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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第124話「幕間・武器」


巡回を止めた町を出て、五日。


私は、手帳を書き直している。


書き直す、というのは、正確ではない。消しはしない。私は、書いたものを消さない。ただ、あの町で起きたことを、何度も読み返している。読み返すたびに、少し怖くなる。


私の書いたものが、白い馬車を追い返した。


ペンを持つ手が、ときどき止まる。あの日、監督官の額に浮いた汗を、私は覚えている。私の頁が、あの汗を、押し出した。それは、誇らしいことのはずだった。なのに、指先が少し冷たくなる。


◇


二年、私は記録してきた。


忘れないために。〈星の間〉の子供たちの、名前を。連れていかれた子の、その先を。誰かが忘れても、私の手帳が覚えている。そう思って書いてきた。


記録は覚えるためのもの。忘れないためのもの。そう思っていた。


でも、あの町で、私の手帳は違う働きをした。


監督官の前で、私は頁を開いた。メルクのマナ。カルナの上納。それを、読み上げた。監督官は、答えられなかった。六人の名を、言えなかった。私の記録があの人を黙らせた。


記録が、人を黙らせた。覚えるためのものが、武器になった。


◇


リゲルは、剣を峰にして、獣を砕いた。継がずに。奪わずに。


私は、手帳を開いて、監督官を退けた。剣ではなく。記録で。


リゲルは、その夜言った。どちらも奪わずに勝った、と。


でも、私は思う。本当に、そうだろうか。


記録は奪わない。それは、そう。でも記録は突きつける。あの監督官に、六人の名を言えないという事実を、突きつけた。あの人は、たぶんそれを知らなかった。連れていった子が、どうなったか。教会が追っていないことを。私が、突きつけるまで。


知らないままの方が、あの人は、楽だったかもしれない。


◇


いや、と私は思い直す。それは違う。


知らないままなら、あの町の子供は、また連れていかれた。来年も。再来年も。六人が、七人に、八人になった。知らないでいることは、楽かもしれない。でも、その楽は子供の上に乗っている。


私が突きつけたことで、来年、連れていかれる子はいなくなった。だから、突きつけてよかった。


でも――と、また思う。私は、突きつける力を手に入れた。二年前には、なかった力を。ヴェルデの窓口で、旅券に判子を押していた私には。


その力を、私は正しく使えるだろうか。


◇


リゲルが、いつも恐れていることが、分かった気がした。


リゲルは、継ぐ力を持っている。継げば、どんな敵も倒せる。でも、継げば誰かを忘れる。だから、継がない。力を使わないことを、選び続けている。


私も、同じ、かもしれない。


私の記録は、人を退ける力を持ってしまった。使えば、巡回を止められる。でも、使えば、誰かの信じていたものを壊す。あの顔役の老人が二年、名誉だと信じてきたものを、私は壊した。


力を持つと使いたくなる。使えば何かが壊れる。


リゲルは、それを二年、こらえてきた。私は、まだ二年こらえていない。あの町で、初めて使った。使って、勝った。


勝った、その手応えが。少し怖い。


ヴェイユさんは、書いた記録を、大穴に捨てた。リゲルを狩れる記録を。書けば、それがリゲルを殺す道具になると、知っていたから。書く力を持った人が、その力を使わないことを、選んだ。


私は、逆のことをした。書いた記録を、使った。監督官の前で開いた。


ヴェイユさんは、捨てた。私は使った。どちらが、正しいのだろう。


◇


その夜、リゲルが火のそばに来た。


「――書いてるのか」


「うん」


「今日は、何を書いてる」


私は、少し迷った。それから言った。


「……あなたが、獣を継がない理由が、分かった気がする、って書いてる」


リゲルは、火を見た。


「力を持つと、使いたくなる」と、私は言った。「私の記録は、あの町で人を退けた。それが、少し怖い。……次も、同じように使っていいのか。分からなくなる」


リゲルは、しばらく黙っていた。それから、言った。


「使え」


「え」


「使わずにいられるのは、俺みたいに、使うと誰かを失う場合だけだ」リゲルは言った。「あんたの記録は、使っても誰も失わない。突きつけられた側が、痛いだけだ。……その痛みは、必要な痛みだ。マナの親が、二十年味わえなかった痛みだ」


◇


「でも」と、私は言った。「あの老人は、二年、名誉だと信じてた。それを、私が壊した」


「壊れる方がいい嘘だった」


リゲルは、静かに言った。


「守られるべき嘘と、壊されるべき嘘がある。……子供が連れていかれるのを名誉だと思い込む嘘は、壊されるべきだ。あんたは、正しいことをした」


私は、頷いた。でも、まだ少し、迷いが残っていた。


リゲルは、それを見て言った。


「怖いなら、それでいい。……力を怖がってる方が、いい。怖がらなくなったら、そのときは、俺が止める。あんたが、記録で人を傷つけて平気になったら。俺が、言う」


「……約束?」


「約束だ」


◇


私は、手帳に、その約束を書いた。


『リゲルと約束した。私が、記録で人を傷つけて平気になったら、止めてもらう。――そのときは、思い出すこと』


書いてから、私は思った。


これも記録だ。忘れないための。でも、今日のは、少し違う。今日の記録は、私自身を縛るための記録だ。


覚えるための記録。突きつけるための記録。そして、自分を律するための記録。手帳は、一つなのに。書くことは、一つずつ、増えていく。


頁は、増えない。同じ手帳の、同じ紙に、私は重ねて書いている。増えるのは、紙ではなく、書いたものの意味の方だった。


五十三人分の名前と、リタへの一行と、リゲルとの約束を抱えて。手帳は、少しずつ、重くなる。


でも、その重さの持ち方を、私はもう知っている。


◇


ヴェイユさんは、捨てた。私は使った。どちらが正しいかは、まだ分からない。


でも、一つだけ、違うことがある。ヴェイユさんは、一人で決めた。捨てることを。私には、リゲルがいる。使い方を間違えたら、止めてくれる人が。


一人で持つ重さと、二人で持つ重さは、違う。


二年前の私なら、この重さを、一人で抱え込んでいた。抱えてこぼしてそれでも一人で、書き続けていた。今は、隣に火があって、その向こうにリゲルがいる。同じ重さでも、持ち方が変わった。


だから、私は、使う方を選べたのかもしれない。

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