、別の口へ戻った。
ミオは二つの行を、考えられる目的の欄へ書いた。目撃された行動から、そう判断する理由も添えた。
「姉が何を言ったかは、全部は戻らない。でも、どこへ手を伸ばしたかは、残せます」
彼女はトウマを見た。
トウマは黙って、図の北側を指で押さえた。
*
エダは砂袋の積まれた舟を見ていた。
「ナギは、私たちと一緒には舟に乗らなかった」
彼女が言った。
「私が下りるとき、手を貸してくれた人がいて。その人を引こうとしたら、まだ中だって、戻っていった」
ミオは顔を上げた。
「それは、前に話したナギが戻ったときのことですか」
「そう。同じところ。私には、そこで見えなくなった。あの子がどこまで行けたかは、知らない」
エダは自分の肩を撫でた。
「長いあいだ、ここで引っ張っておけばと思った。でも、私も船へ降りるだけで、いっぱいだった」
ミオは紙を置いた。
アサは口を開きかけた。エダの足が箱の端から浮き、片方の靴で体を支えているのが見えた。そばの空いた椅子なら、足が届く。
「休みますか。椅子を、こっちへ持ってきます」
彼は尋ねた。
「そうしてくれると、助かる」
アサは椅子を運んだ。エダが座り、ミオはその隣の箱へ腰を下ろした。
しばらく、二人は話さなかった。
ダンとトウマが、砂袋を一つずつ岸へ戻した。アサも手を貸した。重い袋を持ち上げるたびに、舟が少しずつ上がった。
五人分を下ろし終えると、最初の高さへ戻った。
エダが靴底を石へつけ、少しだけ背を伸ばした。アサは最後の袋を台へ置いた。下ろし終えても、彼女が座る椅子はまだ必要だった。
*
帰る前に、エダがダンへ声を掛けた。
「また、あの棒を付けてほしいと言われたら、どうします」
ダンは道具袋を下ろした。
「中から逃げる口を確保できないなら、請けません」
「注意を書いておけばいい、と言われたら」
「同じです。前にそれで請けたから、今ここで説明している」
エダは少し考えた。
「私の染め場も、夜は裏口を閉めます。どういう鍵か、見てもらえますか。すぐに何か頼むかは、まだ決めていません」
「見ます。料金と、見る範囲は先に話します」
ダンは答えた。
エダは時刻だけ決め、染め場の戸の幅を両手で示した。ダンは道具袋から細い紙を出し、その幅と訪ねる日を書いた。
ミオは自分の図を筒へしまった。古い姉の図は、折れ目を増やさないよう、別の板に挟んだままだった。
「明日、イネさんへ出します」
「僕の原記録も、元の説明と撤回を一緒に」
アサが言った。
ミオは頷いた。
「音から言える範囲は、アサが説明してください。私の図のことは、私が話します」
さん、がなかった。
アサは返事をするまで、一瞬かかった。
「分かりました」
*
昼を過ぎた惣菜屋には、魚団子が残っていた。
エダはオトへ二本頼み、持ち帰ると言った。オトは普通に包み、熱いうちに食べな、と渡した。二人が話したのは、染め場へ行く橋の工事と、今朝の豆の値段だった。
ミオは店の端に座った。
アサは三人分の水を運んだ。ダンが図を広げかけたので、彼は先に、器を置く場所を指した。
「今日は、こっちに」
「覚えた」
ダンが言った。
「昨日も、覚えたと言ってました」
ミオが口を挟んだ。
ダンは図をしまったままにした。
アサは自分の団子を取った。今日は二本あった。片方は、店の手伝いの分だとオトが置いたものだった。
「一本、落とすなよ」
ダンが言った。
「二本でも、ちゃんと持てます」
「舟に乗る足も、そう思ってただろう」
ミオが笑った。
アサも笑った。すぐに胸が軽くなったわけではなかった。それでも、団子は熱いうちに食べられた。
*
十日目の午後、バルトが最初に見たのは、扉ではなくアサだった。
工場の西門脇の作業小屋に、当時の資料と今回の記録が並べられていた。机は一つで、窓側にイネと職人、入口側にバルトが座る。ミオとアサは横の長椅子、ダンとトウマはその向かいだった。
戸を開ければ、保存のために運び出した閂が見える。雨除けの屋根の下で、棒と受け金具は別々の台へ固定されていた。小屋の中は人の肩で暗く、開いた戸口だけが白かった。
イネは出席者の名を確かめた。
工事を確かめた職人、工場側のバルト、ダン、船頭のトウマ。ミオとアサは、自分たちが作った資料の説明のために呼ばれていた。エダの記録は、本人が確認した写しを使う。
「始める前に、確認したい」
バルトが言った。
「その青年の説明は、本人が撤回したと聞いた。そんなものを、工場の責任を決める根拠にするのか」
イネが答える前に、アサは立った。
「僕は、妹を頼むと聞き取れたと嘘をつきました。最初から聞き取れていませんでした。説明を撤回し、依頼人にも返金しています」
作業小屋の中で、雨が屋根を叩いた。
「では、何を話すつもりだ」
「音を鳴らしたときにしたことと、聞こえた範囲だけです。僕が考えた言葉を、記録に混ぜないために来ました」
アサは原記録と撤回を並べた。
バルトは紙を見た。
「一度嘘をついた相手の、次の説明を信じろと?」
「信じてもらうだけでは、足りません。時計を持つ人も、聞く人もいます。書いてあることが合うか、そこで確かめてください」
