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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第5部 監査・交渉・逆転加速 第15章 証人消失──まだ手が動く

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第77話 証言が欠けを指す

 私は、人の食べ方を覚える。


 好き嫌いを知りたいからではない。誰に何を出せば倒れずに済むか、どの皿を先に下げれば場が荒れないか、そういう仕事をしてきたからだ。甘味を残す人、熱い茶を一気に飲めない人、香油の強い場所で咳を堪える人。観察は、恋文なんかじゃない。崩れないための下拵えだ。


「隠れそうな場所があるのか」


 リュシアンの問いに、私は頷いた。

「暖かくて、狭くて、香の匂いが薄いところです」

「なぜ分かる」

「最後の証人は、昨日の茶会で生姜を多めに入れた乳茶だけ飲みました。礼拝堂の香が強くなると、肩が上がっていた。寒さと匂いを嫌う人は、石の部屋より、布と乾き物の近くへ寄ります」


 護衛は一瞬だけ怪訝な顔をした。けれど私は迷わなかった。控室ではなく、乾燥庫の脇。祭具の布を保つための小さな保管部屋。人ひとりが縮こまれば隠れられて、しかも誰も「証人がいるはず」と思わない場所。


 護衛が勇ましく一歩踏み込んだ直後、吊るしてあった祭布を頭からかぶった。もごもごと布を引き剥がす音が狭い廊下に響き、リュシアンが一瞬だけ目を閉じた。笑う余裕は誰にもないが、笑えないぶんだけ空気が妙に張る。


 扉の奥で、布の影が跳ねた。


「待ってください!」


 掠れた声といっしょに、細い肩が震えた。最後の証人だった。顔色は悪く、指先は冷え、けれど逃げる足力までは残っていない。脅されたのだと分かった。ここへ自分で潜ったのは間違いない。だが、自分でそうするしかないように追い込まれている。


「大丈夫です」

 私は膝を折った。

「もう、勝手に口を使わせません」


 その言葉に、証人の目が揺れた。泣く手前の揺れだった。

「見たんです……」

「何を」

「封を。提出前の束の、封蝋を。欠けていたんです。一度押したものを、あとから……その、押し直したみたいに」


 胸の奥で何かが、硬く噛み合った。


 欠けた証言、欠けた札、欠けた一行。空白ばかり追っていた線が、初めて欠けた封へ繋がる。


 リュシアンの左手が、わずかに止まった。怒っている。けれど彼は前へ出ない。私が次に何を問うか、待っている。


 それだけで、私は立てた。


「誰が触っていましたか」

「……名は、見ていません。でも」

 証人は喉を鳴らし、震える指で自分の手首を掴む。

「閉じ直すとき、皆さん、同じように左親指で縁を押さえます。でも、その人だけは、右から押していました」


 癖だ。


 人は嘘を覚えられても、癖までは変えきれない。


 保管部屋を出るまで、誰も余計な声を出さなかった。護衛が証人の肩に外套をかける。乾燥庫の細い廊下は、さっきより暗い。石床の冷えが靴底から膝へ伝わり、私は指先の力を抜いた。


 ここまで、だ。


 入室札だけが整っていた部屋。配食札の欠け。予備外套の抜け。そして今日、この小部屋の中の怯えた顔。どれも自然に見える形で積まれていた。人を攫ったのではない。消えるしかない場所へ、一枚ずつ追い込んでいったのだ。


「控室へ戻ります」

 私は証人へ言った。

「次は、扉の内側です。ちゃんと」


 証人がかすかに頷く。手首を掴んでいた指先が、ほんの少しだけほどけた。


 廊下を出ると、朝の光が変わっていた。石の白から、黄みがかった色へ。刻限が動いている。私はそこで初めて、ちゃんと呼吸をした。


 それと同時に、喉の奥が熱くなった。


 怒りだと分かった。安堵の直後に来るやつだ。誰かが、証人一人分の恐怖を材料にして、手順の穴へ押し込んだ。恐がらせれば消える、と踏んでいた。消えれば証言ごと消える、と知っていた。


 私の手が、持っていた二十頁の索引の束を、強く握った。


「……クランメール」


 リュシアンが呼んだ。声は低く、静かだった。怒りを飲み込んでいる声ではなく、怒りを整えている声だ。

「分かっています」

「俺も、だ」

「今は使いません」


 彼の拳が一度、固く閉じてから、ほどける。その仕草を横目で見て、私の中の熱さが少し整った。


 怒りは使えばいい。ただし、順番を守って。明日の場で、最初の一行が刺さったあとに。


「次は封を比べます。右から押した手を、帳面の中の癖と突き合わせます」

「……ああ」

「合えば、証言の意味が変わります」


 リュシアンは短く答えて、私の横に並んだ。廊下の突き当たりには、証人控室の扉が見える。今度こそ、きちんと掛かった入室札とともに。


 ただ、一つだけ、頭に刺さって離れない事実があった。


 昨夜確認した帳面の隅に、もう1枚、同じ払いの向きで止めを書いている署名があった。保護担当のものではない。まだ名前が出ていない、別の手だ。


「急ぎます」

 私は歩幅を広げた。

「理由は」

「右から押す手が、もう1人いるかもしれません」


 リュシアンの歩調が、わずかに変わった。


 廊下を急ぐ2人の足音が、石に吸われる。


 嫌なことは、いつも音より先に順番で来る。


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