第135話「西へ」
ハイレを出て、隊は、しばらく当てのない旅を続けた。
次の街も、その次の街も、これまでと同じだった。盤があり、篩いがあり、そこで誰かが苦しんでいた。リゲルたちは、できることをした。記録を取り、種を渡し、時に盤の前で子供に言葉をかけた。季節が、動いていた。秋の終わりの風が、街道の落ち葉を、乾いた音を立てて転がしていく。旅の景色は、日ごとに、西へ、西へと移っていった。だが、俺の心は、景色よりも先に、一つの場所へ向かい始めていた。
だが、俺の中で、一つの思いが日ごとに大きくなっていた。
村に帰りたい。
◇
帰りたい、というのは、正しくない。帰って確かめたい、だった。
検定士が言った。育てた者に、会う日が来る。問え、こう作ったのはあなたか、と。……その言葉が、離れなかった。俺のこらえる性質。名前を唱える習慣。大事なものを、失いたくないという、この心。全部ベテルに、注がれたものかもしれない。
それを、確かめられるのは、一人だけだ。ベテルに直接問うしかない。
◇
二年、俺は村に帰らなかった。
ヴェルデを発ってから、一度も。旅の目的は、〈星の間〉の実態を世に出すことだった。教会の巡回を、止めることだった。村は、そのはるか後ろにあった。帰る理由がなかった。
村を出た日のことは、断片しか残っていない。ベテルに、送り出された朝。霧の深い山道。それだけだ。二年の旅が、村の記憶を遠くへ押しやっていた。
だが、今は違う。
村に、帰る理由ができた。ベテルに問うために。俺が、俺の意志でこらえているのか。それとも、こらえるように作られたのか。……その答えを、持っているのは、ベテルだけだ。
俺は、それを隊に話すことにした。
◇
その夜、火を囲んで俺は切り出した。
「――村に、帰ろうと思う」
隊が、俺を見た。
「ベテルに、会いにだな」とヴァンネスが言った。驚いていなかった。この老兵は、俺の中の変化を、とっくに見抜いていたらしい。
「ああ」
「検定士の、言葉か」
「それも、ある。……だが、それだけじゃない」俺は、火を見た。「二年、旅をして、いろんな街を見た。篩われる子。篩う親。低く出た子。……その中で、俺は、ずっと思ってた。俺は、なぜこんなに忘れたくないんだろう、と」
◇
「普通なら」と、俺は続けた。「継いで、強くなる方が楽だ。忘れることを、受け入れる方が楽だ。……なのに、俺はこらえる。忘れないために力を捨て続ける。……なぜ、そこまでするのか。自分でも、分からなくなった」
ガロが、玉杓子を止めた。
「それが、ベテルに仕込まれたことか、確かめたいんだな」
「ああ」
「確かめて、どうする」ミレアが聞いた。「もし、仕込まれたものだと、分かったら。……お前は、こらえるのを、やめるのか」
俺は、答えられなかった。
それは、俺自身も、分からないことだった。仕込まれたものだと分かったら、俺は、どうするのか。こらえるのを、やめるのか。それとも。火の粉が闇へ昇って、消えた。その一つ一つを、目で追いながら、俺は、答えのない問いを、胸の中で転がしていた。
◇
「――やめない」と、ニラが言った。
皆が、ニラを見た。
「リゲルは、やめない」ニラは、手帳を握って言った。「仕込まれたものでも、リゲルはこらえ続ける。……なぜなら、リゲルが、こらえてでも守りたいと思ってるものは、ベテルが仕込んだものじゃないから。私たちだから」
ニラの声は、静かだったが、確かだった。
「ガロさんが、前に言った。ベテルは、こらえる性質は注いだけど、誰を守りたいかは仕込んでない、って。……リゲルが、私たちを守るためにこらえるなら。その、こらえるは、もうリゲルのものよ。誰に仕込まれたかは、関係ない」
◇
俺は、ニラを見ていた。
この女は、俺の揺らぎを見抜いていた。俺が、村へ向かおうとしていることも。器の中身を、確かめようとしていることも。……そして、その先で、俺が絶望するかもしれないことも。
だから、先回りして、答えを置いた。
やめない、と。仕込まれたものでも、お前は、こらえ続けると。
「――怖くないのか」と、俺はニラに聞いた。「俺が、村で確かめて。全部、ベテルの仕込みだと、分かって。……それで、俺が崩れたら」
「怖い」ニラは、正直に言った。「だから私も行く。村に。……あなたが崩れたら、支えるために。私の手帳には、あなたが旅で拾ったものが、全部書いてある。崩れそうになったら、それを見せる」
◇
「わしも、行くぞ」とヴァンネスが言った。
「俺もだ」とガロ。「腕は七割だがな。……お前が、村で何を知ろうと。俺たちは、そばにいる」
ミレアが、頷いた。コッツが、頷いた。リタとシオが、意味も分からず頷いた。
リタが、俺の袖を引いた。むらって、なに、と聞いた。俺が、生まれた場所だと答えた。リタには、生まれた場所の記憶がない。〈星の間〉で、それを奪われた。だから、村という言葉が、うまく届かないようだった。だが、リタはこう言った。リゲルの、うまれたところ、みてみたいと。
隊、全員が。
俺が、自分の一番古い場所へ帰るのに。ついてくると言った。
二年前、俺は、一人でヴェルデを発った。今は、一人じゃない。器は借りものかもしれない。だが、この、ついてきてくれる仲間は。借りものじゃなかった。
◇
「――村は、遠い」と、俺は言った。「ヴェルデより、さらに西。大陸の、端に近い。……ひと月は、かかる」
「ちょうどいい」とヴァンネスが笑った。「ひと月あれば、お前も、心の支度ができる。……いきなり、ベテルに会うより、いい」
その通りだった。
村へ向かう、ひと月。その間に、俺は、問いを整理できる。ベテルに、何を聞くのか。どう聞くのか。……そして、どんな答えが返ってきても、立っていられるように。
火が爆ぜた。赤い粉が闇に散った。仲間たちの顔が、火明かりの中でゆらいでいた。誰も、俺を止めなかった。ただ、一緒に行くと言った。その静かな決意が、火のまわりに満ちていた。
俺は、西の空を見た。
その、はるか向こうに、俺が生まれた村がある。ベテルの小屋がある。二年、帰らなかった場所。
今、俺は、自分の意志でそこへ帰ろうとしていた。呼ばれたからでは、なく。確かめるために。
じいさいんに会いに行くぞ




