第155話「散らした者」
リディアへの道は、来た道の一部と重なっていた。
〈星の間〉から逃げたとき、俺たちは北へ抜けた。今度は、その道を逆に辿る。逃げた道を戻る。あのとき背に庇っていた子供たちを、今度は探しながら。
妙な旅だった。俺が散らした子を、俺が探す。あのとき、この同じ景色を、俺は後ろを気にしながら通り過ぎた。追っ手の気配を、足の裏で探りながら。今は、前を見て歩いている。同じ道が、逆から見ると、まるで違う道のようだった。
四十七人を大陸に撒いたのは、リディアを発つ夜の、俺の判断だった。名前を変えて、方々へ。どこにいるか、誰も知らないようにした。知らなければ、教会に捕まっても吐けない。子供たちを守るための、散らし方だった。
だが今、その散らし方が、俺の首を絞めていた。守るための散らし方が、探すための壁になっていた。
◇
手がかりは、ニラの手帳しかなかった。
四十一人分の、爪で刻まれた名前。〈星の間〉の壁に、子供たちが、消される前に必死で刻んだ名。ニラが、それを一つずつ写し取った。だがその名前も、もう使われていない。運び屋が、新しい名前を与えて散らした。元の名前で探しても、誰も知らない。刻まれた名は、過去の名だった。今を生きる子は、別の名で、どこかにいる。
「難しいわね」とニラは、荷馬車の上で言った。「元の名前は分かる。でも、今の名前が分からない。……名前を変えられた子を、元の名前で探すって、影を捕まえるみたい」
「一つだけ、手がある」とヴァンネスが言った。「運び屋だ。子を散らした運び屋を、辿る。……あやつらは、どの子をどこへ送ったか、覚えておるはずじゃ」
◇
「運び屋が、喋るとは思えん」とコッツが言った。
元・盗人のコッツは、そういう連中の口の堅さを知っていた。子を売り買いする稼業は、口を割れば命がない。金でも脅しでも、簡単には吐かない。
「喋らせるんじゃない」と俺は言った。「見つけるだけでいい。運び屋が、どの街へ通ったか。その足取りを追えば、子が散った先が、絞れる」
狩人の考え方だった。獲物を追い詰めるのでなく、足跡を読む。運び屋という獣が、どこを通ったか。糞と、寝床と、水場を読むように、街と、宿と、金の動きを読む。じいさんが教えてくれた読み方だ。丘で取り戻した、その記憶が、今、役に立っていた。忘れていた師の声が、俺の中で、もう一度狩りの手順を教え直していた。継がずに、受け止めて、取り戻したもの。それが、この旅を進める力になっていた。
◇
最初の運び屋の名は、メルクで聞いた。
メルクで世話になった記録係のトゥーレが、覚えていた。〈星の間〉へ子を送る途中の街道で、子を受け取り、散らした男。ザドという名の運び屋。北の街道を、主に使っていた。
「ザドなら」とトゥーレは言った。「三月前、東の塩街道で見た者がおる。今も、生きて、稼いでおるようじゃ」
塩街道。来がけに、俺たちが通った道だ。塩の街、カルナ。子を上納していた街。ミレアが、塩田の子を隊に預かった街でもある。あの子は今、シオと名乗って、荷馬車に乗っている。
影が、少しずつ形になり始めていた。名も知れぬ運び屋の足取りが、俺の知っている地名の上に、重なってきた。
◇
その夜、野営の火のそばで、リタが俺に聞いた。
「おにいちゃんが、リタたちを、ちらしたの?」
俺は、火を見た。それから、頷いた。
「ああ。俺が決めた。お前たちを、バラバラにして、大陸に撒いた。……そうすれば、教会に見つからないと思った」
「おこってないよ」とリタは言った。「リタ、みつかんなくて、よかったもん。ミレアねえちゃんと、いっしょにいれたもん」
俺は、その言葉に少し救われた。だが、全員がリタのように幸運だったとは限らない。散らされた四十七人が、みな安全な場所に着いたとは、限らない。売られた先で、どんな目に遭ったか。考えると、火を見る目が重くなった。俺が良かれと思って散らした。ベテルが良かれと思って器を空にしたように。良かれと思った判断が、どこかで、誰かを、傷つけているかもしれなかった。
◇
継がずに来た二年を、俺は思った。
継げば、忘れる。だから継がない。その一点を、俺は守り続けてきた。獣が出ても継がなかった。澱の暴走も、継がずに受け止めた。……その選択を、俺は誇りに思っていた。
継がないことで、俺は俺のままでいられた。母もセルドも、丘で取り戻した名前も、失わずにいられた。ニラを見る目も、まだある。二年前、村を出た日に泣いた理由。ニラが空欄のまま残した、あの一頁。その理由に繋がる何かも、まだ、俺の中に消えずに残っているはずだった。
力を捨て続けることが、俺の強さだった。奇妙な言い方だが、そう思っていた。二年、その強さを、一度も疑ったことがなかった。
◇
「なあ、リゲル」とガロが、鍋をかき混ぜながら言った。「散らした子を、全員、見つけられると思うか」
「分からない」と俺は言った。「四十七人だ。方々に散った。死んだ子もいるかもしれない。名前を変えて、別人になった子もいるだろう。……全員は、無理かもしれない」
「じゃあ、なぜ探す」
「一人でも、見つけられるなら」と俺は言った。「その一人に、名前を返せる。ニラの手帳の空欄が、一つ埋まる。……それだけでも、意味がある」
ガロは、頷いた。それ以上は聞かなかった。片手で、鍋の火を静かに整えた。減った腕で、できることをするように。この男も、全部は救えないことを知っている。知った上で、目の前の一つを片付ける男だった。
◇
火が、燃えていた。
ニラが、手帳を開いて、今日のことを書いていた。運び屋ザドの名。塩街道。カルナ。……手がかりが、一つずつ記録されていく。
俺は、その手を見ていた。忘れる俺と、覚えるニラ。二年、変わらない役割分担だった。俺が忘れ、ニラが覚える。だから俺たちは、繋がっていられた。
このまま、繋がっていられると思っていた。
継がない限り。忘れない限り。……そう、思っていた。俺が忘れず、ニラが覚える。その二本の柱で、俺たちの関係は立っている。その柱が揺らぐことなど、想像もしていなかった。
火が、静かに燃え続けた。塩街道は、あと十日の道のりだった。




