23. 氷芽芋の収穫と、真犯人の影
結果から言えば、氷芽芋は一つだけではなかった。
昨日掘り出した場所の周辺を慎重に掘っていくと、雪の下からいくつもの小ぶりな芋が現れた。
すべてが無事だったわけではない。指で押すと崩れるほど傷んだものもあれば、黒ずんで食べられないものもある。
それでも、土の中に残っていた。
「こちらは、まだ食べられそうです!」
「こっちは……食用には難しそうですが、芽の残っているものは種芋に回せますでしょうか」
「奥の方にもございました!」
領民たちの声が、畑跡のあちこちで上がる。
昨日までなら、雪に埋もれた荒れ地にしか見えなかった場所だ。
けれど今は違う。
掘れば、まだ何かが残っているかもしれない。
その期待だけで、領民たちの手つきは昨日までと違っていた。
私は掘り出された氷芽芋を、状態ごとに分けていった。
食用にできるもの、芽が残っていて種芋に回せそうなもの、完全に駄目なもの。
さらに、それぞれがどの場所から出たのかを木札に残していく。
その手元を、伊主那が横から覗き込んだ。
「……場所と状態を対応させているのか」
「はい。昨日見つかった場所を基準にしています」
「なぜそこまで見る」
「細かい情報を整理しておかないと、次に使えませんから」
私は木札に印をつけながら、畑跡へ視線を向けた。
「基準の場所から離れるほど状態が悪くなるなら、雪の厚みや風の当たり方に差があるのかもしれません。雪が薄ければ土が凍りやすい。逆に、雪が安定して残る場所では、土の温度も急には変わりにくいはずです」
私は、黒ずんだ氷芽芋を一つ見下ろした。
「それから、傷みの早いものが水場に近い区画へ寄っているなら、水が留まりすぎている可能性がありますわ」
「……条件を切り分けているのか」
「ええ。甘みが出た理由も、おそらく寒さそのものではなく、凍りつかない程度の低温が続いたことにあります。ですから、ちょうどよい条件となる場所を探しています」
「なるほど。結果だけではなく、結果を生んだ構造を見るわけだな」
「その方が、来年も同じことを試せますもの」
「合理的だ」
伊主那はそう言って、再び畑跡へ視線を戻した。
その沈黙のあいだにも、山側から吹き下ろす風は少しずつ強くなっていた。
木々の枝がこすれ、積もった雪がさらさらと畑の上を流れていく。
ひときわ冷たい風が吹き抜けた瞬間、かち、と小さな音がした。
伊主那は何事もなかったように眼鏡を押し上げる。
表情は変わらない。背筋も伸びたままだ。
けれど、袖口から覗いていた指先が、すっと衣の内側へ引っ込んだ。
……もしかして。
「寒いのですか?」
思わず尋ねると、伊主那の視線がゆっくりとこちらへ向いた。
「凍土では、大地の状態を読み取りにくい」
「寒いのですね」
「凍土では大地の状態を読み取りにくいと言った」
なるほど。寒いのだ。
私はそれ以上追及しなかった。神にも体面はある。
伊主那は小さく咳払いをして、私が印をつけた木札へ視線を落とした。
「……状態の良いものは、この範囲に寄っているな」
「はい。昨日見つかった場所を中心に、このあたりが一番傷みが少ないようです」
「ならば、理由はおおむね地形だ」
伊主那は畑の北側へ視線を向けた。
「北に林がある。風が遮られるため、雪が飛ばされにくい。雪が安定して積もれば、土の温度も急には下がらない。凍りつきにくく、乾きにくい」
「雪が、蓋のような役割をしているのですね」
「そうだ。ただし、厚ければよいというものでもない。深すぎれば掘り出せず、雪解けの水が溜まれば腐る」
私は木札に、林、風、雪の厚み、水はけ、と書き足した。
「では、川に近い区画は避けた方がよさそうですね」
「記録を見る限り、傷みの早いものはそちらに寄っている。水が留まりすぎるのだろう」
伊主那は淡々と言った。
「この周辺なら、林の風下で雪が残り、水が抜ける区画だ。斜面の上は風に削られ、雪が薄くなりやすい。低すぎれば水が溜まりやすい。中ほどの、緩い斜面を選べ」
私は木札へ、新たに印を加えた。
「来年は、その条件に近い場所を優先します」
「それでよい。土地には、それぞれ向き不向きがある。寒い土地には寒い土地の、雪の多い土地には雪の多い土地の使い方がある。豊かな土地と同じことをさせようとするな」
「……この土地に、合った使い方を探すのですね」
「そうだ」
北領地は、ずっと見捨てられた土地だと思われていた。
