第121話「証人」
朝が来た。
東の空が白から金に変わる頃、隊はまだ町の外にいた。放牧地の跡。獣の散った場所。ガロは、ミレアの手当てを受けて、木の幹に背を預けていた。右腕は動かない。だが命はあった。
誰も勝った、とは言わなかった。
継がずに、獣を退けた。町は守られた。だが、隊は削れていた。ガロの腕。俺の肋骨。コッツの擦り傷。ミレアの、使い切った薬包。勝利というより、生き延びたという朝だった。
朝の光が、みんなの顔の疲れを容赦なく照らした。血の匂いと、乾いた汗の匂いが、まだ体にこびりついている。誰も口をきかなかった。ただ息をして、生きていることを確かめていた。
◇
町の門が、開いた。
中から、人が出てきた。数人。それから、十数人。夜のあいだの轟音を聞いた者たちだった。何が起きたのか、確かめに来たのだ。
彼らは、放牧地の跡を見た。抉れた地面。砕けた柵。そして、点々と光を失って転がる、水晶のようなかけら。夜のうちに、ここで何かがあった。それは一目で分かった。だが、何があったのかは分からない。
一人の老人が、進み出た。町の顔役らしかった。
「――あんたらが、やったのか。この騒ぎを」
声に警戒があった。よそ者が、町の外で夜通し何かをした。それはこの町にとって、脅威だった。
◇
俺は、答えなかった。
代わりに、ヴァンネスが前に出た。老兵は、老人には老兵が話す方がいいと知っていた。
「獣が出た」と、ヴァンネスは言った。「北東の丘の向こうから。星辰の獣じゃ。放っておけば、町に入っておった。この放牧地で止めた。それだけのことじゃ」
「星辰の獣」老人が繰り返した。「そんなものが、なぜ」
「それは、わしにも分からん」ヴァンネスは、嘘を混ぜなかった。盤が呼んだ、とは言わなかった。まだ、言うべきではない。「じゃが、獣は来た。そして去った。町は無事じゃ。子供らも無事じゃ」
老人は、隊を見回した。血を流したガロ。薬包を使い切ったミレア。折れた肋骨を押さえる俺。
その目から、少しずつ警戒が抜けていった。血を流した者は、脅威ではない。守った者だ。老人の目が、それをゆっくりと認めていくのが分かった。
◇
だが、俺は知っていた。
これで、済む話ではない。
今日が、巡回の日だ。白い馬車が来る。子供が測られ、連れていかれる。獣を退けても、それは止まらない。獣は、澱の塊だった。だが、巡回は教会の意志だ。もっと厄介なものだった。
「――今日、白い馬車が来るな」と、俺は老人に言った。
老人の顔が、変わった。
「……知って、おるのか」
「子供が連れていかれる。名誉なことだと、みんな思ってる。……そうだろう」
「そうじゃ」老人は頷いた。誇らしげですら、あった。「選ばれた子は、リディアで学を付けてもらえる。偉い人になる。この町から、もう六人、選ばれた。名誉なことじゃ」
「その六人から、手紙は来たか」
老人の頷きが止まった。
◇
「……手紙は」老人が言った。「来ておらん。じゃが、それは、偉い人は忙しいからじゃ」
「六人、全員が一通も?」
「……」
「六年で六人。一人も一度も、手紙を寄越さない」俺は、静かに言った。「偉い人は忙しい。それは、そうかもしれない。だが、忙しくても、親に一行くらい書けるだろう。生きてる、とだけでも」
老人は答えなかった。
疑ったことが、なかったのだ。連れていかれた子は偉くなる。手紙が来ないのは、忙しいから。そう、信じてきた。信じる方が楽だったからだ。我が子が名誉に選ばれた、と思う方が。
俺は、それ以上言わなかった。言えば、正しさをぶつけることになる。ロウデで学んだ。怖がる者に正しさは届かない。信じたい者から、信じるものを奪ってはいけない。
◇
ニラが、荷馬車から降りてきた。
手帳を持って。ゆうべ、戦いを書き終えた手帳。そして、その前の二年分の記録が詰まった手帳。
「――見ますか」と、ニラは老人に言った。
「なんじゃ、それは」
「記録です。私が二年、旅をしながら集めた。……連れていかれた子供たちの、その先を」
ニラは、頁を繰った。ある頁で、止めた。
「メルクという町で二十年前、マナという子が選ばれました。八歳でした。……その子は、リディアには着いていません。街道の途中で亡くなりました。記録係が、それを知っていて隠していました」
老人の顔が、白くなった。
「カルナという町では、二十年分の『上納』の記録がありました。高く出た子を、教会に送り続けた記録です。……送られた子が、その後どうなったかは、どこにも書いてありません。誰も、追いかけていないからです」
◇
老人は、ニラの手帳を見ていた。
字が読めるのか読めないのかは、分からなかった。だが、その頁に恐ろしいものが書かれていることは、伝わったようだった。
「……この町の、六人も」老人が、掠れた声で言った。「そうだと、言うのか」
「分かりません」ニラは、正直に言った。「私は、この町の六人を追っていません。だから、書けません。……でも、確かめる方法はあります」
「どうやって」
「今日来る白い馬車に、聞くんです。連れていった六人は、今どこにいますか、と。……偉い人になっているなら、答えられるはずです。学校の名前も、住んでいる場所も」
ニラは、手帳を閉じた。
「答えられなかったら。……それが答えです」
◇
老人は、長いこと黙っていた。
それから、町の方を振り返った。白い尖塔が、朝日に光っていた。その下で、子供たちが晴れ着を着て、白い馬車を待っている。名誉の日を待って。
「……わしは」老人が言った。「六人を送り出した。この手で。名誉なことだと思って。……もし、あの子らが」
声が、震えた。
「もし、その子と同じだったら。わしは」
「まだ、分かりません」と、ニラが言った。「だから、聞くんです。今日。馬車が来たら」
老人は、頷いた。
小さく。だが確かに。
二年、避けてきた場所で。俺たちは初めて、篩う者と篩われる者のあいだに立っていた。記録係も、商人も、挟まらない場所で。じかに。
間に誰もいないということは、逃げ場もない、ということだった。メルクでは記録係の後ろに、カルナでは商人組合の後ろに、教会は隠れていた。ここにはそれがない。今日、俺たちは、教会そのものと向き合う。
白い馬車が来るまで、あと半日だった。




