Log_17
空白になったページがある。
それは過去にたしかにあったもので、存在はしているが、踏み込むことができない。
けど、それには続きがあった。
ページをめくる。絵本のように陽気に、ハッピーエンドで、幻想的に。
さあ、久しぶりにゆっくり喋ろう。美味しい茶を注ぎ、思い出を再生しながら。
その記憶はツギハギだが、完全になくなったわけではない。
真っ白に塗りつぶされたその空間の中で、彼は空っぽのカップを飲み干すフリをした。
いや、確かに飲み干そうとしたのかもしれない。
無意識の記憶であり、それは根源_│
全ての人間が去った後、残ったのは二人のみ。
凜々の両手から素早くダガーナイフが投げられる。
それは照井の横を通って木に突き刺さり、次々に穴を開けていった。
それと同時に凜々が接近し、ナイフで首を狙ってくる。
照井はそれを後ろに避け、距離を取ろうとする。
それは彼女がいつも大事に把持していたものだ。照井の記憶では、凜々は戦闘をする際は必ずそのコンバットナイフを使っていた。
心臓を狙ってきた殺傷力の高いナイフを、照井は身体を身体を捻り避ける。
「久しぶり」
「前に殺しに来てくれた時以来かな?」
照井は相手の気を鎮めようと、優しく確認する。
凜々は、これまでにも照井を何度か襲いに来ている。
その度に照井は鼻歌を歌いながら薄暗い庭先で一人絵を描いていた。凜々の事など、眼中に無いほど夢中に。
極限まで薄めた殺気で不意打ちをしても、爆弾を体に括り付け特攻しても無駄だった。
「殺す」
そんな照井の言葉を切り捨てる。
凜々の頭は復讐でいっぱいだった。
なぜそれほどまでに照井を殺したがる?
それは、家族を失った彼女が唯一体を寄せられる場所だったから。
凜々はその才能のせいで、視界内に入る嘘が全てわかる。常に空間が捻れるのは、気分が悪い。
拠点が都心部から遠く且つ外に出る機会がそこまで多くないこの委員会は、凜々にとっては居心地の良い家だった。
そして、仲間にも恵まれた。
一緒にいた期間は僅か半年ちょっとだが、その数ヶ月で彼女の心は十分なほど救われた。
そしてカサブタになりかけたその心を、痛みを気にせずに全て剥がした。
凜々はただ、嘘にまみれたそいつ人生を終わらせたいだけ。
元々嘘を付くことが少し多い性格なのはチャーム越しで知ってはいたが、それが真実になるのなら話は別だ。
直接現場は見ていない。凜々はこれが終わったら、一切嘘をつかせずに真実を吐き出させるつもりだ。
「随分と情熱的だね」
「落ち着いてよ。本当にこのまま、怒りに任せて殺しちゃっていいの?」
照井は右手をポケットにしまいながらいつの間にか取り出した筆を指でクルクルと回す。
「……聞きたいことがある」
凜々は冷静さを取り戻した。照井しか映さなかった暗いその瞳は、次第に自身の思考を映し出す。
「なんでもどうぞ」
その言葉に甘え、凜々はナイフの裏側を照井の首に当て、問いかける。
「お前は、今まで何を?」
第一の質問。照井穹が、この期間何をしていたのか。
「ご覧の通り、委員会の顧問を」
「それは、前回の時と一緒だろう?」
凜々は以前の出来事を思い出す。この十数年間の内、照井と出会った数日を鮮明に。
「会う度にすっとぼけ、知らないフリをしていたお前が、今回は覚えているんだな」
少し前の話だ。
叶御の事件に関して、毎回『知らないふり』をされた。
そして、不思議とそれは嘘ではなかった。
凜々は不思議に思った。
確実に照井は覚えているはず。彼はその当事者であり、彼も忘れたくない出来事だからだ。
「何を聞いても、覚えていない。知らないと言って、すぐに逃げたお前が」
「今回は逃げずに、昔のまま、堂々と」
過去の面影を重ねる。その面影さえ嘘にまみれていたのだと思うと、どうしようも無い感情に包まれる。
( 馬鹿だな、私も )
凜々は自分のことを卑下し、歯を強く噛んだ。
「事情があってね『その時の記憶を、一部失っていたんだ』」
