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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第128話「谷の奥」


谷の奥の畑は、痩せていた。


町の外れから、さらに半里。日当たりの悪い北向きの斜面に、その一家の畑はあった。石の多い土。細い畝。育ちの悪い豆の蔓。町の中の、肥えた畑とは、比べものにならなかった。斜面を吹き下ろす風が、冷たかった。日の当たる時間が、町の畑の半分もない。俺は、しゃがんで、土を一握り掌に取った。硬く、乾いて、石の粒が指に当たった。この土で作物を育てるのが、どれだけ骨か狩人の俺にも分かった。


一番いい土地を町が握っている。よそ者には、一番悪い土地しか回らない。


畑の脇の粗末な小屋の前で、男が鍬を握っていた。


◇


男は、俺を見ると、鍬を握り直した。


警戒だった。よそ者の一家にとって、近づいてくる人間は、たいてい厄介ごとを運んでくる。石を投げに来るか。畑を荒らしに来るか。この十年、そういうものとしか会ってこなかったのだろう。


「――何の用だ」


「宿の主に、聞いた」と、俺は言った。「この谷に、町の連中と口をきかない一家がいる、と」


「見物か」男の声が尖った。「珍しいか。町から爪弾きにされた家族が。……見て、満足したら帰れ」


「見物じゃない」


俺は、鍬を持った男の手を見ていた。豆の蔓を、丁寧に支柱に結わえた跡が、あった。痩せた畑を、それでも手入れしている手だった。


「あんたの畑を見に来た」


◇


男は、俺をしばらく睨んでいた。それから、警戒を解かないまま、言った。


「……畑の何を見る」


「痩せてる」と、俺は言った。「日が当たらない。土に石が多い。だが、豆は生きてる。誰かが、手をかけてる」


男の目が、わずかに動いた。


「北向きの斜面で豆を育てるのは、難しい」と、俺は続けた。「俺は、狩人だ。土のことは詳しくない。だが、育たない場所で何かを育てる苦労は、少し分かる。……あんた、この土地で十年、やってきたのか」


「……ああ」


「大したもんだ」


男は答えなかった。だが、鍬を握る手から、力が少し抜けた。


◇


小屋から、女が顔を出した。それから、子供が二人。上が、女の子で、八つか九つ。下が、男の子で、五つくらい。二人とも痩せて、着物が汚れていた。だが、目は澄んでいた。


子供が俺を見た。見知らぬ大人を。だが、逃げなかった。


その代わり、上の女の子が、下の男の子の前に立った。守るように。この子は、弟を守ることを覚えている。町の子から石を投げられるたびに、そうしてきたのだろう。


リタと、シオを思い出した。名前を失くした子と、番号で呼ばれた子。この谷の子は、名前も番号も、あるだろう。だが、町の子から、人として扱われていない。


「――怖がらせて悪い」と、俺は子供に言った。「石は、投げない。俺は、あんたらの畑を見に来ただけだ」


◇


男が、俺に聞いた。


「あんた、旅の者か」


「ああ。連れがいる。町の宿に泊まってる。……仲間の一人が腕を怪我して、養生させてる。それで、この谷に留まってる」


「その連れは、何人だ」


「七人。……いや、子供も入れると、九人だ」


男は、少し考えた。


「……七人もいて。なぜ、あんた一人で、うちに来た」


いい問いだった。俺は、正直に答えることにした。


「町の話を聞いたからだ。昔、盤で低く出た家が、今、あんたらを下に置いてる、と。……盤は、二十年前に消えたのに、格付けだけが残ってる。その一番下に、あんたらがいると」


男の顔が歪んだ。


「……知って、どうする。憐れみに来たのか」


◇


「憐れみじゃない」と、俺は言った。「確かめに来た」


「何を」


「あんたらが本当に、一番下なのか」


男が、俺を睨んだ。だが俺は続けた。


「町の連中は、あんたらを下に置いた。自分が一番下になりたくないから。……だが、あんたらは、その下に誰かを置いてるか?」


男は、答えなかった。


「置いてないだろう」と、俺は言った。「あんたらの下には、誰もいない。あんたらは、誰も突き落としてない。……町の連中は、下を作ることで自分を上にしようとした。あんたらは、それをしなかった。だから、あんたらは一番下じゃない。篩いの外にいる」


◇


男は、長いこと黙っていた。それから、掠れた声で言った。


「……外にいたって、飯は食えねえ。畑は痩せてる。子供は、町の子と遊べねえ。外にいることに、何の意味がある」


「意味はある」と、俺は言った。「あんたの子は、誰かを下に置くことを覚えずに育つ。……町の子は、覚える。自分より下を作れば楽になれると。あんたの子はそれを覚えない」


俺は、上の女の子を見た。弟を守るように立っている子を。


「あの子は、弟を守ってる。突き落とすんじゃなく、守ってる。……町の子は弟を守るより、よそ者を突き落とす方を覚える。どっちの子が、まともに育つと思う」


男は、娘を見た。それから、目を伏せた。何かをこらえる顔だった。


◇


「――俺は」男は言った。「十年、この谷で恨んできた。町の連中を。俺たちを下に置いた連中を。……いつか、見返してやると。俺たちが上になってやる、と」


「なったら、どうする」


「え」


「あんたが、上になったら。今、あんたを下に置いてる連中を、今度はあんたが下に置くのか」


男は、答えられなかった。


「そうしたら」と、俺は言った。「あんたも篩う側だ。町の連中と同じになる。……上になることは、篩いから抜けることじゃない。篩いの向きを、変えるだけだ」


男は、鍬を握ったまま、立ち尽くしていた。


俺の言葉が、この男の十年の恨みの、行き場を塞いだのかもしれなかった。だが、塞がなければ、この男は、いつか町の連中と同じことをする。自分の下に、新しい誰かを置く。篩いは、そうやって続いていく。


◇


「――明日も、来ていいか」と、俺は聞いた。


「なぜ」


「畑を見たい。あと、あんたと話したい。……答えを、今出せとは言わない。だが、恨みの行き場は、一緒に考えたい」


男は俺を見た。長いこと。それから、小さく言った。


「……勝手にしろ」


拒否ではなかった。


俺は、頷いて畑を後にした。


帰り道、上の女の子が、小屋の陰から俺を見ていた。逃げも、隠れもせず。ただ見ていた。


夕日が、谷の斜面を赤く染めていた。痩せた畑の畝が、長い影を落としている。その影の中で、女の子の目だけが、こちらを追っていた。


明日、この子に名前を聞いてみよう、と思った。篩いの外にいるこの子の名前を。

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