『Log_1』
『特別』とは?
人が持ちうる才であり、世界に一握りしかいない、天才。
あるいは、天文学的確率で持ち合わせた、どうしようもない不運。
そして彼女は知っている。
自身が、『普通』だということを。
彼女はどちらも持ち合わせてなかっただけ。
天才でもなく、馬鹿でもない。正しくもないし、間違いでもない。
まさにそれは幸運だった。
だが、認めてはいない。
彼女はそれを『不幸』と考え、その幸運を一生背負う枷として捉えている。
「私、岸 星煌は、普通の公立高校に通う、ただの一般人"だった"」
きっと書き出しは、そうなるだろう。
そうした、ただの分岐点_│
――2025年 5月中旬 回想
「いってきます」
いつものあいさつを言う。
玄関のドアノブに手を添え、ドアを開く。『いってらっしゃい』なんて定型文は無い。
外は快晴。青い空に輝く太陽が肌をじりじりと焼く。確か気温は二十……いくつか。
二日振りに出た外は、自身が運動不足だということを痛感させてくれた。まあ、五月にしてはやけに暑かったが。
いつもなら電動自転車なのに……昨夜充電するのを忘れていた。そのことを後悔しながら、歩き出す。
そんなつまらない事をただ頭で考えて、終わり。
考えるのは好きだし、喋るのも嫌いでは無かった。
……
※「岸星煌という人物に対しての偏見。解釈。あるいは感想について考えよう」というメモが貼ってある。
誰が書いたのかは不明だ。
岸、せいか、星煌。
昔から、私は天才に憧れていた。
天から才を授かり、その能力を遺憾無く発揮する、そんな、言葉通り人に。
例えば、色んな部門で活躍するオールラウンダー。なんでもできて、不得意な事なんて無い。
それか、一つの分野に特化している人。
運動神経がずば抜けて高く、昔から動くのが大好きな、約束されたオリンピック選手。
そうだ。その能力に才を持って生まれた、輝く人生を持った人間に憧れていた。
誰だって、一度は思うだろうし、願うだろう。『自分も、あんな才能があったらな』と。
私も、例外じゃ無かっただけ。
……羨ましかった。
『天才』がどれだけ輝かしいものであるかは、痛いほど分かっていた。
『目を背けようと必死だったくせに?』
……
なぜ、私はそれを見ることしか、憧れることしか出来ない?
簡単だ。私は、『努力』が出来なかった。自分でも自覚できる程に、怠惰であるのだ。
何かを頑張ろうとすると、手が、体が、脳が動かなくなる。努力という行為に拒否反応が出ているのだ。
そんな、ネットで公表すれば叩かれて炎上し、火炙りにされそうなそうな現象に陥っている原因は明らかだった。
昔、学校であまりに勉強がしたくなさすぎて、テスト直前まで勉強せずに期末試験に挑んだことがある。
点数が落ちても良かった。そしたら自分が今までした努力が証明出来るから。
『あぁ、やっぱり勉強は大事だな』って、『努力は大事だな』と納得して、頑張れるから。
たとえそれが嫌だったとしても、考え直して机に向かえるから。
そしたら、前学期と点数がほとんど変わらなかった
自分でも驚いた。
今まで散々努力して取った"平均"が、『何もしなくても』取れるのだから。
その時の感情は絶望、というより失望の方が正しいだろう。
私はそれをズタズタに引き裂いて、シュレッダーに掛け、すり潰して……そして、ゴミ箱の中へと入れた。
そんなことが過去にあった。
だから、努力をやめた。
いや、やろうとしても出来なかった。周りから同情されそうな言い方だと、一種のトラウマとも言えよう。
少しでも、頑張ろうとすると。
一歩進んで、そこから動けなくなる。
どれほど努力すれば、追いつけるのだろうか。
そんな、遠い遠い光を追いかけられるほど強くはなかった。
それに努力しない方が、"苦しくない"から。大金を稼げなくとも、生きてさえいれば良かったから。
流れに身を任せた。敷かれたレールの上を歩きながら、いつか自分の元へもトロッコが来ることを信じて。
『一体何故、勉強がしたくなかったんだ?』
……
そして、努力なんてしもしないくせに"特別になりたいと願う自分"がいる。
……いや、努力をしたくないからそう願うのか。
