12_同じ机につく条件
七日目の朝、修理店の西の路地に荷車が来ていた。
アサが運んでいたのは、音の出ない木箱だった。前掛けを外し、上着を裏口の釘へ掛けて、灰青の袖を肘までまくっている。路地は車一台でいっぱいになり、人が通るたびに箱を抱いたまま壁へ寄った。
修理した道具を工場の現場へ届ける箱で、ダンが二つ持てるか尋ねたとき、彼は一つずつにしますと答えた。往復は増えたが、どちらも落とさず荷車へ載せられた。
最後の箱に綱を掛けていると、ミオが来た。橋から続く案内の札を一度見て、裏の路地へ入ってきた。アサは綱の端を落としかけ、握り直した。
アサは綱を持ったまま顔を上げた。
「これを留めてからでいいです」
ミオが言った。
アサは最後の結び目を確かめた。籠売りに教わった向きに通し、両側を引く。緩まなかった。
「どうぞ」
店の中へ入るよう示すと、ミオはダンにも声を掛けた。
「扉の検証と、時計の記録を重ねたいんです。イネさんとも相談しました」
彼女は完成した設備図を渡した。ダンは代金の残りを払い、寸法を目で追った。
「内側の錠と外の閂を別の色にしてあります。採用しなかった案は、ここです」
ダンは、古い案が小さく残された隅を見た。
「これなら説明できる」
「私が、あなたの代わりに説明する図ではありません。必要なら一緒に描き足せます」
「分かってる」
ミオは頷き、アサへ向き直った。
「時計を、もう一度鳴らしてほしいです。それから、どう扱って何をしたか、最初から教えてほしい」
アサはすぐに、はいと言った。声が早かったので、一度息を吸って続けた。
「傷めないためにしたことと、音から考えたことは、分けて話します」
「それが、一つ目です」
ミオは紙を出した。
「もう一つ。私やダンさんが確かめていないことを、三人の答えにしないでください。意見が違ったら、その違いを残したい」
「はい」
「分からないところを、あとでまとめて埋めるのも、しないで」
アサは紙を受け取った。短い三行だった。彼女の地図の文字と同じ、読みやすい字だった。
「従います」
「従うというより、自分の仕事として選んでほしいです」
アサは顔を上げた。
ミオは紙ではなく、彼を見ていた。
「僕も、そのやり方で仕事をしたいです」
彼は言い直した。
ミオは頷いた。
*
二階へ上がると、アサは西の寝床の仕切りを閉めた。東窓から入る光の中に、机と三つの椅子が残った。
机は、前より少し広くなっていた。
ナットは下の店へ返してあり、平たい石が紙を押さえていた。余分な皿は棚へ移り、三人が座るときは、手元を一つずつ確かめられる向きに置くことにした。
アサは最初の記録を出した。消した線も、間違った説明も、そのまま残っている。
「最初に、炭の粉を刷毛で取りました。削ってはいません。粉はこの包みです。蓋は預かったときから外れていて、蝶番の片方が折れていました」
ミオは時計の箱と包みを照合した。
「針は動かしましたか」
「動かしていません」
「止まった時刻は、折れた時刻ですか」
「分かりません。蝶番が折れても、時計そのものは動けます。火で止まった可能性もあります」
ダンが時計の縁を見た。
「俺も、針の時刻を使うつもりはない。中を開ける必要があるなら、先に持ち主へ聞く」
「今は開けないでください」
ミオが答えた。
アサは音を鳴らした。
声のところで、彼の手が一瞬固くなった。離さず、最後まで鳴らした。
誰も、妹とも二号とも言わなかった。
ダンが最後の擦れる音について尋ねた。
「最初は、硬いものが台を擦った音だと書きました。ただ、実物と比べていません。金属かどうかも、音だけでは決められません」
アサは答えた。
「では、そのまま置こう」
ミオが紙へ小さく書いた。
「音はある。何の音かは未確認」
アサはその字を見てから、布を畳んだ。ミオが紙を取る手を避けようとして、今度は皿に肘をぶつけた。ダンが片手で押さえ、音は小さく済んだ。
*
階下では、ユイが二枚の板を蝶番で繋いでいた。いつもの低い台の前で足を開き、片膝で板を支えている。三人が下りてくると、口にくわえかけた鉛筆を耳へ移し、台の上を空けた。
