↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/157

第123話「利き手」

更新遅れました!


町を出るのに、三日かかった。


ガロの右腕のためだった。獣の突起に抉られた腕は、ミレアの手当てでも、すぐには塞がらなかった。深い傷だった。骨まで届いていた。三日、宿で休ませた。動かせば開く傷だった。


その三日、隊は久しぶりに何もしなかった。


盤の消えた町で。追われることもなく。子供を案じることもなく。ただ、傷が塞がるのを待った。旅に出て二年、こんなに穏やかな三日は、なかったかもしれない。


宿の窓から、盤のない広場が見えた。子供たちが、追いかけっこをしている。連れていかれずに済んだ子供たちだ。その声が、昼の光の中でやけに明るく響いた。俺は久しぶりに、警戒を解いて、その声を聞いていた。


◇


ガロは、右腕を吊っていた。


動く方の左腕で飯を食い、左手で鉄鍋をかき混ぜようとして、こぼした。二年、右手で握ってきた玉杓子が、左手では言うことを聞かない。


利き手でないほうの指は、力の入れどころを覚えていない。柄がぬるりと逃げる。二年ものあいだ、右手が当たり前にやってきたことを、左手は一から探り直していた。


「――不便だな」と、ガロは笑った。「利き手ってのは、こんなにありがたかったのか」


その笑いに影はなかった。腕を失いかけたのに。この男は、失ったものを数えなかった。左手でできることを、数えていた。


シオが、それを見ていた。鉤の手の子が。片手がうまく使えない子が。もう片方の手でなんとかしている大男を、見ていた。


◇


三日目の夕、シオが、ガロのそばに来た。


手に、玉杓子を持っていた。


「……これ」と、シオは言った。「もつの、てつだう」


ガロが、シオを見た。


「鍋をかき混ぜるのか。お前が」


「シオ、りょうてなら、もてる」シオは、両手で玉杓子を握ってみせた。鉤の手と、動く手。二つ合わせれば、握れた。「ガロは、ひだりだけ。シオは、りょうて。……あわせたら、いっこぶん」


ガロが、しばらく黙った。それから、笑った。今度は、少し違う笑いだった。


「――そうだな。お前の両手と、俺の左手で、一人前だ」


その夜、鉄鍋は、二人でかき混ぜられた。ガロが鍋を押さえ、シオが両手で玉杓子を回した。塩汁の味は、いつもと同じだった。メイセンの味だ。


火にかけた鍋から、いつもの匂いが立った。塩と、干し肉と、名も知らぬ草の匂い。会ったこともないメイセンの手が、シオの両手を通って、今夜の鍋に届いている。俺は、その匂いを、深く吸い込んだ。


◇


俺は、それを火のそばから見ていた。


ニラが、隣で手帳を開いていた。


「書いてるのか」


「書いてる」ニラは言った。「シオが、ガロさんを手伝ったこと。……こういうのは、忘れたくないから」


「戦いのことは、書かないのか」


「書いた。もう、書いた」ニラは、頁をめくった。「でも、こっちの方が、長く書いてる。獣を倒したことより、シオが玉杓子を持ったことの方が」


「なぜだ」


「……獣を倒したのは、すごいこと。でも、二度とない方がいいこと」ニラは言った。「シオが、ガロさんを手伝ったのは、小さいこと。でも、明日もあってほしいこと。……残したいのは、明日もあってほしいことの方」


◇


四日目の朝、隊は町を出た。


顔役の老人が、門まで見送りに来た。


「――また、来てくれ」と、老人は言った。「いや。……来てくれん方が、いいのかもしれん。あんたらが来る町は、何かが起きとる町じゃ」


「そうだな」と、俺は言った。


「じゃが、来てくれて、よかった。……六人のことは、これから、わしが調べる。教会に手紙を書く。返事が来るまで、何度でも」老人は、拳を握った。「返事が来なんだら。それが、答えじゃ。あんたらの連れの、言うた通りに」


ニラが、頷いた。


老人は、一枚の紙を差し出した。


「これを。……この先の町へ行くなら。西の谷の町に、わしの古い知り合いがおる。宿をやっとる。名を出せば、悪いようにはせん」


記録が、増えた。ニラの手帳に。次の町、宿の名が。


◇


町を出て、道は西へ下った。


秋が、深まっていた。街道の脇の木々が、色を変え始めている。旅に出た二年前も、秋だった。ヴェルデを発ったのは、ちょうど、こんな季節だった。あれから、二度目の秋。まだ、大陸の端にも着いていない。二百の町のうち、止めたのは、まだ数えるほどだ。


だが、急ぐ旅ではない、と俺は思う。急いで捨てた水が、子供を殺した町があった。急がずに、溜めて、待った。旅も、同じかもしれない。


ガロの腕は、まだ吊ったままだ。だが、傷は塞がり始めていた。ミレアは、あと十日で吊り紐を外せると言った。骨まで届いた傷にしては、早い。ガロの体が、頑丈なのだ。


「なあ、リゲル」と、荷馬車の上で、ガロが言った。


「ああ」


「俺の右腕、元通りにはならねえかもな」ガロは、吊った腕を見た。「握力が、戻らねえかもしれん。……盾を、前みてえには構えられねえかも」


俺は、答えを選んだ。慰めは、この男に要らない。


「そうかもしれない」


「だよな」ガロは笑った。「まあ、いい。盾が構えられなけりゃ、別のことをする。……鍋なら、片手でも押さえられる。シオが、玉杓子を回してくれる」


減らすことを、恐れない男だった。腕の力が減っても。できることを、数え直す。四年前、隊を四人減らした男が。今は、減った先でできることを探していた。


◇


その夜、俺は、名前を唱えた。


母。セラ。父。じいさん。ベテル。ガロ。ミレア。コッツ。ヴァンネス。ドッズ。ヘズラ。メイセン。ロコ。ジフ。三十一人。ミナ。トト。サラ。四十一の名前。名前の分からない六人。マナ。エラ。ヨナ。リノ。リタ。ニラ。シオ。


一人も、欠けていなかった。


獣を、継がなかったからだ。あのとき継いでいたら、この夜、誰かがこの列から消えていた。ガロかもしれない。ニラかもしれない。シオかもしれない。


継がなかった。だから、全員いる。


だが、と俺は思った。いつまで、継がずに、いられる。


今回は、隊が間に合った。ガロが、コッツが、ミレアが、ヴァンネスが、一瞬を作ってくれた。だから、継がずに勝てた。だが、次もそうとは限らない。


いつか、隊の力だけでは届かない敵が来る。そのとき、俺は、継ぐのか。継がずに、死ぬのか。


その問いは、まだ答えを迫ってこない。だが、遠ざかっても、いなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。