やはり、その言葉に嘘はない。
「記憶を……?」
「うん。『過去の事を、全て忘れていたんだ』」
唐突に告げられた真実。いや、記憶喪失だったのなら真実を告げられないのも当然だ。
優しい笑顔で打ち明けた。
『知らないふり』ではない。照井はその事件を知らなかったのだ。
「つまり、今まで」
唇が震える。
「彼らっ、彼らを忘れていたのか!?」
凜々は激しく非難する。腕を震わせ、怒りを顕にした。
通りで襲撃をした際、必ず困惑した顔で対応され、逃げるわけだ。
「どうしてだ、なぜ、そんな真似を!」
ナイフを押し当てる腕に力が入る。手汗がナイフに滲むほど、強く固く握りしめた。
「事故かもしれないのに、僕が何かをしたんじゃないかって疑うんだね」
「まあ、当たりだけど。相変わらず鋭いね」
目が光らなかったのでチャームを使っていないことはわかるが、それにしても異様に観察眼が良い。普段から嘘を見抜いているせいだろうか。
「けどね、ちょっと違う」
「『忘れていたのか』って言ったっけ」
「違うよ」
そう言って彼は、短く結っていた髪をほどく。
凜々の攻撃を受け止めている内に、いつの間にか拠点の前まで来ていた。
髪が重力に従ってはらりと落ちる。その姿は、過去の照井がそこに居ることを証明した。
重なっていた面影が、一体化する。
過去から、そこから、何一つ変わらないまま。彼は今も芸術を探し求め、凜々はそんな彼の後ろを追う。昔も今も、それは同じことだった。
「違う」
彼は、それを否定する。優しくではない、はっきりと、断言を。
「ただ、」
髪ゴムを、地面に落とした。
照井はその光景を見て不意に、叶御のシュシュを思い出した。
( どこかで見たと思ったら、彼女の腕についてるのか )
凜々の左腕を見ながら照井は口角を上げ、簓に真実を口にする。
照井は、どうやって記憶を失った?
簡単なことだ。
「忘れているんだよ」
「記憶を、記憶を削除し、て二度とアクセスできないように」
残っていた右目を閉じて、両手を広げた。
「......『偽造』か」
考えればわかることだ。嘘を本当にする彼の才能があれば、記憶の一つや二つくらい消すのは容易だ。
『偽造』
その才能で彼は過去の記憶を水に流した。
「『時空間調査委員会の出来事、全てを忘れろ』ってね」
だから彼は覚えていなかった。あの半年間を、照井は無かったことにした。
そして残念だが、一度見抜かれた嘘はもう一度偽造できない。
「そうだよ。全部、ぜーんぶ忘れてたのに」
Log_6で、そのニュースが流れてきた時のことだ。
適当に話題を振る少年少女と、記憶を撃ち抜かれた照井。
なぜ、凜々と直接会っても記憶は戻らなかったのに、間接的な話題で思い出した?
忘れることで存在を消す。それによりアクセス不可になっていたのにも関わらず、なぜ思い出せた?
身近な人間がいくら問いかけ、必死になろうと何一つ思い出さなかったのに。
記憶というのは、『ふとした時に思い出す』ものだ。
照井は、油断をしていた。
凜々と会った時は驚愕した。突然攻撃され、「『そんな記憶がないなんて、馬鹿なことを抜かすな』」なんて言われたら、警戒するのは当たり前のことだ。
だが、あの時はどうだ?
ただの日常のLog一つ。その話題を振られ、そうなんだと返し、
( そういえば、再生のメンバーの…… )
なんて書き出しで、すぐに思い出した。
「別にいいけどね。結果的にこうなる予定だったのなら、前に思い出しても今思い出しても変わらないよ」
照井は何度も襲い掛かってくる後輩を見ながら、先の未来で自身が記憶を再生する様を想像した。
凜々はその答えを飲み込んだ。その真実が顕になったことで、聞きたいことが増えた。
「それでも、その芸術への信念は消えなかったのは、何故だ」
照井があの時記憶喪失であったのなら、何故あのような、"殺人現場"を彷彿とさせるような風景を描いていた?
