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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第5部 監査・交渉・逆転加速 第12章 空白発見──保管庫が狙われる

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第53話 一本の鎖の終点はどこ

 壁は、嘘をつかない。


 前夜に見つけた釘穴へ、朝の光が細く差していた。

 煤の薄い板壁に、四角く色の違う跡がある。長く何かが掛かっていた痕だ。

 料理札ではない。もっと大きく、もっと多くの手を同時に動かすためのもの。


 配置表。


 私はその言葉を胸の中でだけ転がし、補助机へ木札を並べた。

 竈、水桶、油、配膳口、人の立ち位置。

 23日目の朝、何が半歩ずれて、小火へ至ったのか。


 昨日までの私は事故として見ていた。

 けれど今朝の私は違う。事故の前に、外されたものがある。消された順番がある。


「そこですか」

 ボルドーが背後で言った。

「ええ」


 答えながら、私は板壁に指先を添える。

 釘穴の間隔は掌ひとつ分より少し広い。高さは、立ったまま全体を見渡せる位置。油はねの跡が下へ流れている。

 現場のために掛けられていたものだ。見栄えの札ではない。


「釘穴は覚えてる。鍋より長く見てた」


 ボルドーが真顔で言った。

 私は振り返る。腕を組んだまま壁の染みを見ている。笑っていない。冗談でもない。

 現場で積んだ年数だけが物を覚えているときの顔だ。その記憶が今日の仕事に届く。


「時期は分かりますか」

「23日目の前週にはなかった。週明けに来たら、ない。それだけは言える」


 短い。だが十分だった。


 その横へ、別の札が音もなく置かれた。

 水桶。私は見上げる。

 リュシアン様は説明を求めない顔で、机の端だけを軽く押した。必要なものを、私より半歩早く寄越す。そういう助け方をする人だ。


「事故日と、写しが欠けた日を重ねます」

 私が言うと、彼は短く頷いた。

「一本になるなら、切れない」


 その言い方がひどく静かで、かえって胸に残った。


 木札を動線の順に並べていく。

 ボルドーが声だけで補う。水桶が先に詰まった刻、油差しが右から遅れた刻。私は写しを引いては木札と突き合わせ、崩れた順番を目で追った。


 配置表があれば、どこが詰まるかを事前に読める。

 だから誰かは知っていた。外せばどこが崩れるかを。


 監査机に戻ると、前夜に積んだ写し束が待っている。

 差し戻し印、封蝋控え、持ち出し札、照合欄。私は紙端を揃え、事故日と欠落日へ同じ印を打ちはじめた。


 昼を過ぎて、若い書記官が照合表を持ってきた。


「8日目、12日目、23日目。全部の前後に、差し戻しが集まっています」


 私はそれを受け取り、封蝋控えと重ねた。封番号の飛びも、同じ3つの日付に偏っている。


「封番号まで」

「……ええ。揃いすぎています」


 書記官の声が少しだけ低くなる。自分で並べて、自分で驚いている顔だ。


 そこで、何かが反転した。


 ずっと、散らばった証拠は弱い、と思っていた。

 釘穴も、差し戻しの偏りも、封番号の飛びも、それぞれ一枚では力がない。別々に見れば、ただの管理不全で片がつく。

 私は今朝まで、その薄さを怖いと感じていた。


 けれど今、逆に見えた。


 散らばり方が、揃っている。


 偶然の傷は、こんなに整然と同じ日付へ集まらない。

 ばらばらに見えた違和感が、実は同じ手が同じ判断で作った形をしている。散らばっているのではなく、散らばって見えるように動かされているのだ。


 胸の奥が、しんと冷えた。

 怒りではない。恐怖でもない。

 ただ、大きな何かが一本に寄った、という感覚だけがそこにある。


「抜かれたのは頁ではありません。順番です」


 声に出したとき、思ったより落ち着いて聞こえた。

 リュシアン様がこちらへ向く。書記官の手が止まる。ボルドーは机の端に鍋蓋を置いたまま、一度だけ頷いた。


「差し戻しは証拠を消しているのではありません。繋がりを見えなくしているんです。でも、揃えようとしたから揃いすぎた」


 散らばり方が揃っているなら、それは同じ手が動かした証拠になる。

 弱いと思っていたものが、見る角度を変えれば証拠鎖の芯になる。


 廊下へ出ると、足音の数が午前より増えていた。

 巡回より多く、偶然にしては揃いすぎている。私は手帳の端へ時刻を書いた。昼12つ。4名。向き――保管庫の方から。


 守りのための増え方ではない。

 近づかせたくない棚か、触れられたくない刻があるときの増え方だ。


 誰かが気づいた。こちらが一本線を引き始めていることに。


 夜、書記官が帰り、ボルドーも戻った後、私は一人で机に残った。


 積み上げた写し束に、今日の作業の跡がある。

 差し戻しの偏り、封番号の飛び、木札で再現した動線崩れ。全部が一本線で読める仮説が、今日の作業で成立した。


 ならあとは終点だ。

 鎖の先が誰の名前に届くか。そこまで見えれば、弱かった証拠が初めて人の前に立てる。


 帳面を閉じたとき、廊下から音がした。

 保管庫の前の石床が鳴っている。夜のこの刻に、あそこを通る必要はない。


 私は廊下を見た。誰もいない。足音だけが遠ざかる。


 鎖の終点へ近づくほど、保管庫の前だけ足音が増えていく。

 その足音が今夜も動いているなら、明日に見るべきものが、もうそこにある。


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