ダンが頼んだ、検証用の小さな扉だった。片側に内錠の代わりの留め具、もう片側に外閂をつける。実物の強さを試すためではなく、どこが何を止めるか見せる模型だった。
ミオが降りると、ユイは板を立てた。
「図、分かりやすかったです。でも、ここは開く向きが逆になっていました」
ミオは図を取り、確かめた。
「本当だ。直します」
「私のほうで変えたので、模型に合わせて確認してください」
ダンも横から見た。
「俺が渡した元図が悪い。こっちが外側だ」
三人が一斉に同じ板を指し、アサは笑いそうになった。
「内側って、こっちで合っていますか」
彼が指すと、ユイが板の下へ大きく内、と書いた。
「これで迷わない」
「外にも書け」
ダンが言った。
「分かってる」
ユイが裏へ回った。
アサは板を持った。ユイが留め具を締めるあいだ、傾かないよう押さえる。ミオは図の矢印を描き直していた。
*
ミオが帰る前に、アサは返済の紙を出した。
「残り五枚のうち、今日は二枚返せます」
彼は磨き仕事で得た銅貨を置いた。ミオは受け取り、日付を書いた。
「あと三枚ですね」
「はい。約束の日までに」
彼女は紙を返した。
「今日来たことと、これは別にしておきます」
「分かっています」
アサは頷いた。
ミオは板を抱え、階段へ向かった。途中で立ち止まり、壁の明るい四角を見た。
「札を外したんですね」
「前の仕事を確かめています。十二件あって、まだ全部には会えていません」
「そうですか」
彼女はそれ以上、いつ戻すのか尋ねなかった。
戸口まで見送ると、ミオが地図筒の先で、店の裏道の札を軽く示した。
「向こうの札、雨で端が曲がっています。明日、板をつけに来ます」
「道具を用意しておきます」
「お願いします」
ミオが去った後、アサはユイのところへ戻った。模型は留め具を外した状態で、作業台に寝かせてあった。
彼は外側の字を確かめてから、持ち上げた。
*
その日の昼前、修理店の床へ下ろした送風機は、回り始めると横へ歩いた。
アサが慌てて木の台を押さえると、ユイが足踏みを止めた。むき出しの羽根には近寄らず、二人で回転が収まるのを待つ。羽根は惰性で二周し、からりと鳴って止まった。
ユイはしゃがみ、短い髪を耳へ掛け直した。ダンは作業台に腰を預けて見ている。いつもなら父の手が先に伸びる場所へ、娘の定規が差し入れられた。
「留める前に回すからだ」
ダンが言った。
「留めたら、揺れが見えないでしょう」
ユイは台の脚に挟んだ紙を引いた。右前の紙だけ、するりと抜けた。
「軸だけじゃない。ここの脚が浮いてる」
見積もりの横へ、薄い板を一枚追加と書く。ダンは台の脚を見て、板を測った。
アサは押さえていた手を離した。両手に振動が残っていた。
「最初から、脚も見れば」
「見た。空で置いたときと、踏んだときは違った」
ユイは答えた。
「だから、今、試した」
ダンが薄い板を差し込み、もう一度足踏みをするよう言った。
今度は、送風機は歩かなかった。羽根が回ると、アサの前髪が持ち上がった。
ユイが顔を覗き込んだ。
「便利。風が来てるのがよく分かる」
「札の次は、風見ですか」
「どっちも役に立ってる」
アサは台から一歩離れた。
*
持ち主は印刷屋だった。
足踏みで風を送り、干した紙を乾かすために使っていた。古い軸が減って羽根に触れるようになり、長いあいだ棚の下へ置いてあったという。
「前より速く乾くのかい」
印刷屋の親方が尋ねた。
「まず、引っ掛からず回るように直しました。乾く速さは、ここで確かめないと」
ユイは答え、送風機の位置を決めた。
印刷屋の奥には、紙を干す細い通路があった。床は修理店より傾き、風が真ん中へ抜けると、端の紙が隣へ触れてしまう。ユイは台を斜めへ振り、紙が落ちない距離まで自分で踏んで試した。
ダンは壁との隙間を見た。アサは運んだ木箱を隅へ寄せ、道を空けた。
ミオは紙の見本を受け取りに来ていた。ユイが、同じ紙を二枚使わせてほしいと頼むと、印刷屋は端を切り落とした余りを渡した。
