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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第6部 裁き/短く鋭いざまぁ/社会的逆転 第16章 裁き開幕──感情へ逸らす罠

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第86話 明朝までに、支給紙を突き合わせろ

 夜の紙は、昼の紙より嘘をつく。


 窓の外は真っ暗だ。燭台の炎が照合机の上で揺れるたびに、紙端の影が少しずつ形を変える。同じ白でも、光の角度が変わると色が変わる。乾ききっていないインクは匂いが立つ。急いで綴じた紐は、指で引けばすぐ分かる。昼の裁きの場で堂々と差し出された反証束を、夜にこの机へ広げてみると、昼間の整然とした顔が少しずつ落ちていく。


「本当に朝までに終えるのですか」

 試薬係が訊く。若い。声の端に緊張が残っていて、指先にはまだ薬液の匂いが馴染みきっていない。


「終えます」

 答えたのは私ではなかった。扉脇から低い声が短く落ちる。

 リュシアンだ。腕を組んでいない。壁に寄りかかってもいない。ただそこに立っているだけで、余計な声が場へ入り込まない空気が生まれる。


 私は燭台を一つ手元へ引き寄せ、問題の一枚を炎へ傾けた。

 紙肌が浮く。

 王宮支給紙の癖だ。外の商会から入る紙は油分をよく吸う。神殿の紙は乾きが硬い。けれど内側の紙、王宮の棚で眠り、王宮の手に触れ、王宮の机の上を何度も渡ってきた紙は、繊維の立ち方に独特の粗さを持つ。それは産地より、使われた場所の癖だ。


「薬液を、裏へ落としてください」

 私は試薬係に言った。


「……裏です」

 彼が表へ薬を垂らしかけたので、思わず言葉が出た。試薬係は真っ赤になり、紙を持ち替える。こんな夜でも、失敗の仕方だけは妙に人間らしい。


 薬が裏面へ滲んだ。繊維が立つ。燭台の光の下で、紙肌がゆっくりと答えを出し始めた。


 私は支給紙台帳を手前へ引き、欄を開く。

 王宮が一年で扱う支給紙の量は少なくない。官吏の等級ごとに品目が変わり、用途ごとに紙種が分かれる。裁定提出に使える格の紙は、さらに範囲が絞られる。


「書記官、支給先の欄を読み上げてください。裁定提出用の品目、直近1年の分です」


 書記官が控えを広げ、一行ずつ読む。官吏の名。部署の名。受領日。

 私は反証束から取り出した一枚を台帳の横へ並べた。繊維。紙目。折り目の癖。綴じ糸の寄せ方。封蝋番号の控え。一つずつなら弱い。だが、同じ方向を向いた弱い証拠は、束ねれば強くなる。


「……ここです」

 書記官の声が一段低くなる。

 支給先の欄の中に、反証提出者の名前が入っている場所があった。1年以内。同じ品目。同じ紙種。外から持ち込んだと言い張るには、この紙は王宮に似すぎている。


 私は燭台を戻した。

 指先が少しだけ震えているのに、自分で気づく。怒りではない。怖さでもない。もっと静かなものだ。

 この紙で、私の仕事が一度終わらされた。

 配膳記録官という肩書が剥がれ、「誰にでもできる」という言葉だけが残り、私は宮廷の外へ出た。

 その紙が今、別の役目を持ってここへ戻ってきている。自分が出た場所の名前を、自分で持ったまま。


「外から持ち込んだと言い張るには」

 口に出してみると、思ったより声が落ち着いていた。

「少し、王宮に似すぎています」


 試薬係が固まる。書記官が欄から目を離さない。扉脇の気配が、静かなまま重くなった気がした。


 その時、廊下で音がした。

 足音だ。急いでいる。廊下を歩く者の音ではなく、方向を決めて逃げる者の歩幅だ。


 試薬係が扉の方へ顔を向けた。書記官も顔を上げる。

 私は机から離れず、台帳と反証を並べたまま動かなかった。


 足音が遠ざかる。廊下の角を曲がる音がして、やがて聞こえなくなる。


 扉脇のリュシアンが一歩前へ出た。廊下へ視線を向け、短く顎を引く。追わせる合図だ。捕まえに行く速さではなく、どこへ向かうかを見届けさせる速さで、護衛が動く。


 私は机の上へ目を戻した。

 支給記録。繊維の粗さ。封蝋の控え。綴じ糸の寄せ方。

 全部が同じ方向を指している。昼の裁きの場で有力反証に見えたものが、今この机の上で、出所の地図に変わっている。


「反証ではありません」

 声が出るより少し先に、言葉が決まっていた。

「出所の自白です」


 書記官が震える手で欄の横へ書き込む。試薬係が台帳と反証を並べたまま、呼吸を止めている。


 しばらくして、廊下へ出た護衛が戻ってきた。

 書記官がそちらへ顔を向ける前に、私は欄の末尾へ指を置いた。


「逃げました」

 確かめるように言う。

「つまり、出所を知っています」

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