アサは座った。膝が長椅子の脚に触れた。ミオの上着の袖はすぐ横にあったが、こちらへ寄ってはこなかった。自分の紙を自分の前へ揃え、次の人が話す場所を空けた。
ミオは彼の代わりに何も付け加えなかった。時計を出すかどうかは、話の順に沿って自分で決めるつもりで、箱を手元に置いていた。
*
最初に確認したのは、作業指示だった。
原本は保護する紙に挟み、写しを全員へ配った。日付、夜勤の作業量、北通用口の外閂を戻す指示。署名は、前の聞き取りでバルト自身が認めている。
「人のいる間は上げるという指示を、この日に出した記録はありますか」
イネが尋ねた。
「出入りがあれば現場で開ける。日々、そうしていた」
「この日は、荷の積み出し後に戻すと書いてあります。残った作業は夜勤で、とも」
バルトは手袋を畳んだ。
「盗みを防ぐ必要があった。製品がなくなれば賃金も払えない。君たちはそこを、紙一枚で切り取っている」
ダンが顔を上げた。
「その相談は、俺も受けた。だから、この仕事を請けた。だが、中から開けられないものを選んだ事実は変わらん」
「君は安全上の注意をしたと、何度も言っているな」
「した。だから責任がない、とは言わない」
ダンは採用しなかった案と、実際に付けた形を並べた。
「金額を下げるためにこっちへ変えた。夜勤があることも知ってた。俺の仕事については、これを残してください」
イネは二つの図を確認した。
ダンの太い手が、二枚の図の間へ置かれた。手を引くと、どちらの図も見えた。
*
扉の状態を見るため、小屋の戸を大きく開けた。
現場の職人が、棒と受け金具、梁の重なりを示した。火災の間ずっと外閂が上がっていたという説明とは、物の状態が合わない。誰がいつ下ろしたかまでは、この跡だけでは決めない。
イネは古い報告を開いた。
「以前の『外閂は開放されていた』という記述は、工場側の説明によります。ご自身で、火災時に開いているところをご覧になりましたか」
バルトはすぐには答えなかった。
「現場の報告をまとめたものだ」
「確認した人の記録は、残っていますか」
「混乱していた。全員の言葉を一つずつ残せたわけではない」
「では、確認の裏付けがない開放を、確定した状態として記したことになります」
イネは言った。
「今回の物証は、それと矛盾します。夜勤の指示と、外閂を戻す指示は、ご自身の記録に残っています」
バルトは閂を見た。
雨の滴が、屋根の端から金属の近くへ落ちていた。職人が布を移し、濡れないようにした。
「ナギが鍵を持って出たことまで、なかったことにするのか」
バルトが言った。
ミオが地図を出した。
「外へ出たことは、消していません」
彼女は東から北、北から東へ戻る線を指した。
「ここを通りました。船の記録と、乗せた人の話です。戻ってきたところは、生き残った人も見ています」
トウマが自分の見た範囲を話した。
ミオは続けた。
「ただ、鍵を持った人がいればこの扉は開いた、という説明が違います。外の棒が掛かっていれば、鍵では開きません」
職人が実物の内錠と外閂の位置を示した。
「姉が何を思っていたかは、分かりません。けれど、外の金具へ手を伸ばし、東へ戻って人を船に出した行動は残っています。町へ逃げたことには、なっていません」
ミオは紙を机へ置いた。指は震えていたが、線は読めた。バルトの磨いた靴が椅子の下で動いた。彼女はそちらを見ず、図の北を、全員から読める向きに置き直した。
*
時計は最後に鳴らした。
アサは掃除と接触の手順を説明し、最初と同じ断片を出した。誰かの望む言葉を示すためではなかった。実際に聞ける範囲を、その場の人が同じように持つためだった。
鐘三つ。水。布。欠けた声。
イネは、音は船を呼ぶ場面と整合するが、全ての語や時刻を確定する資料にはしないと記した。
バルトはその行へ異議を言わなかった。
彼は責任を認めるとは言わず、工場の事情を考慮してほしいと繰り返した。イネは主張として残すと答え、確認した事実とは欄を分けた。
職人たちは保存する金具へ覆いを掛け、トウマは舟の時刻を確かめた。ダンは模型を箱へ戻した。ミオは原本と写しの枚数を数えた。
アサは自分の紙を最後に持った。
バルトが戸口で立ち止まった。
「自分の間違いを認めれば、全部やり直せると思っているのか」
アサは彼を見た。
「思っていません。だから、まだ返すものが残っています」
バルトは返事をせず、雨の中へ出た。
*
帰り道、ミオは傘を閉じた。
雨が細くなり、雲の切れ目に明るいところがあった。濡れた石道には、屋根の欠けた工場が逆さに映る。アサは模型の箱を抱え、ミオは閉じた傘を水の落ちない側へ向けた。ダンが右膝を伸ばす間、二人とも歩幅を小さくした。
「言いたいことを、途中で忘れました」
ミオが言った。
「地図を置いたら、戻ってきましたけど」
「線が、見えたので」
アサが答えた。
「どこを指しているか、分かりました」
ミオは少し笑った。
「役に立ったなら、よかった」
ダンが立ち止まり、靴紐を結び直した。アサが箱を置こうとすると、ミオが乾いた板の上を指した。
「そこなら、底が濡れない」
アサは板へ置いた。
三人が歩き出すまで、川からの風が小さな箱の四隅を撫でていった。




