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好感度マイナスの恋巫女候補に転移しましたが、領地だけは建て直します  作者: 御堂あゆこ
第4章

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24. やっと、相棒と呼べました

 それは狼に似ていた。


 けれど、狼と呼ぶには大きすぎた。頭が人の胸ほどの高さにある。

 黒ずんだ毛皮の隙間から赤黒い霊気が漏れ、鋭い爪が雪を裂いた。


 雪綿獣たちは一斉に雪を蹴って逃げ出したが、一頭だけ動きが遅れた。


 まだ幼い個体なのだろう。短い足をもつれさせ、雪の上に転ぶ。

 肉食魔獣の赤黒い目がその一頭を捉え、跳びかかった。


「いけない……!」


 そう叫んだ瞬間、白い影が私の視界を横切った。


「しらたま!」


 小さな身体が、雪綿獣と肉食魔獣の間に入る。

 しらたまの毛が淡く光った。氷の粒のような霊気が弾け、肉食魔獣の爪を逸らす。


 けれど、完全には避けきれなかった。

 赤いものが、白い毛に散る。


「しらたま!」


 頭で考えるより早く、私は駆け出していた。

 雪に足を取られ、裾が乱れる。それでも無我夢中でしらたまの元に駆け寄った。


 雪の上に転がったしらたまは、すぐに起き上がろうとした。

 けれど、前脚が震えている。


「だい、じょうぶ……」


「大丈夫ではありません」


 私はしらたまの前に膝をついた。

 前脚の毛が裂け、血がにじんでいる。


「なぜ、ひとりで飛び出しましたの」


 しらたまが、びくりと耳を伏せた。


「だって……」


 小さな声だった。


「ぼく、役に立たなきゃって」


 ――役に立つ。


 違う。

 そんなふうに思わせたかったわけではない。


 私は、しらたまを役に立つかどうかで見ていたつもりはなかった。

 神獣だからでも、便利だからでもない。


 私は血のにじむ前脚を、そっと支えた。


「しらたま」


 名前を呼ぶと、薄青の瞳が揺れた。


「あなたが役に立つから、そばにいてほしいのではありません」


 しらたまは、何も言わなかった。


「一緒に考えて、一緒に間違えて、一緒に進んでほしいのです」


 雪の上で、白い毛が小さく震える。


「あなたは、私の相棒でしょう」


 しらたまの瞳が、大きく見開かれた。


 けれど、返事を待つ余裕はなかった。

 肉食魔獣が低く唸り、再びこちらへ姿勢を低くしたからだ。


 私はしらたまを背に庇うように立つ。


 勝てるはずがない。

 それでも、しらたまを置いて逃げるという選択肢だけはなかった。


 肉食魔獣が跳ぶ。


 同時に、地面が隆起した。


 雪を突き破って土の壁が立ち上がり、肉食魔獣の進路を塞ぐ。

 黒い巨体が土壁に叩きつけられ、低いうなり声を上げた。


 さらに、地面が割れる。

 硬い土の杭がいくつも突き上がり、肉食魔獣の足場を奪った。


 肉食魔獣は身をひるがえし、爪で雪を裂きながら距離を取った。


 深緑の気配が、静かに降りてくる。


 伊主那だった。


「退け」


 短い一言で、足元の大地が低く震える。

 肉食魔獣の前方に、さらに土の壁がせり上がった。


 肉食魔獣は、しばらく低く唸っていた。

 けれど、不利を悟ったのだろう。赤黒い霊気を雪の上に散らしながら、山の奥へと逃げていった。


 黒い影が木立の向こうへ消え、場が静まり返った。


 私は少し迷ってから、口を開く。


「……伊主那様」


「無事か」


「はい。出血はありますが、意識はあります。すぐに手当てをします」


「そうしてやれ」


 私はしらたまの傷口を押さえたまま、伊主那を見上げた。


「……なぜ、助けてくださったのですか」


「どういう意味だ」


「わたくしは、伊主那様に加護をいただけるほどの信頼を得ておりません。祈りも、対価も、まだ何も差し出していませんわ」


 伊主那は一拍置いて、静かにこちらを見た。


「神を何だと思っている」


「……え」


「恋巫女候補に請われなければ、民も土地も守らぬ存在だと? この地と、ここに生きる民を守ることも、我らの役目だ」


 返す言葉が、すぐに出てこなかった。


 私はたぶん、神々のことを少し単純に見ていた。


 恋愛制度の側にいる存在。

 私を観察対象として見る存在。

 信頼も祈りも対価も足りなければ、力を借りられない存在。


 それは、間違ってはいないのだろう。


 けれど、それは制度の中で見た神々の姿にすぎない。


 伊主那は今、私のために動いたのではない。

 取引のためでも、観察のためでもない。


