第132話「低い子」
更新おくれました<(_ _)>
翌朝、俺は街の盤の広場へ行った。
昨日と同じ、親子の列ができていた。だが、今日は、列の並ぶ様子を注意して見た。高く出た子と低く出た子で、その後がどう違うかを。
一人の子が、盤に低く出た。
十歳くらいの男の子だった。母親が、水晶の目盛りを見て顔を曇らせた。それから、子の手を乱暴に引いた。列を離れて、足早に去っていく。子供は、母親に引きずられるように、ついていった。何も悪いことをしていないのに。その子は、去り際に、一度だけ盤を振り返った。恨むでもなく、ただ、なぜ自分は、という顔で。水晶は次の子の頭上で、もう別の目盛りを弾いていた。
俺は、その親子を追った。靴音を殺して。狩人の足で。獲物を追うのではなく、傷ついた小さなものの、行き先を確かめるために。
◇
母親は、路地の奥で立ち止まった。
そして、子供を叱り始めた。声は聞こえなかった。だが、身振りで分かった。なぜ高く出ない。ほかの子は、高く出るのに。おまえはなぜ。……子供は、俯いて聞いていた。
篩われた子の居場所は。この街では、家の中にもなかった。路地の石壁が、昼の日差しを照り返して、白く乾いていた。その白さの中で、母親の影と、子供の影だけが、濃く落ちていた。
高く出れば、宝。低く出れば、恥。街がそう決めているから、親もそう思う。低く出た我が子を、恥じる。子供は、自分が恥ずかしい存在だと教えられる。生まれて十年で。
◇
俺は、しばらくその路地を見ていた。
やがて、母親は先に去った。子供だけが、路地に残された。石段に、座り込んで。膝を抱えて。
俺は、近づいた。
子供が、ゆっくりと俺を見上げた。警戒はなかった。ただ、疲れていた。叱られ慣れた子供の顔だった。
「――低く、出たのか」と、俺は聞いた。
「……うん」
「何回目だ」
「よんかいめ」子供は言った。「かあさんが、なんかいでもうけろって。いつか、たかくでるかもって。……でも、でない。ぼくは、うつわがちいさいから」
◇
器が、小さいから。
子供が、自分でそう言った。盤が、そう言ったからだ。おまえの器は小さいと。四回言われた。だから、この子はそれを信じている。自分は器が小さい人間だと。
「――器が小さいと、何が困る」と、俺は聞いた。
子供は、不思議そうな顔をした。そんなことを聞かれたのが、初めてというように。
「だって……たかくでないと、りっぱになれない。かあさんが、がっかりする。まちのたからに、なれない」
「立派って、何だ」
「……りでぃあに、いって。えらく、なること」
「盤に高く出て、リディアに行った子が、この街に、一人いる。二十年前だ」と、俺は言った。「その子は、今、どこにいる」
「……しらない」
「街の誰も、知らない。十年、便りがない。……立派になった子が、なぜ、故郷に便り一つ寄越さないんだろうな」
◇
子供は、答えられなかった。
当然だった。十歳の子に、答えられる問いではない。俺は、意地悪をしたかったわけではない。ただ、この子の中の、「高く出れば立派」という思い込みに、小さなひびを入れたかった。
「――なあ」と、俺はしゃがんで、子供と目を合わせた。「器が小さいってのは、盤が言ってるだけだ。盤は、星の力の器の大きさしか測れない。……お前が、優しいか、賢いか、勇気があるか。そういうものは、測れない」
「でも、かあさんは」
「母さんは、盤を信じてる。この街のみんなが、信じてるからだ。……でも、盤が測れるのは、一つのことだけだ。星の力を、どれだけ溜められるか。それだけだ。……お前の値打ちの、ほんの一部でしかない」
子供は、俺を見ていた。
◇
「おじさんは」と、子供が聞いた。「うつわ、おおきいの?」
俺は、答えに詰まった。
空の器。際限なく注げる器。この街の基準なら、俺は最高に高く出る。だが、その器のせいで、俺は大事なものを失い続けている。
「……俺の器は」と、俺は言った。「大きすぎて、困ってる」
「こまる? おおきいのに?」
「ああ。大きすぎると、何でも入ってくる。入ってきたものに押し出されて、大事なものがこぼれる。……大きけりゃいい、ってもんじゃない。お前の小さい器の方が、こぼれにくくて、いいかもしれない」
子供は、きょとんとしていた。だが、少しだけ、俯いていた顔が上がっていた。
その上がった顔を、俺は覚えておこうと思った。四回、低く出た、と言った子の。ほんの少し上を向いた顔を。
◇
その夜、俺はニラに話した。
四回、低く出た子のことを。器が小さいと、自分で言った子のことを。
「――この街の篩いは」と、俺は言った。「今までと逆だ。今までの街は、篩いを、外から押しつけられてた。この街は、篩いを、自分から受け入れてる。喜んで並んで、低く出た子を恥じる」
「うん」
「記録じゃ、崩せない。親たちは疑ってない。……だが、あの子には、届くかもしれない、と思った。低く出た子には。あの子たちは、篩いの痛い側にいる。痛い側の子になら、記録が届く」
ニラが、顔を上げた。
「――逆から、書けばいいのね」
「逆?」
「今まで、私は、連れていかれた子の末路を書いてきた。高く出た子の、その先を。……でも、この街では、低く出た子の、その後を書けばいい。盤に低く出て、恥じられて、それでも生きてる子たちのことを」
◇
ニラは、ペンを握った。
「盤は、高い子を宝にする。低い子を恥にする。……でも、私が低く出た子の、その後を追って書けば。低く出ても、優しい大人になった、賢い大人になった、そういう子を記録すれば」
「盤の嘘が崩れる」
「うん」ニラは言った。「盤は、器の大きさしか測れない。でも、人の値打ちは、それだけじゃない。……それを証明するには、低く出た子が立派に生きてる記録が、要る。今は、私の手帳にはない。でも、これから集められる」
手帳の新しい役目が、また増えた。
高く出た子の末路を、書く手帳。そして、低く出た子の、その後を書く手帳。篩いの両側を記録する手帳に、なっていく。
俺は、その手帳を火のそばで見ていた。二年で、ずいぶん頁が黒くなった。表側だけでなく、篩いの裏側まで。ニラの記録は、盤が見ないものを、少しずつ拾い集めていた。




