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長政は、お市に勝てない ―敵陣へ駆ける妻を、浅井長政は裏で勝たせる―  作者: 島村 巡
【第二部 畿内編|第六章 畿内】

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【第六章 畿内】第八十五話 訴えの列 またここで

一五六六年 晩夏  山城 淀



 木下藤吉郎は、淀の城の櫓から、郷へ帰る兵の列を見ていた。


 京の辻の番を解かれた、北近江の国衆の兵であった。刈り入れが近い。槍を担いだ者たちが道を北へ歩いていく。櫓の見張りも、その列を見ていた。


「おぬしの郷も、刈り入れであろう」


 見張りはすぐには答えず、道へ目を向けたままであった。


「木津の郷にござりまする。この夏、弾正の兵に踏まれまして。刈るものが、ござりませぬ」


 藤吉郎は川べりへ目を移した。原には淀の兵が十人ずつ並び、組の頭が前に立っていた。帰り支度をしている者はいなかった。芥川の城と野田・福島の湊へ番に出す組も、ここから選んでいる。戻れば、次の組と替わる。


「出よ」


 槍が揃って突き出された。一番前の組を率いているのは、春に錆びた槍を担いで来た男である。岩成の下にいたという男が、新しい穂先の槍を引き、組へ声をかけた。隣の組も一歩出た。


 端の一人が遅れると、磯野が槍の柄を少し上げた。頭が気づき、その者を呼んだ。並び直して突いたときには揃っていた。磯野は柄を下ろした。自分で組の前へ出ることはなかった。


 ◇


 城下の外れで槌の音がしていた。小谷から移ってきた政直の鍛冶場である。藤吉郎が表を覗くと、政直が槌を置いた。ふいごの一人は近江から来た若い者、もう一人は淀の兵であった。郷で鍛冶を手伝っていたと聞く。


「淀の鉄は、どうじゃ」


「川で運ばれてくる鉄は、小谷より揃うておりまする。打ちやすうござる」


 政直は手を拭き、棚の薙刀へ目を向けた。柄をつけたものが三振り並んでいた。


「京が近うなりましたので、野村殿が、よう取りに見えまする」


「お市様には、会うたか」


 政直は首を振った。棚の脇には、折れた薙刀を入れる箱があった。中を覗いてから、近ごろはあまり届かぬと言った。


「あまり、振っておられぬのかと」


 藤吉郎は答えなかった。表に馬が止まり、野村が入ってきた。額の汗を拭い、仕上がったものをと頼んだ。政直が一振り渡すと、野村は柄の握りを確かめ、鞘を少し払った。


「お市様は、いかがじゃ」


「まだ振られませぬ。なれど、毎日、柄を拭いておられまする。茶々様も、小さな布を持って隣に座られまする。どれも、政直殿のものになり申した」


 政直が顔を上げた。何も言わずに火床へ戻り、ふいごの二人へ声をかけた。野村が鞘を戻すと、槌の音がまた上がった。


 野村が薙刀を抱えて表へ出ると、藤吉郎も続いた。野村は薙刀を鞍へ括りつけながら、あたりを見た。身を寄せ、槌の音に紛れるほどの声で言った。


「産婆が、屋敷の近くの家へ移ってまいりました。そろそろにござる」


 藤吉郎はうなずいた。野村は結び目を引き締めて馬に乗り、京へ向かった。鍛冶場の奥では、政直が次の鉄を火から出していた。



一五六六年 晩夏  京 浅井屋敷



 和泉の国衆は、浅井の屋敷の遠侍で、空いた場所へ膝をついた。


 国と郷の名を門で告げると、来た順に呼ぶと言われた。寺の者も、町の者も座っている。屋敷の者が白湯を運び、国衆の前にも椀を置いた。手を伸ばしかけたところへ、隣から声がした。


