【第六章 畿内】第七十四話 淀の兵集め どこと戦う
一五六六年 早春 山城 淀
磯野員昌は、淀の城の門で馬を降りた。
扉が片方外れ、崩れた塀から草が見えていた。岩成友通が討たれてから、城には主がいなかった。櫓の戸は破られ、蔵も空であった。
磯野は馬を預け、櫓へ上がった。川には、荷を積んだ舟が幾つも見えた。
淀は、京から鳥羽の道を下ったところにある。城は川と池に挟まれた洲の上に建っていた。
桂川と宇治川と木津川がこの地で合わさり、淀川となって摂津へ流れていく。宇治川の途中には、巨椋池という大きな池があった。葦の原が、向こう岸の見えぬところまで続いていた。
大坂や堺から来た舟は、この津で荷を下ろす。駄に移された荷は、鳥羽の道を京へ上っていく。山崎を抜けて摂津へ行く道も、木津の川沿いに大和へ出る道も、ここで分かれた。宇治を経て近江へ向かう者も通る。
鳥羽へ続く野は、まだ刈り跡のままであった。去年の秋、友通はあの野で討たれた。磯野も兵を率いて、あそこにいた。いまは、その城に浅井の兵が入っている。
「堀を浚え。塀を直せ。櫓の戸を替えよ」
櫓を下り、磯野は兵に命じた。京の辻と御所の門には兵を残し、芥川の城と野田・福島の湊にも番を出してある。
芥川の城は、淀から山崎を抜け、摂津へ入った先の山にある。摂津から京へ向かう道を、淀より手前で押さえる城であった。
野田と福島は、淀川が海へ出る手前の州にある。阿波の船が上がってこられぬよう、岸に兵を立たせてあった。
ここへ連れてきた者で、城を直さねばならなかった。堀の泥を掻き上げると、折れた槍の穂先が出てきた。兵は拾って脇へ置き、また泥に鍬を入れた。
藤吉郎は、帳面の束と銭の箱を馬に積んで来た。供は二人だけであった。長政は、この織田の者と共に兵を鍛えるよう、磯野に命じていた。門を入ると、藤吉郎は銭の箱を下ろさせた。
「兵を集めまする。淀の町と渡しに、触れを出しまする。飯を出す。銭を出す、と」
「木下殿。この兵は、どこと戦うのでござる」
「戦いませぬ」
磯野は藤吉郎の顔を見た。堀から泥を運ぶ者が、二人の脇を通っていった。
「浅井の裁きに従わぬ郷へ、置いておく兵にござりまする。書付のとおりになるまで、そこに」
「置いておくだけか」
「さようにござりまする」
集めて、戦い、帰す。磯野はそういう兵を率いてきた。戦わずに郷へ置いておくという。銭の箱の蓋が開き、藤吉郎は中を確かめていた。
「承知」
磯野は答えた。藤吉郎は箱を蔵へ入れさせると、触れを出しに町へ下りていった。
◇
最初に来たのは、三人であった。一人は錆びた槍を担ぎ、一人は割れた鞘の刀を差していた。三人とも痩せていた。門の前に立ち、中を覗いている。
藤吉郎は門の内に床几を置き、帳面を開いていた。三人を呼び入れ、一人ずつ名を訊いた。名乗り終えた者から、どこから来たかを尋ねていく。
「淀の、この城におりました」
錆びた槍の男が答えた。門の脇で、磯野はその顔を見た。
「岩成様の下に。去年の秋、鳥羽の野で」
男は口を閉じた。磯野の手が、腰で動きかけた。あの野で、向かい合っていた者である。藤吉郎は帳面から顔を上げなかった。
「さようか。あちらで飯を食われよ。話は、食うてからでよい」
男は何か言いかけ、頭を下げた。三人が中庭へ歩いていく。釜から湯気が上がっていた。磯野は手を下ろした。藤吉郎は、もう門の外を見ていた。
牢人に交じり、木津から百姓の倅が来た。大和の兵が牢人を討ちに来ると聞き、村にいれば一緒に討たれるかもしれぬと逃げてきたという。藤吉郎は名を書き、飯の方を指した。
鳥羽の道から、若い侍の一行も来た。草鞋がすり減っていた。北近江の者も、南近江の者もいた。名乗った家はどれも磯野の知る家で、跡を継ぐのは兄であった。
「郷で聞きましてござりまする。淀で、浅井が兵を集めておると」
