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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第6部 裁き/短く鋭いざまぁ/社会的逆転 第16章 裁き開幕──感情へ逸らす罠

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第82話 紙一枚が場を傾ける

 重い束ほど、嘘を隠しやすいと思う者がいる。


 私は逆だと思っている。

 重い束ほど、後から差し込まれた一枚は浮く。


 裁定席の前に反対派の反証束が置かれたのは、開廷から1時間が経ったころだった。


 厚みがあり、綴じ紐は丁寧で、封蝋も新しい。傍聴席のいくつかの顔が、「これで逆転する」という表情に変わるのが分かった。見る者にちゃんとしていると思わせるには、十分な見た目だ。けれど、ちゃんとして見えることと、ちゃんとしていることは違う。


 法務係が立ち上がり、声に余裕を乗せた。

「こちらが反証書類一式でございます。提出時刻の控えを含め、各証拠の入手経路と照合先、すべて揃っております」


 裁定席が書類を受け取った。私は照合の許可を短く求め、頷きが返るのを待った。


 席を立つ。照合台まで歩く間、場の息づかいが変わった。

 法務係の方から視線が来た。何かを引き出せると思っている目だ。憤りでも狼狽でも何でもいい、感情的に崩れる瞬間を待っている。

 私は視線を受け止めたまま、束に手を伸ばした。


---


 書記官が声を出す準備をする。束を手に取った瞬間、重さの内訳が分かった。頁数の多さではなく、紙質の厚さのせいだ。良い紙を使っている。揃えられた切り口、丁寧な封蝋の番号打ち、綴じの張り方の均一さ。時間をかけて作られた書類だと、指先が言っている。


「提出時刻を読み上げます」

 書記官の声が高く場に響く。


 第1番、申告写し。朝の鐘3つ分後。

 第2番、照合覚え書き。同日、朝の鐘4つ分後。

 第3番、仕入れ差額補足。翌日、昼前。


 数字は退屈だ。それで正しい。数字は感情を持たない。感情を持たないものに、人は最初は眠気を覚える。

 けれど、矛盾が混ざると、人は呼吸まで止める。感情を排除してあるはずの場所に感情の痕が滲んだとき、耳が勝手に立つ。


 第7番になった。

「第7番、補足陳述付記」

 書記官が一瞬だけ速くなる。

「提出刻――3日後、夕の鐘2つ分後」


 私は指を止めた。

 第6番は翌朝だった。第7番だけが、3日飛んでいる。


 傍聴席の空気がまだ動いていない。気づいていない者が多い。だが裁定席の1人が、書類から顔を上げた。その目の動き方で分かった。届いた。


---


 束の後ろへ頁を送る。問題の一枚は、いちばん後ろに綴じられていた。


 紙端が硬い。切り口が若い。繊維の立ち方が、前後の頁と向きが違う。


 他の紙には、長く閉じられた帳面の柔らかさがある。積み重なった重さで少しへたった感触、引き出しの縁に馴染んだ角の丸さ。この一枚だけ、そうではない。昨夜差したものだとまでは言えない。けれど少なくとも、他の紙と同じ場所で同じ時間を過ごした紙ではない。


 欄の作りにも、整いすぎた箇所がある。上下の行がきっちり揃い、罫線をまたぐインクの滲みがない。忙しい時間帯の書類にあるはずの雑さが、そこだけない。

 空白が整いすぎているときは、そこに別の手が入っている。


「何か」

 裁定席の1人が言う。


 私は束に触れたまま答えた。

「後から混ぜています」


 場が、1瞬で変わった。


 傍聴席からざわめきが走る。法務係が眉をひそめ、立ちかけて止まった。

「紙質の違いだけで、そこまで――」

 言い切れなかった。続きを飲んだ。


 反論の型が、焦りの型になっている。


「紙質だけではありません」

 私は束を持ち上げず、指先だけで頁を送った。

「提出時刻は第6番から3日飛んでいます。封蝋番号はこの一枚だけ前後と番号帯が合っていない。綴じの張り方も、他の頁より引き付けが浅い」


 少しだけ間を置く。


「重い束は誤魔化しやすく見えます。ですが、だからこそ――異物が浮くんです」


 傍聴席のどこかで、誰かが息を呑んだ。

 その気配だけで十分だった。


---


 場が変わっている。可哀想な女の感情論を聞く空気ではなくなっている。数字と紙質と綴じの張り方が、人の顔色より先にものを言い始めている。


 横で、若い立会人が信じられないものを見る目をしていた。紙1枚で何が変わるのかと思っていたのだろう。その証拠に、束が裁定席へ回り始めた瞬間、表情を消したまま背筋だけを伸ばした。顔が変わるより先に、身体が理解している。


 私は少し昔を思い出した。72冊の端を揃えていたころ、私も最初はそうだった。紙は軽い。けれど軽いものほど、落ちたときの音はよく響く。


 書記官が問題の一枚を取り落としかけ、慌てて持ち直した。静まり返った場で、その紙擦れの音だけが大きかった。


 法務係は何も言わなかった。


 反対派席の沈黙が変わった。言葉を探している沈黙ではない。言葉を出してはいけない状況に立たされた沈黙だ。整った束がちゃんとしている証拠のはずが、今は誰かが手を入れた証拠になっている。


 綴じの張り方には癖が出る。同じ手が綴じれば、どの束にも同じ引き方が残る。今日はそこまで言うには早い。今日は、この一枚が後差しであることだけを、場に置けばいい。


「この一枚について」

 裁定席に向けて言う。

「提出経路の照合を追加でお願いできますか。時刻と封蝋番号の帯、綴じ元。3点です」


 裁定席が短く頷いた。


 私はリュシアンの方を見なかった。見る必要がない。今この場に、庇う圧はどこにもない。彼は扉脇に立ったまま、余計な音を立てていない。それでいい。私の言葉が、私の手で置けた。


 控えを揃えながら、次の順番を確かめる。提出経路の照合が進めば、この一枚がどこから来たかが出る。出た先には、必ず欠けたものがある。

 残っていない紙が、この束より正直に語ることになる。


 私は声には出さず、ただ指先だけで次の一枚を押さえた。


「残っている証拠より、消えた証拠の方が喋っています」


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