第122話「六人の名」
白い馬車は、昼過ぎに来た。
街道の向こうから、二頭立ての白い車体が、ゆっくりと近づいてきた。屋根に教会の紋。御者のほかに、灰色の外套の男が二人。そして、車内にもう一人。
町の広場に、子供たちが並んでいた。晴れ着を着て。親たちがその後ろに。名誉の日を迎える顔で。
だが、その顔に、昨夜までとは違う影が差していた。顔役の老人が、夜のうちに幾人かに話したのだ。手紙のことを。マナのことを。完全には信じていない。だが、疑いの種は蒔かれていた。
俺は、広場には入れなかった。盤が三台、据えられている。近づけば鳴る。だから、広場の外れの建物の陰から見ていた。
ニラが、俺の目になった。カルナのときと同じだ。
◇
馬車が止まった。
車内から、男が降りた。灰色の外套。だが、検定士ではなかった。もっと身なりのいい、恰幅のある男。巡回を仕切る、監督官らしかった。
監督官が、広場を見回した。慣れた様子で。何十もの町で同じことをしてきた顔で。
「――星辰教会の名において」男が、朗々と言った。「本日、この町の器の検定を行う。適性を示した子は、聖教国リディアにて学びの機会を与えられる。名誉なことである」
拍手が起きるはずだった。例年なら。
だが、今年は、広場が静かだった。
監督官が、わずかに眉を寄せた。
◇
顔役の老人が、進み出た。
「――監督官どの。一つ伺いたい」
「なんだ」
「この町からは、六年で六人が選ばれました。名誉なことと思うております。……ただ、その六人が今、どこで何をしておるか。教えていただけますか」
監督官の表情が、動いた。ほんの、わずかに。
「……子細は、教会が管理しておる。案ずるな。皆、健やかに学んでおる」
「名前は」
「なんだと」
「六人の名を。今、どこの学び舎におるか。一人ずつ教えていただければ、親たちも安心します」老人の声は、丁寧だった。だが、退かなかった。「偉い人になっておるなら。学び舎の名も、住まいも、あるはずです」
監督官は、答えなかった。
一拍。二拍。
その沈黙が、広場に広がっていった。
◇
「――記録は」監督官が言った。「教会の機密である。個々の、子供の所在を、いちいち、町人に明かす決まりはない」
「決まりはなくとも」老人が言った。「生きておるかどうかくらいは、言えましょう。……六人、全員が生きておりますか」
「無論だ」
「では、一人でいい。一人の名を挙げて、その子が今、どこにおるか。……それだけ教えてくだされ」
監督官の額に、汗が浮いた。昼の日差しのせいでは、なかった。
◇
そのとき、ニラが動いた。
建物の陰の、俺の隣から、広場へ。手帳を抱えて。監督官の前へ、歩いていった。
「私が、代わりにお答えしましょうか」と、ニラは言った。
監督官が、この見知らぬ女を見た。
「私は、記録者です。二年、大陸を旅して、選ばれた子供たちのその先を追ってきました。……教会が追わないものを。ここに書いてあります」
ニラは、手帳を開いた。
「メルクのマナ。八歳。街道で死亡。リディアには着いていません。カルナから上納された、二十年分の子供たち。行方、記録なし。……教会は、選んだ子のその先を記録していません。連れていってそれきりです」
「――でたらめを」監督官が、声を荒げた。
「でたらめかどうかは」ニラは、静かに言った。「あなたが、この町の六人の名と所在を言えば、証明できます。……言えないなら、私の書いたことと同じです。教会はその先を知らない」
◇
監督官は、ニラを睨んだ。
それから、灰色の外套の二人に目配せした。この女を排除しろ、という合図。二人が動こうとした。
だが。動けなかった。
広場の空気が、変わっていた。親たちが、子供の手を引いて後ずさっていた。晴れ着の子供を抱き寄せて。名誉の日は消えていた。代わりに、疑いと恐れが広場を満たしていた。
ここで女を力ずくで排除すれば。それは、女の言葉が正しいと認めることになる。
監督官には、それが分かっていた。
「……この町は」監督官が、低く言った。「教会に盾突くのか」
「盾突いておりません」老人が言った。「ただ、六人の名を聞いておるだけです。それに答えられぬのは、……教会の方ではありませんか」
◇
監督官は、長い沈黙のあと言った。
「――今年の検定は見送る」
広場が、ざわめいた。
「この町は、器の機が熟しておらぬ。また来る」
それは退却だった。名を答えられなかった監督官の、精一杯の面子だった。器が熟していないという言葉で、この町を諦める。今日は、一人も連れていかずに。
白い馬車が、向きを変えた。
来たときと同じ、ゆっくりとした速さで。だが、車輪の音は来たときより急いていた。馬車が街道の向こうへ消えるまで、広場の誰も、口をきかなかった。
◇
馬車が消えた。
子供たちが、晴れ着のまま立っていた。連れていかれなかった子供たちが。何が起きたのか、分からない顔で。だが、親たちは分かっていた。我が子が今日、連れていかれずに済んだことを。
顔役の老人が、ニラのそばに来た。
「……あんたの書いたものは」老人が言った。「本当か」
「本当です」ニラは言った。「でも、この町の六人がマナと同じだとは、書いていません。分からないからです。……ただ、教会がその先を追っていないことだけは、本当です」
「六人は、どうなる」
「分かりません」ニラは、正直に言った。「もう連れていかれた子は、私にも追えない。……でも、これから連れていかれる子は、いなくなりました。今日、この町では」
老人は頷いた。それから、深く頭を下げた。ニラに。そして、建物の陰の俺たちに。
◇
その夜。
隊は、町の中の宿に泊まった。盤は、監督官が馬車に積んで去った。町から盤が消えた。だから、俺も久しぶりに、町の中で眠れた。
ニラは、手帳を開いていた。
今日のことを、書いている。白い馬車が来て、去ったことを。六人の名を、監督官が言えなかったことを。検定が見送られたことを。
「――一つの町を、止めた」と、俺は言った。「二百のうちの一つだ」
「うん」ニラは、書きながら言った。「でも、一つ止めた」
「あと、百九十九、ある」
「なら、百九十九、書く」
ニラのペンは、止まらなかった。
二年前、ヴェルデの窓口で旅券に判子を押していた女が。今は、教会の巡回を一つ、止めていた。記録一つで。剣ではなく。
俺は、それを見ていた。
継がずに獣を止めた昨夜と。書くことで巡回を止めた今日と。どちらも、奪わずに勝っていた。