藤吉郎は書き付けていた手を止め、顔を上げた。
「よう来られた」
◇
錆びた槍の男が磯野を訪ねてきたのは、夜であった。櫓の下で、少し離れて膝をついた。
「一つ、伺うてもようござるか。浅井のおなごは、ここへは来られぬので」
磯野は男を見た。男は頭を下げたまま、続けた。
「それがしは、あの野の前の列におり申した。押されて下がるうちに、後ろで岩成様の旗が倒れ申した。見えたのは、それだけにござる」
男は口を閉じた。中庭の火のまわりから、話し声が聞こえた。磯野は男が顔を上げるのを待った。
「お市様は、京におられる」
「京に」
男はもう一度頭を下げた。そのまましばらく動かず、やがて立って中庭へ戻っていった。旗を倒した市の姿は、見ていない。その男が、訊きに来た。
火のまわりでも、市の話になった。黒い馬、薙刀、具足をつけぬ姿。京から来た浅井の兵が話すたび、火に照らされた顔がそちらを向いた。磯野は櫓の下で聞いていた。どれも、何度も見てきたことであった。
◇
集まった者が百を超えると、磯野は中庭に並ばせた。牢人は勝手なところに立ち、若い侍は家の格を言い合った。百姓の倅たちは、どこへ入ればよいか分からず、後ろで固まっていた。
「突け」
磯野が槍を構えると、牢人たちが突いた。速い者も遅い者もいた。隣の槍とぶつかり、舌打ちする者がいた。磯野のそばへ、藤吉郎が来た。
「十人ずつに分けまする。頭を立て、飯も寝るところも、組ごとに」
「頭は、誰が」
「戦を知っておる者を。岩成の下におった、あの男も」
磯野は、錆びた槍の男を見た。男は槍を引き、隣の者から離れて立っていた。
「承知」
藤吉郎が中庭へ出て、牢人も侍も百姓の倅も交ぜて分けた。若い侍が何か言いかけたが、藤吉郎は次の者の名を呼んだ。錆びた槍の男も、組の前に立たされた。
磯野は一歩出て、槍を突いた。引き、また一歩出た。それから錆びた槍の男へ、柄で合図した。男は組の者を横に並べ、同じように突かせた。
男の槍が引かれたとき、まだ突こうとしている者がいた。穂先が交わり、隣の者が顔を背けた。磯野は槍を下ろし、その組の前へ進んだ。男が何か言いかけたが、磯野は叱らず、もう一度構えた。
一歩出て、突く。男は磯野の足を見てから、組の者を並べ直した。
今度は自分も隣に立ち、声をかけて突かせた。まだ揃わなかった。磯野はまた、やってみせた。次の組へ移っても、後ろから男の声が聞こえていた。日が傾くまで、それが続いた。
◇
夕方、釜の前には、組ごとに列ができていた。槍は揃わなかったが、椀を受け取るときには並んでいた。磯野が櫓の下で見ていると、藤吉郎が来た。
「磯野殿。刈り入れになっても、この者たちは帰りませぬ」
磯野は、粥を受け取る牢人たちを見た。国衆の兵は刈り入れになれば帰る。浅井の家で、ずっとそういう兵を率いてきた。
「帰る郷が、ないゆえか」
「郷のある者もおりまする」
藤吉郎は、若い侍たちの方を見た。
「郷はあっても、継ぐ田がござらぬ」
錆びた槍の男が椀を持っていくと、組の者たちが、そのまわりに座った。遅れて来た百姓の倅が立ち止まると、男は脇へずれ、空いたところを叩いた。倅がそこへ腰を下ろした。男が何か言い、若い侍も笑った。
去年の秋には敵の列にいた男が、浅井の飯を食い、浅井の兵を率いている。磯野は、男のそばに置かれた錆びた槍を見た。門をくぐったときと、同じ槍であった。
磯野は櫓の柱に手をかけた。市の一団は、市がいるから走った。三田村も、大野木も、野村も。その外側で、磯野は見てきた。
ここに、市はいない。
それでも、この者たちはここで眠り、また中庭に並ぶ。
刈り入れが来ても帰らない。磯野は、そういう兵を率いたことがなかった。
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