「初めてか。見ぬ顔じゃ」


「和泉から参りました」


 隣の男は、芥川に近い郷の者と名乗った。向かいから、また来られたかと声がかかった。


「これで三度目じゃ。今度は、郷の者どうしが揉めておってな」


 芥川の男が答えると、向かいの男も膝の書付を持ち上げた。河内の者だという。堰の揉め事が片付いたと思えば、今度は上の郷と年貢で争っているらしかった。


「お二人は、前からのお知り合いで」


「いや。前にここで隣に座った。それからじゃ」


 河内の男は書付を膝へ戻した。芥川の男が、あのときはお手前と同じ顔をしておったと言うと、河内の男も笑った。


「ここの話は、和泉で聞かれたか」


「堺の商人から。摂津の国衆が裁いてもろうて、銭を取られなんだと」


「それは、わしじゃ」


 芥川の男が椀を置いた。身を寄せて何の揉め事かと訊かれ、国衆は年貢の納め先を話した。三好の頃に納めていた相手がいなくなり、隣の国衆が自分へ納めろと言い始めていた。


「それで、お二人は浅井様に降られたので」


「降ってはおらぬ。兵も出しておらぬぞ」


 芥川の男は椀を取り、残りを飲んだ。国衆が礼の銭を包んだ懐へ手を当てると、今度は河内の男が言った。


「それは、持って帰ることになる。わしも、同じところへ手を当てておった」


 国衆は手を膝へ戻した。壁際から、木津の郷の者だという男が膝を寄せてきた。この夏、大和の兵に田を踏まれ、書付を持ってきたのだという。


「浅井の者が、見には来てくれた。踏まれた分をどうにかしてくれるかは、まだ分からぬが」


 男は書付を広げかけ、廊下で名を呼ばれた。慌てて畳み、取次についていった。


 その席が空くと、奥に小袖の仕立てのよい男が見えた。白湯にも手をつけずにいる。河内の男が国衆の袖を引いた。


「飯盛山の者じゃ。三好の下野守様の家の者よ。山の城の門で見た顔じゃ」


「三好の家の方が、ここへ」


 声が出ると、河内の男がさらに身を寄せた。下野守の所領と隣の郷とが揉め、その隣の者が先に浅井へ持ち込んだらしいという。


「三好の家でも、揉め事は揉め事じゃ」


 芥川の男はそれだけ言った。隅の男はこちらを見なかった。屋敷の者が椀を替えて回り、その男の前でも膝をついた。男は椀の場所を少し空け、また廊下へ顔を向けた。


 ◇


 名が呼ばれると、飯盛山の男も取次について廊下を歩いた。戻ってきても誰とも話さず、門へ出ていった。そのあとに芥川の男が呼ばれた。


「三日じゃ」


 戻ってきた男は片手を上げた。次の河内の男も、同じことを言って出ていった。国衆は二人を見送り、膝の上で証文を揃えた。やがて、自分の名が呼ばれた。


 通された座敷には、山水の襖があった。若い男が座り、その脇に年かさの男が控えていた。年かさの男が、こちらが浅井備前守にござると告げた。国衆は頭を下げ、隣の国衆から年貢を求められていると申し上げた。当主は最後まで黙って聞いた。


「三つ、訊きまする。郷は、和泉のどこにござりまするか」


 国衆は郷の名と、そこへ至る道を答えた。脇の男が帳面へ書き留めた。


「隣の国衆は、いつから納めよと言うてきておりまするか」


「去年の冬からにござりまする。三好の納め先が、なくなりましてから」


 当主は、国衆が握っている証文へ目を落とした。国衆は折り目を伸ばし、畳へ置いた。


「三好の頃は、どこへ納めておられたのでござりまするか。その証文は、ござりまするか」


「これにござりまする」


 脇の男が取り上げ、当主の前へ置いた。当主は読み終えると、その男へ何か言った。男が帳面へ書き加える間、国衆は畳に手をついて待った。


「和泉は遠うござりまする。見に行って戻るまでに、日がかかりまする。五日、お待ちくだされ」


 国衆は顔を上げた。遠侍の二人は、三日と言われていた。自分は五日である。京へ来るまでに越えた峠を思い返した。この若い当主は、あの道の遠さを分かっている。長く待つことになるのに、それが嬉しかった。国衆は畳へ手をつき、もう一度、深く頭を下げた。


 ◇


 門の脇には、芥川と河内の男が立っていた。帰ったのではなかった。国衆を見つけると、何日と言われたと訊いた。


「五日にござる」


「遠いからの。わしらは三条の宿におる。暇なら、顔を出せ」


 芥川の男が宿の名を告げた。国衆が聞き返すと、河内の男が通りの方へ出て、どこを曲がればよいか教えてくれた。


「次の揉め事のときも、会うかもしれぬな」


 河内の男が笑った。国衆も門の内を振り返った。取次の者が遠侍へ向かい、また誰かの名を呼んでいた。


「また、ここでな」


 芥川の男が歩き出した。国衆は二人に頭を下げ、教えられた宿の名をもう一度口の中で繰り返した。

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