あの事件の時にその芸術に魅せられたのなら、それが無ければ普通の絵を描いていたはずだ。
昔と、同じように。
「偽造ってのは、あくまで偽物であり、本物には叶わない」
どれだけ偽物であろうと、どれだけ偽造しようと、それは決して消えない。
「僕のこの心の根源にあった美は、どれだけ忘れようと残るんだ」
照井は左手を心臓のある胸に当て、躁状態なのか楽しげに笑って見せた。
彼はどう足掻こうと芸術家からは抜け出せない。
記憶に残らずとも、心には焼き付いた。
あの時、あの瞬間。心臓が貫かれた、生命活動が停止した、輝きを。
「あぁ、やはり。貴様は、死ぬべきして死ぬ人間だ」
「仲間を見殺しにした過去を償わず、それすら忘れてぼやけた記憶を頼りに死という芸術を追い求める」
何たる暴食である。全てを追い求め、観察する様は悪魔のようにも見えた。
凜々は愉しげに話す照井を見て心底呆れ、投擲用のダガーナイフを取り出す。
「その右目も、潰してやる」
※『容姿を記述していなかった。文字で全ては表せないが、書くのにはベストタイミングだろう』と、付箋が貼ってある。
照井の容姿。背が高く、白髪で襟足を長めに伸ばしている。
右目には半月型のモノクルを付け、常に丈の合わないエプロンを着用している。
そして、左目が前髪で覆い隠されている。
これは、前回襲撃時の凜々からの贈り物。
そして、凜々も同じところを怪我している。
左目を潰された照井は新しいインスピレーションを得た。それを実行するために、同じように左目を切り裂いた。
声を上げ、叫びたくなる程の強烈な痛みだった。と、凜々は記憶している。
左目を切りそろえた前髪で隠し、蝶の形をした髪留めをつけている。これは、蒼穹と江汐からの贈り物だ。
これまで一切傷を与えず怪我をしなかった照井は、その攻撃を受けた?何故傷を残した?
それは、怒りに身を任せた一撃が、美しかったから。
凜々は斬りかかった。最後の一撃を、力に身を任せ、憤怒に包まれた心を燃やしながら。
それに照井は"見惚れた"。避けるのを忘れ、その一撃をモロに食らった。ナイフは深くまで刺さり、救護委員会での治療は三日三晩続いた。
「さすがに両目が見えなくなったら困るかな。絵は耳では味わえないから」
照井は右手に迫り来るナイフを寸で避け、凜々の右手からナイフを無理やり落とす。
ナイフは音を立てて凜々の後方へと吹き飛んだ。だが、彼女は羽織った布の裏から新たしいナイフを取り出し、それを構える。ストックはまだあるようだ。
「僕も質問をいいかなんで、僕以外も?」
照井は戦いに行った三人のメンバーを思い出す。
親は親同士で、子は子供同士でそれぞれの決着をつけに行った。
「放っておいたら、貴様はその子達を見殺しにするだろう?」
「流石、よくわかってるね」
「元々はそんなつもりではなかった。だが、お前は知らないだろうがこの前偶然出くわしてな」
Log_11での出来事。
凜々は見た、時空間調査委員会と付けられた腕章を、武器を背負って仲良さげに話していた三人を。
「そのまま聞く。なぜ、今になって人が入ってきた?」
「いや?人は入ってきたよ」
「み~んな、死んじゃったけどね」
その空白の十数年間。
人は送られてきた。指導者からは『上手く使え』と言われて。どうせ、行く末なんて見ていないのに。
だが、その人間は全て死んだ。
実力不足で、迫り来る敵に対抗できずに。
そして、その人間が死んだと報告書を出しても、返ってくるのは「『そうか』」の一言のみ。遺族からは、殴られる事も裁判を掛けられたこともあった。全ては認めてしまった、己の責任なのに。
「……やはり、噂は本当なのか」
『時空間調査委員会に入った者は、別の世界へと飛ばされる』
という噂。この委員会がやけに少数精鋭なのは、きっとこの噂が出回っているせいだろう。
「知ってたなら、聞かなくてもいいのに。こうして傷ついちゃうんだからさ」