 この土地と、ここに生きるものを守る神として動いたのだ。


「……失礼いたしました。助けていただきありがとうございました」


「理解したならよい」


 伊主那はそう言って、山裾へ視線を向けた。

 その横顔は、いつも通り理知的で、揺るぎない。

 ただ、袖口から覗く指先が、かすかに震えている。


 先ほどの魔獣を恐れたとは思えない。

 ならば、寒いのだろう。


 私はそこには触れず、しらたまの傷を布で押さえたまま立ち上がった。


「戻りましょう。まずは手当てが先です」


「……待って」


 腕の中で、しらたまが小さく声を上げた。


「しらたま?」


「あの子たち、まだいる」


 言われて、私は雪綿獣の群れへ目を向けた。


 逃げたと思っていた雪綿獣たちは、少し離れた場所でこちらを見ていた。

 幼い一頭は、群れの後ろに隠れている。


「まだ、怯えていますか」


「うん。でも……少し、迷ってる」


「迷っている?」


「ぼくたちのこと、怖い。でも、氷苔は食べたい」


「実に現実的ですわね」


「生き物だからね」


 私は少し考え、いつのまにか隣に立っていた氷冥に尋ねた。


「氷苔を差し出せば、あの子たちは受け取るでしょうか」


「警戒は強いが、敵意は薄い」


「では、試してみましょう」


 私はしらたまを抱えたまま、足元に近い 氷苔を少しだけ取り、雪綿獣たちから少し離れた場所へ置いた。


「これは、あなたたちのものです」


 言葉が通じるかはわからない。

 けれど、敵意がないことくらいは伝えたい。


 雪綿獣たちは、しばらく動かなかった。


 やがて、一頭がそろそろと近づいてくる。

 大きな身体に似合わず、足取りは慎重だった。


 氷苔の前で鼻をひくつかせ、それからこちらを見た。


 しらたまが、小さく鳴く。


 雪綿獣はようやく首を下げ、氷苔を食べ始めた。


 別の一頭も近づき、氷苔を食べる。

 幼い個体も、群れの陰からそっと顔を出した。


 やがて、氷苔を食べ終えた雪綿獣の一頭が、身を震わせた。


 ふわり、と白い毛が雪の上へ落ちる。

 風に飛ばされそうなほど軽くて、長い毛だった。


 雪綿獣は、ゆっくりと群れの方へ戻っていく。


 しらたまが、ぱちぱちと瞬きをした。


「……くれた」


「ええ」


 私は雪の上に残された毛を、そっと拾い上げた。


 驚くほど軽い。

 それなのに、指先に触れた瞬間、ほんのりと空気を含むような温かさがあった。


「これは……」


「雪綿獣の落ち毛だ」


 氷冥が静かに言った。


「古くは、北の民が防寒に用いていた。量があれば、襟巻きや外套の中綿にもなる」


「外套……」


 これは使えるかもしれない。


「伊主那様」


「何だ」


「先ほど助けていただいたお礼も兼ねて、雪綿獣の毛を使った外套を試作いたします。完成次第、最初に伊主那様へお渡しします」


「……素材性能の確認、ということか」


「はい。北領地の防寒具として実用に足るか、神の目で確認していただく必要があります」


「合理的だな」


「ありがとうございます。そのうえで、雪の下栽培に向く畑の選定について、引き続き助言をいただけますでしょうか」


 伊主那は畑跡の方へ視線を戻した。


「畑の候補は、広げすぎるな。まずは今日記録した区画と、その周辺に絞れ」


「はい」


「雪綿獣の餌場と畑の境も必要だ。氷苔を取り尽くせば、あれらはまた山へ戻る。戻れば、別の魔獣に追われるだけだ」


「承知しました。畑と、雪綿獣の通り道を分けるのですね」


 どうやら、助言は引き受けてもらえたらしい。

 ならば、あとは実際に形にしていく番だ。


 ただし、今はその前に、しらたまの手当てが先だった。


「まずは戻りましょう。傷の手当てが先です」


「……ぼく、歩けるよ」


「歩けるかどうかの問題ではありません」


 私は傷のある前脚に触れないよう、しらたまを抱え直した。


「痛みますか」


「ちょっと」


「今、無理をすれば治りが遅くなります。ですから、今は大人しく運ばれてください」


「……わかった」


 しらたまは小さく鼻を鳴らした。

 けれど、私の腕から逃げようとはしなかった。


「……そのかわり、あとで、ちゃんと撫でて」


 なぜか、その言葉に泣きそうになった。


「……ええ。約束しますわ」


「いっぱい」


「……ええ。いっぱい」


 それ以上は、うまく言葉にできなかった。

 何かを言えば、こらえていたものまで一緒にこぼれてしまいそうだった。


 私はしらたまを抱え直し、黙って村へ戻る道を歩き出した。

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