加護が薄く、寒く、痩せていて、何をしても報われない場所。
でも、本当は違うのかもしれない。
南のように育てようとしたから、うまくいかなかっただけで。
この土地には、この土地に合ったやり方がある。
氷芽芋の掘り出しと仕分けは、ひとまず区切りがついた。
場所ごとの記録も、清十郎さんたちが木札を使って続けられる。
私がつききりで見ていなくても、もう大きく迷うことはないだろう。
ならば、次に確かめるのは、昨日の食べ跡だ。
「では、次は氷苔を見に行きます」
私は少し離れた場所にいるしらたまへ視線を向けた。
昨日、その名を教えてくれたのはしらたまだ。
雪綿獣が何を食べ、どこへ向かったのか。きっと、私よりずっと多くのことを感じ取っている。
近づきすぎない場所で足を止める。
しゃがみ込むと、雪の冷たさが膝越しに伝わってきた。
「しらたま」
できるだけ静かに呼ぶ。
「氷苔が生えている場所を、教えていただけますか」
しらたまは、しばらく雪の上を見つめていた。
こちらを見ようとはしない。
それでも、完全に背を向けることもしなかった。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
「……こっち」
返事をしてくれた。
それだけで、足元の雪の冷たさが少しだけ遠のいた気がした。
「行きましょう」
私が歩き出すと、氷冥が黙って隣に並んだ。
その自然さに、ほんの少しだけ意表を突かれる。
伊主那まで畑跡を一度振り返ってから後に続いたのは、意外だった。
……大地神としては、氷苔の生え方も気になるのかもしれない。
◇
氷苔の群生地は、畑跡から山裾へ少し入ったところにあった。
林の影に守られるように、雪の合間から青白い苔が薄く広がっている。
人間の食料にはならなさそうだが、雪綿獣にとっては違うらしい。あちこちに削られた跡があり、雪の上には丸く広い足跡がいくつも残っていた。
「……やはり、食べていますわね」
私はしゃがみ込み、氷苔の削れ方を確かめた。
削られているのは、表面だけだ。乱暴に掘り返した跡ではない。
雪を踏み固めながら、少しずつ苔を食んで移動した痕跡だった。
少なくとも、山羊を襲うような荒々しい動きではない。
その足跡を追ううちに、ふと別の跡が目に入った。
細く、深く、雪を裂くような爪跡。そこだけ霊気の流れがざらついている。
「……こちらは、雪綿獣の足跡とは違いますわ」
「その通りだ。雪綿獣のものより、深く鋭い」
氷冥の声は低かった。
伊主那も爪跡のそばに膝を折る。
「肉食の魔獣か」
「断定はできません。ですが、少なくとも氷苔を食べに来た痕跡ではありませんわ」
私は山の奥へ視線を向けた。
白い木立の向こう。見えるのは、雪と影だけだ。
けれど、霊気解析の薄い線が、視界の端に走る。
山裾を流れる霊気の一部が、ねじれていた。
その歪みは、さらに奥へ続いている。
魔族領に近い方角だ。
「……山の霊気が乱れています」
私が呟くと、氷冥が静かに頷いた。
「以前より、濁りが深い」
「その影響で、肉食の魔獣の行動圏がずれた可能性がありますね」
「あり得る」
つまり、雪綿獣が好んで人里近くへ下りてきたわけではない。
山の奥で何かに追われたか、もともとの餌場を奪われた。
その結果、氷苔の残るこの辺りまで押し出されてきたのだ。
「山羊を襲ったのも、この爪跡の主と考える方が自然ですわ」
少し離れたところで、しらたまが顔を上げた。
「しらたま?」
丸い背中が、かすかに強張っている。
白い尾が雪の上で小さく揺れ、前足が雪を浅く掻く。
「……いる」
「雪綿獣ですか」
「うん。でも、怖がってる」
木立の影に、白い塊がいくつか見えた。
雪をかぶった雲のような毛並み。短い角。黒く丸い目。
雪綿獣たちは、身を寄せ合うようにこちらを見ていた。
人を襲おうとしているようには見えない。
むしろ、逃げ場を探しているように見えた。
そのうちの一頭が、山の奥を振り返った。
続いて、別の一頭も耳を伏せる。
怯えている。
林の奥で、霊気の流れがざらりと乱れた。
山裾を覆っていた薄い霊気が、何かに押し分けられるように歪んでいく。
雪綿獣たちが一斉に身を縮めた。
氷冥が、私の前に半歩出た。
何かが来る。
そう思った瞬間、山裾の霊気が弾けた。
「下がってください!」
言い終える間もなく、木立の影から黒い影が飛び出した。




