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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第6部 裁き/短く鋭いざまぁ/社会的逆転 第16章 裁き開幕──感情へ逸らす罠

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第84話 隠して得をするのは誰

 怒っている人間は分かりやすい。

 得をしている人間は、たいてい静かだ。


 裁きの場に並んだ帳面は、どれも見た目は退屈だった。数字、品目、受領印、摘要欄。剣も毒も涙もない。けれど王宮という場所は、派手な悪意より静かな利益で壊れることがある。誰か一人が喚いたからではなく、誰か数人が少しだけ都合よく動いた結果、気づけば国の食卓そのものが斜めになる。


 宰相が会計係に顎を引く。

「読め」

 短い一言に、算盤玉が鳴り始めた。


 収穫祭前後の仕入れ額。代替調達の上乗せ。輸送遅延による追加費。

 読み上げられるたびに、傍聴席の顔が変わっていく。事故の話をしている間は、まだ災難だったで逃げられた。けれど数字は逃がさない。誰が困ったかより先に、どこへ流れたかを示してしまうからだ。


 私は差額表の端を押さえた。

 この紙は好きではない。数字は冷たい。冷たすぎて、人が傷ついたことまで同じ平らさで並べてしまう。夜を跨いだ代替案の組み直しも、禁忌を頭に入れ続けた時間の重さも、数字は受け取らない。「差額」の欄に収めて、終わりにする。

 それでも、必要だ。

 感情へ逸らされた責任を、金の流れで引き戻すために。


「事故がありました」

 静かに言う。

「体面も傷つきました。ですが、傷ついただけでは終わっていません」


 反対派席の一角がわずかに動く。

 利益の話になると、人は姿勢で分かる。責められているときではなく、触れられたくない場所へ指が伸びたときにだけ、肩が固くなる。


 法務係が袖口を直した。

 この2日間で私はあの仕草を何度か見ている。型通りの反論が準備されているとき、言葉より先に手が動く。


「論点が違います」

 やはり来た。

「事故と利益線は別の話です。感情で結びつけるのは——」


 私は言葉を待たず、差額表と送金控えを同じ位置に並べた。

 紙が先に届いてしまえば、型通りの反論は空中に残る。


 裁定席の一人が紙面へ視線を落とす。

 数字と行き先が並んで置かれると、見たいかどうかに関係なく、目はそちらへ動く。


 算盤役が一粒、玉を弾き飛ばした。

 宰相が無言で拾って戻す。

 場に似合わないほど些細な音に、かえって空気が冷えた。


 横から、低い声が一つ落ちた。

「誰が困ったかではなく、誰が得たかを見ろ」


 リュシアンだ。

 助言というより、確認だった。答えを渡すのではなく、問いの方向だけを整える。私は頷いて、差額表の末尾に指を置いた。


 損失の行き先は王宮だ。

 では、上乗せ分はどこへ向かったのか。


 差額は散っていない。正規価格を超えた分が、幾つかの線に寄り始めている。偶然なら、もっと無秩序に崩れる。人が動かした金は、思ったより癖が出る。


 喉の奥で、何かが固くなった。

 怒りではない。それよりも静かで、しかし重いもの。

 8日目の朝、大使席の皿を確認していたあの時間に、この利益線はもう動いていたのだと今なら分かる。誰かが厨房を困らせ、誰かが価格を上げ、誰かがその上乗せを受け取った。その連鎖が今日の紙の上に並んでいる。


 感情をここへ持ち込むつもりはなかった。

 それなのに、指先が一瞬だけ止まる。

 私が嫌いな冷たい数字が、あの朝のことを初めて正確に語っている。傷ついた、ではなく。意図されていた、と。


 差額表の端を、もう一度揃えた。止まっている場合ではない。


「感情的な訴えです」

 法務係がまた言う。

 今度は声の立て方まで前と同じだった。事故のとき、禁忌のとき、昨日の消えた写しのとき。型が変わっていない。揃いすぎている反論は、用意してきた証拠だ。


 裁定席の1人の視線が、そちらへ動いた。

 気づいた人間がいる。


 私は送金控えの末尾をなぞり、裁定席へ向き直った。


「損をした先が王宮なら」

 声が静かすぎて、自分でも少し驚く。

「得をした先も、必ずあります」


 傍聴席のどこかで、貴族が口を閉じた。

 ここまで災難だったという顔をしていた者だ。けれど利益線が近くなると、同情は維持できない。金は立場より素直に喋る。


 若い書記官が、震える手で差額表の合計欄へ数字を書き加えていく。足すたびに、余白が狭くなっていく。その静かな作業を、私はしばらく見ていた。


 反対派席の法務係が今度は袖口ではなく、書類の綴じを押さえている。違う場所へ手が移った。逸らし先を探している。


 宰相が一度だけ会計係へ短く視線を送り、算盤の音が再び始まる。


 場の空気が傾いた向きを、私は確かめるように息を吐いた。

 怒りを持ち込まなかった。恨みも並べなかった。

 それでも、消えた写しの先に得をした皿がある、と今日は言い切れる。


 宰相が口を開く。

「では八日目を、もう一度やり直しましょう」


 私の指が、差額表の上で止まった。

 八日目を。

 もう一度。

 今度は記憶ではなく、証拠を持って戻る。


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