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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第137話「灰の街、ふたたび」


ひと月歩いて、隊は、ヴェルデに着いた。


灰の街。迷宮都市。二年前、俺が旅を始めた場所。大穴を囲むように、街が広がっている。その中心の暗い口から、今も冒険者が潜り、出てくる。地の底から吹き上げてくる、あの独特の匂い。土と、鉄と、澱の、饐えた匂い。二年経っても、鼻がそれを覚えていた。街に一歩入っただけで、体が、あの底での日々を、思い出した。


何も、変わっていなかった。


いや、一つ、変わっていた。街を見る俺の目が。


◇


二年前、俺は、この街を絶望とともに出た。


セラを失って。じいさんを失って。継ぐたびに、誰かを忘れて。この街の大穴の底で、スピカを退けて。……そして、旅に出た。〈星の間〉の実態を、世に出すために。


あのときの俺は、一人だった。忘れることに怯えていた。


今、俺は、隊とともにこの街に戻ってきた。忘れることに怯えなくなった、とは言わない。だが、忘れないための方法を覚えた。継がない。名を唱える。書き残す。


石畳の感触も、街の喧騒も、あのときと同じはずだった。だが、足の裏に伝わるものが、違った。あのときは、逃げるように、この石畳を踏んだ。今は、次へ向かうために、踏んでいる。


◇


街に入ると、コッツが、懐かしそうに周りを見回した。


「兄貴。……ここ、俺がスリしてた頃と、変わってねえな」


コッツは、この街のスラムの出だった。スリで、食いつないでいた子供。それを俺が拾った。今は隊の罠師だ。


「あの路地でさ」とコッツは、指を差した。「俺、兄貴の財布を掏ろうとして。……逆に、捕まった。あんとき、兄貴が、殴らずに飯を食わせてくれた。……それで、俺は変わった」


「覚えてる」と、俺は言った。


継がなかったから、覚えている。コッツを拾った日を。二年前の、この街での出来事を。普通の隊長なら、二年前に拾った子供の、最初の出会いなど、忘れているかもしれない。だが、俺は継がない。だから、こぼれずに残る。コッツの、あのときの、痩せた指の感触まで。


思えば、この隊の始まりの何人かは、この街で拾った者たちだった。掏摸のコッツ。……そして、俺自身も、この街で拾われたようなものだった。じいさんに。二年前、大穴の底で、多くを失って。だが、失うばかりの街だと思っていたヴェルデは、拾う街でもあった。


ミレアが、街の薬師の店を覗いていた。二年前、旅立ちの前に薬を買い揃えた店らしい。店主は、ミレアを覚えていた。腕を上げたな、と言った。ミレアは、少しだけ、誇らしげにした。


◇


バルドー商会の前を、通った。


二年前、この商会の当主が、俺に言った。注ぐ者は、注ぐ者を見分ける。あなたに一番たくさんのいいものを注いでいる者が、あなたを一番深く所有している、と。


あの言葉が、今、重く響いた。


一番たくさん、注いだ者。……ベテルだ。狩りを、名前を、こらえる性質を、注いだ男。あの言葉の通りなら、ベテルが、俺を一番深く所有している。


俺は、それを確かめに行く。


バルドー商会の当主に、会おうか、とも思った。だが、やめた。あの男の言葉は、もう十分、俺の中にある。これ以上、聞く必要はなかった。


◇


その夜、隊は、街の宿に泊まった。


二年前、俺が旅立ちの前に泊まった宿だった。同じ、部屋。同じ窓から、大穴の暗い口が見えた。


ニラが、窓の外を見ていた。


「――ここから、始まったのね」とニラは言った。


「ああ」


「私が、あなたと会ったのは、もっと後だけど。……あなたの旅は、ここから始まった」ニラは言った。「二年で、ずいぶん遠くまで来た。そして、また、ここに戻ってきて。……今度は、村へ」


「輪が、閉じるみたいだな」と、俺は言った。


「閉じるんじゃない」とニラは、首を振った。「広がるのよ。ヴェルデから、大陸を回って。今度は、その、さらに奥の村へ。……輪じゃなくて、渦。だんだん、中心に近づいていく」


◇


中心に、近づいていく。


ニラの言葉が、腑に落ちた。


二年、俺は、大陸の外側を回ってきた。街を巡り篩いを見て。だが、それは、本当の中心ではなかった。本当の中心は、ずっと、俺の後ろにあった。俺が生まれた村。ベテルの小屋。


旅は、遠くへ行くためのものだと思っていた。


だが、本当は、中心へ帰るための遠回りだったのかもしれない。


この旅で、俺は、村から一番遠いところまで行った。そして今、その二年を閉じるように、まっすぐ村へ向かっている。


◇


「――リタ」と、俺は、眠る前に、リタに言った。「明日から、また、旅だ。俺の、生まれた村まで。……お前が、見てみたいって言った、村まで」


「うん」とリタは、頷いた。


「遠いぞ。あと、半月はかかる」


「いい」リタは言った。「リゲルの、うまれたところ。……リタの、うまれたところは、もうないから。リゲルのを、みる」


俺は、その言葉に、胸を突かれた。


リタの生まれた場所は、もう、ない。〈星の間〉で、奪われた。だから、この子は、俺の生まれた場所を見たいと言う。自分の、失ったものの、代わりに。


◇


その夜、俺は、なかなか眠れなかった。


リタと、俺は似ている。二人とも、生まれた場所の記憶が、薄い。リタは奪われた。では、俺は。


明日から、村へ向かう。半月歩けば、村に着く。ベテルに会える。


そして、問う。俺を、こう作ったのは、あなたかと。


俺の、こらえる性質を。俺の、空の器を。俺の、薄い記憶を。……全部、あなたが、作ったのか、と。


窓の外に、大穴の暗い口が見えた。


二年前、あの底で、俺はスピカを退けた。継がずに。あのときから、俺の本当の旅は、始まっていたのかもしれない。忘れないための、旅が。


明日、その旅の中心へ向かう。


◇


発つ朝、俺は、宿の窓から、もう一度、大穴を見た。二年前、あの底へ降りるとき、俺は何も持っていなかった。空の器一つ。継ぐたびに、失う覚悟だけ。


今は、違う。後ろに、隊がいる。荷馬車には、ニラの手帳と、ユナがくれた豆の包み。……手ぶらで発った街に、たくさんのものを抱えて、戻ってきた。そして、また、発つ。


大穴に、背を向けて、俺は、西へ、歩き出した。


二年前は、大穴に向かって、降りていった。今日は、大穴に背を向けて歩き出す。同じ場所から、逆の方へ。俺の旅は、地の底から始まって、今、地上の、一番古い場所へ向かっていた。

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