そんな汚い自分を呪った。けど、言い訳なんてできるほど"可哀想"な人間ではなかった。
なんせ私は、なんの欠陥もない『普通』だから。
ただの一般人。貧困でも裕福でもなく、障がい者ではなく、戦争も経験してない、ただの、普通の。
その普通が何よりも尊いものである事を知っていた。
だが、認めたくはなかった。
まだ学校まで道のりは遠い。誰一人いない、木に囲まれた暗い道を歩くのはそれほど好きではなかった。
『ほんとに、それだけ? なら、なんであなたはこんな道を歩いてるの?』
……
今までのはただの"前座"だ。『岸 星煌』がどんな人物であり、どれほど『普通』かを知るための。
天才。それは"氷山の一角"でしかない。
氷山が沈んだ深い海の底。
それを更に潜るなら、特別だ。
特別なら、"なんでも良かった"
生まれてからずっと左利き、ますかけ線が両手にある、親が社長でお金持ち……
二重で目がくっきりしてる。手の指が細い。声が通りやすい。記憶力が良い……
私は何も持ってなく、同時に失われた全てを持っている『普通の人間』だったから。
『このまま、生きていくのか』
……その憧れは、異常と呼ぶにふさわしい所まで来てしまっていた。
先程上げた小さな特別。
それが前向きでなくとも良い。
私は、生まれながらに足が不自由な人を、『可哀想』と思える。
できる限り支えてあげたいと、行動もできる。
階段を上るのが困難なら肩を貸し、斜面が急であるならば車椅子を押す。
可哀想だ、可哀想だな。
代わってあげたいな。
私が代わりに背負うから。
あなたは、素晴らしい世界を生きて欲しい。
世界はこんな醜くない。あなたは自由に羽を伸ばして、どこまでも行けるんだって。
その感情は、その人が『可哀想』だから?
違う。
そうだ。酷く『羨ましい』と思うから。
その精神状態が、手の無い身体が、失われた視界全てが、全部全部……欲しかった。
だって、そうすれば普通じゃないし。
それは、他人を支え続けてあげられるような慈愛の精神ではなかった。
強烈な自己嫌悪から来る妬みだ。
肺が悪いなら臓器を移植し、身体が悪いならその病を代わりに背負い、目が見えないのなら私の眼球を差し出したかった。
周りからの評価など関係ない。自分が特別であると『自覚』できたら良かった。
他人とは明確に違うナニカ。努力をしなくとも生まれながらに得られる特別。
(そうすれば私も……)
脳内会話を続ける。答えは帰ってこない。
当然だ。脳内にいる私に、その答えを知っているものはいなかったから。
……
『そう考えるのはおかしい?』
『……いや、おかしくなんてない。誰だって考える』
『そうだ。私は普通なんだから。何をしても、いや、そもそも土俵にすら』
『それを持ち込むのは違うだろ。結局は努力しなかったのが悪いんじゃないか』
『違う! もっと何か経験してれば変わったはずだ!』
『そもそも』
『その思考こそが』
『大体』
『認めたくないだけで』
『原点は』
『本当のお前は』
『最初の原因は』
表彰台の上に立つ人物を見る。
カメラはフラッシュが炊かれ、マイクを持った人物が懸命に話し掛ける。
辺りは紙吹雪が舞い、上に立つ人物の首からは幾つものメダルが輝いていた。手にはトロフィーが抱えきれない程溢れ、その笑顔は光にも劣らない程眩しかった。
スポットライトが当たる。その横に立つ私には、当たらずに。
全てが、横に逸れてゆく。
兄は、天才だった。
……
「……うるさ」
そう言って考えを中断しようと、ひたすらに地面の石の数を数えた。
それが岸星煌の人物像だ。
天才に憧れる、ただの平均以下。
自分を客観視できるのに、自身のことはイマイチ分からない。
その思考は矛盾だらけの、『一般人』
死にたいとか消えたいとかの感情を抱えているのは、私だけではなかったから。結局みんなそう思ってて、そっちの方が普通だって。
どんな『選択』も、世間とっては『当たり前』で。
そんな光に目を焼かれて、何も見えなくて目を被った。
暗闇の中、下ばかり向いて歩いてる人生だったから、空の異変なんかにも気づかなくてさ。
空は変わらず眩しくて。太陽も星も、何もかも。
地に伏した地面にいる私を焼き殺す程に。
――瞬間、世界が変わる。
記録:記入 星煌