風を当てるものと、当てないもの。ミオが吊るす場所を決めた。片方だけ窓の光に近くならないよう、少し位置を替える。
アサはその手元を見ていた。
ユイが足踏みを始めた。
紙の端が揺れた。最初は大きく、風を斜めへ向けると小さくなった。アサは時間を見て、交代で踏んだ。
「全力で踏まないで。仕事をしながら踏めるくらい」
ユイが言った。
彼は力を緩めた。送風機の音が一定になった。
ダンはしゃがみ、軸のところに手を近づけた。触れずに熱を確かめ、しばらくして止めるよう言った。
「こっちの留めが少し締まりすぎだ。削るなよ。まず戻す」
ユイは留め具を緩めた。もう一度回す。
ダンが頷いた。
「その位置だ」
印刷屋の親方は、二枚の紙を見てから見積もりを開いた。
「追加の板の分は?」
「余材で足りました。手間は最初の見積もりの中です。ここに、使った厚みを書いておきます」
ユイが説明した。
親方は代金を出し、受け取りを求めた。
ダンへ紙が差し出されると、彼はユイのほうへ向けた。
「今日は、この娘の仕事です」
ユイは一度だけ父を見て、自分の名前を書いた。前掛けで拭いても指の黒さは取れず、紙の端に薄い跡がついた。親方はそこへ代金を置き、次に油を差す場所を、今度はユイへ尋ねた。
*
帰りの荷車は軽かった。
アサは空の箱へ腰を掛け、ミオは横で新しい案内図を確かめていた。橋の印が見やすくなり、舟の絵は端へ小さく残っている。
沈みそうな舟だった。
「本当に残したんですね」
「一人ずつ乗りましょう、という注意は、よく見てもらえました」
「僕の名前は、入っていないですよね」
「入れたいですか」
「いいです」
ミオは紙を巻いた。アサも笑いかけ、笑ってよいか確かめるように彼女を見た。
彼女は彼の顔を見ていなかった。荷車の揺れで地図の端が潰れないよう、手を添えていた。
それで、アサは小さく笑えた。
店へ戻ると、ユイは代金を分けた。材料代と、アサの手伝いの分と、自分の分。ダンの使った時間も、一行に入れた。
「親だから、ただでいいって言わないで」
「言ってない」
「今、言いそうだった」
ダンは受け取った銅貨を袋へ入れた。
「次は、見積もりを最初から見せろ。断るかどうかは、その中身を見て決める」
「分かった」
ユイは自分の袋を結んだ。
アサは受け取った分から三枚を分け、ミオへ渡した。
「今日の仕事の分です。これで、立て替えてもらった分は全部になります」
ミオは前の受け取りを確かめ、日付と三枚を加えた。残りの欄へ零を書き、二人で控えを分けた。
*
午後は、扉の模型を試した。
ダンが外の閂を上げ、ユイが内側の錠を留めた。アサは中へ指を差し入れ、扉を押す。動かなかった。
「鍵がなければ、ここは開かない」
ダンが言った。
次に、内側の錠を外し、外の閂を下ろした。
アサはまた押した。扉は少し動いて、横棒に止められた。
「鍵があっても、ここは開かない」
ミオが言った。
最後に両方を外すと、扉は開いた。
アサの指が、開いた隙間を通った。実物の扉なら、ここを人の肩が通る。彼は指を引き、さっき止まった棒を裏から見た。
「この模型で、あの日の外閂が閉まっていたことまで分かるわけじゃない」
ダンは自分で言った。
「そこは実物を見る。今日は、二つが別の仕組みだと分かればいい」
ミオは模型の左右を写した。
ユイは採用しなかった金具の小さな見本も出した。内側から押すと、留め具が跳ね上がる。昔の図から、動きだけを作ったものだった。
ダンはそれを一度動かし、二度目はミオへ渡した。
「こっちを付けるよう、もっと言えた」
「安いほうを頼んだ人の責任と、あなたの選んだ仕事の責任は、別に書きます」
ミオは言った。
ダンは頷いた。
模型を片付けるとき、アサは外の字が見える向きに箱へ入れた。ユイが余った布を渡し、角を包ませた。
「明日は、運ぶだけでも仕事だよ」
「落としません」
「だったら、二つ持とうとしない」
アサは箱を一つ、両手で持ち上げた。
夕方の風が、開けた戸から入ってきた。直した送風機がなくても、店の中の紙が少し動いた。