照井は凜々の顔を見る。彼女はは自分の唇を噛み締め、照井の顔を睨んでいた。
「なぜ殺した?」
「いや?殺してはないよ。ただ『事故』でね」
「......見破られるのをわかっていながら、なぜ噓をつく」
空間が歪んだ。
凜々はナイフを空中で一振し、そのまま照井の頭部へと投げ込む。残念ながら、狙いは逸れた。
「僕は本当ににそう思っているからね。まあ、現実との差異のせいで噓だと判断されちゃうけど」
照井は少し不満気に言った。
彼は嘘をつきやすい性格ではない。むしろ彼は、正直者だ。
ただ、自分の思っていることが嘘なだけ。彼は思ったことを、やったことを正直に話す。それが『悪』だと思い込んでない為。
「客観的に見て本当のことを言うと、助けなかったからね。そうしたら、勝手に死んでいくから」
助けてなんて悲痛な声で叫ばれようと、照井は何もしない。彼はただそれを記録するだけであり、死んでゆく人間を観察するだけ。
それを目に焼き付け、事後処理が面倒だから穴へと放り込む。『穴へ連れ去られ、別の世界に言ってしまった』と嘘をついて。
「あの三人も、殺すつもりだろう?」
「自分で殺しはしないよ」
首を横に振り、それを否定する。その言葉は嘘ではなかった。
「だって、何も介入せずに"自然"に飲まれた方が、美しいだろう?」
彼は殺人犯になっても、自身の芸術の在り方を語る。それは愛しいから人を殺した、悪意の在り方が歪んでいた殺人犯のように。
( 自身が死ぬように誘導して起きながら、それが自然というのか )
照井の芸術へのあり方は到底理解でき無いものだと、舌打ちした。
「しぶとく生き残ってるけどね。昔とは違って、みんな強くなったんだよ」
珍しく半年程持っている二人を思い出して、照井は少し残念がった。
そのチャームのせいで全ての技術が高水準な諒。
彼は送られてきたのではなく、自ら申告してこの委員会に入ったのだと言った。
そして全てが謎に包まれている心。照井と同じく、記憶が欠如しているのにもかかわらず戦闘に関しては誰よりも強かった。
「ただ、星煌ちゃんは違うけど」
「ぽっくり死にそうなのに、なんだかんだ生き残ってる。まあ、1ヶ月程度じゃ死なないか」
そして、星煌。
基本的に戦いが出来ないため前に立たない。
余程死ぬのが嫌なのか、毎度遠くにいる照井の横にわざわざ立ってカメラを起動している。
「一ヶ月……?今は六月だぞ?」
「あぁ……なんでもないよ、後輩ちゃん」
疑問を持たれた凜々に問いかけられる。彼女はそれを見過ごさないだろう。失言だったと、照井は反省する。
( そういえば、星煌ちゃんは異世界人だったな )
すっかり馴染んでいるその姿は、まるでこの世界に最初から居たようだった。
「そっちこそ、見ないうちに教え子ができたようで何よりだよ」
照井はそれを追求されないよう、相手が食いつきそうな話題を選ぶ。
「貴様に心配される義理などない」
そう言って足先に投げられたナイフを足を上げ避け、回収する。
「思い出話でもする?あの時聞けなかったら、過去のこと」
そのナイフを手に取りながら、照井は更に会話を深めようとする。
「今更事実は変わらない。貴様が仲間を助けず、芸術に魅入ったことは」
ナイフが交わる。金属音が鳴り響いて、遠くの鳥が羽ばたいた。
「それ以外のことだよ。例えばー……穴のこととか、あぁ、今のメンバーについてとかでもいいよ」
凜々は嘘が嫌いだ。だからこそ全てに問いをかけ、全ての真実を明らかにしようとする。
だから彼女が知らない話題を振った。振った、はずだった。
「もう既に、穴の正体はわかっている」
今は所属メンバーではない彼女が、穴の正体を判明させた。
「時空間調査委員会の現在の所属メンバーについても承知している」
「へぇ、凄いね」
照井は目を見開いた。さすがにそこまでは予測できていなかった。
詳細は分からない。なぜ彼女が、穴に関して何一つわかっていない状況から真実へとたどり着けた?
その才能のおかげか、はたまた出来た仲間のおかげなのか照井には分からなかったが、その話題には興味がなかった。目的は、話題を逸らすことだったから。
凜々は木に突き刺さったナイフを回収して、それをまた目元へ投げる。
照井はその姿に、少しだけ思った。
「やっぱり、凜々ちゃんは昔から変わらないね」
と。
全てを知りながらも変わらないその性格。
言葉遣いは多少荒くなったが、『仲間』の為に復讐をしようとするのは、やはり根源は優しさで溢れていると言えるだろう。
「あの時と、同じまま」
「僕と同じで、そこから抜け出せないままで」
二人の影が過去へと変化する。
あの時と何一つ変わらない性格。身長。利き手、ナイフを投げる時の癖、避けるときの表情。
全ては変わってしまったように見えたのは、ただの嘘。本当は、何も変わっていなかったのかもしれない。
「たしかに、そうかもしれない。だが、悪いな。私も確かに引き摺っているが、その沼から抜け出せていないと言えるのは、貴様の方だ」
照井は少し驚いた顔を見せる
自覚していないようだ。自身が過去に囚われていることを。
「私は、過去という記憶を、復讐とともにお前へ燃やすだけ。ただ、お前へ仇を打つのみでも、私はそれだけに執着をしていない。」
「樺澤凜々には、『家族』がいてだな」
「もう二度と失うことをせず、守り抜くと決めたんだ」
あの時は、守り抜けなかった。
末っ子というポジション。守るには幼すぎる勇気。足りていなかった技量。
だが、今は違う。
凜々は全てを守るため、努力をした。組織をたち上げ、幼い子を救った。
全ては救えなかったが、会う度に抱きついてくるその姿が、凜々の心を癒した。「『あぁ、助けられてよかった』」と。
大切な、大切な二人を思い出す。楽しそうにはしゃぐ姿は、過去の傷を癒し、過去にしか縋れなかった彼女を、前へ、未来へと向かせてくれた。
「だが、お前はどうだ?」
「その芸術にしか縋れずに、過去へと足を向けるだけ。二度と、戻れやしないのに」
ナイフを向ける。二人は似た元同士に見えて、何も同じではなかった。
「そっか」
「失いたくなかったのは、それを大切に思っていたのは、僕も、同じだったのか」
大切に思っていた。"失いたくなかった"からこそ、『失った瞬間が美しかった』のか。
あの時流した涙には、悦びだけではなく、悲しみも含まれていたのか。
ようやく理解をする。とっくにわかっていたと思っていたのに、何一つわかっていなかった。長い事年月が経ちすぎて、周りに目を向けすぎて、自分の事は、理解しようとせずに。
照井は記憶を失っていた間、何を求めて芸術を続けていたのだろう。
満たされない欲を探し求めながら、その心にある記憶を再現する日々。
物を壊し、押し花を作り、死んだ猫の毛で刺繍を作った。
なぜ、苦しむとわかっていて記憶を消した?
『自分の記憶を犠牲にしてでも、その瞬間の芸術を味わいたかったから』
今なら彼は、こう言うだろう。
だが、実際はどうだった?こうして、動けないまま立ち止まって、求めようとした光は、闇夜によって閉ざされた。
だからどれだけ入ってきた人を見殺しにしようと、あれほどまで心を焼かれなかった。再現をしようと、記憶を取り戻すことはなかった。
照井は死ぬ瞬間を美しいと確かに思っているが、別に死ぬ瞬間にこだわってなどいない。
少しの日常を愛おしいと思う。そこだけなら、ただの一般人と何ら変わりない。
それを彼は強く思っていた。だからこそ、死ぬ瞬間に人一倍心焼かれたのだろう。
それを自覚できていなかったから、こんなに沢山の、"関係の無い人"人を殺す羽目になったのだ。
照井は真実に気付いた。普段しないような呆けた顔をして、自身の頬をつねっている。
その感情を、どのような表情で処理をしたら良いか分からなかった。
その姿に凜々も少し戸惑った。一度も見たことのないその姿に、なんて話しかけたら良いか分からないままナイフを構え続けた。
照井は、解決策として他の話題を提案することにした。
お得意の嘘だ。取り敢えず他の話題へ持って行き、今の話題を忘れさせる。
それに一番効果時な話題を考えた。
一度も話したことがなく、且つある程度思考する時間をくれるもの。
「僕のこと、好きだったんでしょ?」
「は?」
照井は自分のことを指さしながら首を傾げる。
突如投げ出された阿呆な話題に、凜々は大きく口を開いた。
カラスがカーカーと鳴き、バサバサと音を立てた。
「キュートアグレッションってやつかな。こうして君が僕を傷付けたがるのも」
照井は自分が攻撃されている理由を、"復讐"だってこんなに沢山言っているのに理解していないらしい。
うんうんと頷いてその好意を受け止める。過去の凜々は照井にべったりであり、恐らく全員がその好意に気付いていただろう。
そして、全員が( なぜ、あの男を選ぶのか )どドン引いていただろう。
「誰が、貴様みたいなやつを」
その言葉を怒りで返し、可能な限り罵倒をしようとする。
だが、その策略は失敗に終わる。
「僕も好きだったよ」
「……はぁ?」
ナイフで斬りかかろうとした凜々はもう一度口を開き、先程より大きな声を出して返事をした。
初めて明らかになった事実。いや、そもそもこの男に『好き』なんて感情があったのか。
「君が初めて見せたその憎悪。その感情を抱くのはごく自然で、とても美しかったよ 」
照井はようやく自身の感情に折り目をつけたのか、うんうんと頷いてまた自身の芸術論を語り出す。
どうやらこの男は凜々のことが好きらしい。
彼は記憶を消して忘れていたくせに、取り戻した今になって凜々のことが好きだと言い出した。とんだ放置プレイだ。
「自惚れるのも大概にしろ」
そういった凜々の耳は、少しだけ赤くなっていた。
その発言からわかる。どうやら彼は、本当に自分のことが好きであると。
確かに凜々は彼のことが好きだった。そして両思いだったことが判明した。だが、残念ながら今ではそうではない。
( 自分勝手で好き放題するこいつの事を誰が好きになるか )
そういうのはもう少し早く言えと凜々は思いながら睨みつけた。
凜々もまた、自覚していないらしい。
彼女がこんなに照井だけに執着するのは、『復讐』のためではなく『後悔』や『愛着』もあるということを。
「そっか」
そう言い放って戦闘を続けようとする姿に、凜々は少しだけ躊躇った。
躊躇ったその姿から読み取れる。今の凜々には確かに、昔の好意が残っていたのだろう。
ずっと昔から聞きたかった、答え。
今なら聞ける、今しか、聞くことはできないその真実。
凜々はその姿に少しだけ甘える。重なった過去の影が、さらに深くなった。
「どうしてなんですか、」
「なんで、なんで助けなかったんですか」
すこし涙ぐんだ声で凜々は問いかける。今まで眉間にシワが寄り、常に相手を威嚇していた顔は変わり、昔のような優しい顔になった。
分かり合うことができたはず、叶御が犠牲になる前にわかっていれば、メンバー達はそれを受け入れることができたはず。
( でも、そうは出来なかった。許されなかった )
そうして私達は、唯一覚えていた二人は決別したまま、今日まで殺し合いを続けた。
凜々は最後の希望に縋る。彼女はずっと、殺すのを躊躇していた。
ナイフをわざと逸らし、殺すと言いながら狙うのは急所ではなく、ギリギリ生き残れるところばかり。
何故?『好きだったから』だ。その姿が嘘に包まれていても、優しかった彼の姿が。
だが、現実はそうはいかない。
「諦めよう、凜々」
「僕たちは、どう頑張っても"分かり合えない"んだよ」
価値観の違い。感受性の違い。たった一つの出来事から生まれた、取り返しのつかない過ち。
照井と凜々は違う。凜々は正義の人間で、人を助けるために生まれ、人に助けられるために生きる、善の人間だ。
だが照井は悪側の人間で、人を騙すために生まれ、それに悦を見出すだけの、ただの地獄に落ちる人間だ。
その言葉に凜々は目を見開き、少したった後、少しだけ俯いた。
そして、誰にも聞こえない声で、小さく呟いた。
「そっか」
「ぜんぶ、全部……」
「間違いだったのか」
何かを確信して、ようやく凜々は覚悟を決める。
覚悟は決めたと口には出しても、心はそれを肯定していなかった。
だが、その言葉を聞いて。この瞬間から、ようやく凜々は心置き無く殺せるようになった。
「うん。……殺そう」
凜々は零れ落ちようとした涙を拭う。
忘れられた時、その口から『誰』と言われた時、少しだけ、寂しかった。
彼女は今一度覚悟を決め、ナイフを二本ずつ指に嵌め込む。過去との決別の時だ。
聞きたかったことは全て聞けた、これで未練はもう無くなった。
「お前を、殺して。あの、先輩たちの仇を……!!」
言葉は強くなる。
そうしてまた斬りかかろうとした、その時。
「はーいそこまで」
玄関から都心部へと通ずる道から、男の声がした。中止するように手を叩き、足音をたてながら飄々と歩いてくる。
気付けば時刻はもう夕暮れへと変わっていて。
「で?この状況、誰が説明してくれる?」
男が二人の前で立ち止まる。辺りは無数のナイフが突き刺さっている。
なのにも関わらず、ケガをしていない二人を見て、彼は溜息をつきながら説明を求めた。
その男の世間での名は、『指揮官』
彼が、部下を引き連れてやって来た。
記録 : 記入 凜々 穹 星煌




