【第五章 三好】第七十話 山崎の細道 輿を、下げよ
一五六五年 秋 山城 山崎
三好長逸は、行列の前の方で、馬に乗っていた。
山崎の道は、細かった。摂津の野田を出た三好の行列は、淀川に沿って京へ向かい、山崎まで来ていた。
左手に天王山が迫り、右手に淀川が流れている。そのあいだを、道が一本通っていた。馬を三頭並べられるかどうかの幅である。
後ろを、輿が来ていた。輿は、道いっぱいであった。担ぐ者が前に四人、後ろに四人。その脇に、輿を守る者たちがついていた。輿が進むと、道がふさがった。輿の後ろの兵は、輿の速さでしか進めなかった。
遅かった。馬なら、とうに山崎を抜けている刻であった。
長逸は、何度も後ろを振り返った。振り返るたびに、輿は、さっきと同じくらいのところにいた。長逸は、輿を捨てることはできなかった。
輿の中には、義栄がいる。阿波から船で渡ってきた。野田の船着き場で迎えて、輿に移した。そこから、ずっと輿である。公方になる者を、馬で駆けさせるわけにはいかない。輿に乗せて、行列を仕立てて、京へ入れる。そうでなければ、京の者たちは、それを公方と見ない。
あと少しであった。道の先が、明るくなっていた。山崎を抜けるところである。抜ければ、野が開ける。野の向こうに、京がある。
長逸は、馬を少し前へ出して、左手の山が切れ、道が広がるところまで進んだ。そこからは、北東がひらけていた。刈り入れを待つ田が、平らに続いていた。この野を抜けて、桂川を渡れば、京である。今日のうちには着かない。だが、明日には入れる。
浅井は、まだ淀にいるはずであった。淀は、この野の右手、川がいくつも寄り合うあたりにある。ここから一里あまりである。友通は、城に入りきらない兵を、国衆の屋敷に入れているはずである。屋敷に籠れば、一日二日では落ちない。
浅井が友通を潰すのに、三日か、四日か。そのあいだに、義栄を京へ入れる。
長逸は、前を向いたまま、息を一つ吐いた。
そのときである。後ろで声が上がった。長逸は、振り返った。行列の真ん中のあたりである。輿のあたりである。兵たちが、右の方を見ていた。川の方である。
川沿いに、土埃が上がっていた。東の方から、こちらへ向かってくる土埃であった。淀の方角である。
長逸の手が、手綱を握った。
土埃の先頭に、黒い馬がいた。長逸は、それを見た。春に、見た馬であった。
野田の陣で、開いたところを抜けてきた馬である。前に立った者を、次々に倒していった馬である。甚左を討った馬である。長逸の手が、手綱を握ったまま、動かなかった。
淀で、何日もかかるはずであった。友通は、どうしたのか。
黒い馬は、まっすぐこちらへ向かって来ていた。その後ろに、騎馬が続いていた。騎馬の後ろに、兵が続いていた。旗が見えた。浅井の旗と、ほかの旗が、交じっていた。
長逸は、声を張った。
「輿を、下げよ。後ろへ早う回せ」
輿のまわりの者たちが、動いた。輿が、止まった。止まって、向きを変えようとした。向きは、変わらなかった。
道が、細かった。輿が、道いっぱいであった。
前へも後ろへも、担ぐ者たちがぶつかった。輿の脇の者たちが、道の端へ押しやられた。押しやられた者が、川の岸の方へ足を滑らせた。後ろの兵たちが、前へ出ようとした。輿が邪魔で、出られなかった。
長逸の兵は、夏のあいだに揃え直してあった。春のように、隊ごとに頭がばらばらではなかった。だが、並んでいるのは、陣ではなかった。行列であった。道に沿って、細く長く延びていた。横から当たられることを、考えた並びではなかった。
黒い馬が、行列の横に迫ってきた。
黒い馬の左に、男が一人、馬を寄せていた。男が、槍を上げた。穂先が、こちらを向いた。長逸の方である。黒い馬が、こちらを向いた。
「殿、船へ」
側の者が、長逸の馬の轡を取った。船着き場は、すぐ右であった。淀川の岸に、長逸の船が着けてあった。山崎を抜けるまでのあいだ、何かあったときのために、着けさせておいた船である。
長逸は、馬を船着き場へ向けた。輿の方を振り返った。
輿は、道の真ん中にあった。下ろされたままであった。まわりの者が、槍を構えて、その前に立っていた。
簾は、下りていた。
◇
三田村国定は、市の左についていた。
右に、大野木がいた。後ろに、騎馬が続いていた。
前に、三好の行列があった。山崎の細い道に沿って、長く延びていた。横に広がる場所がない。並び直す場所もない。
三田村は、行列の前の方を見た。
馬に乗っている者がいた。そのまわりに、人が固まっていた。
「大将はどれじゃ」
「あれにござります」
三田村は、槍の穂先で指した。
市が、そちらを見た。目が、細くなった。
「あれじゃな」
市の馬が出る。
行列の横腹へ、まっすぐ入る。
前に立った者が、倒れた。
倒れた者のあいだを、黒い馬が抜けていく。
三田村は、左を払う。
大野木が、右を払う。
払われた者は、黒い馬に近づけなかった。
行列が、割れた。
前に、輿があった。
道いっぱいの大きさである。担ぎ棒が、地面についていた。まわりに、槍を構えた者が並んでいた。逃げていなかった。
三田村は、その向こうを見た。指した男が、馬を降りていた。岸の方へ走っていく。
「大将が、船へ走りまする」
「分かっておる」
市は、速さを落とさない。
輿の前の者が、槍を突き出した。
市の馬が、横へ一歩ずれる。
穂先が、空を突いた。
薙刀が下りる。
その者が、倒れた。
次の者が、前へ出た。
倒れた。
その隣も、倒れた。
輿の前に、立っている者がいなくなった。
市の馬が、止まった。
市は、薙刀を立てた。石突きを、鐙に当てた。
刃が、日を返した。
簾が、内から上がった。
人が、出てきた。
若い男であった。具足をつけていない。烏帽子をかぶり、狩衣を着ていた。袖に、血が一滴もついていなかった。
男は、輿から下りた。倒れている者のあいだに、立った。
黒い馬の、正面であった。
男は、一度だけ足元を見た。乾いた土であった。
それから、顔を上げた。
市を、見た。
背筋を、伸ばした。
「足利左馬頭、義栄・・・」
途中であった。
薙刀が、上がる。
下りた。
男が、倒れた。
烏帽子が、地面へ転がった。
足利、と聞こえた。
三田村は、その名を知っていた。将軍家の名である。だが、目の前の男が足利の者だとは聞いていない。
大野木が、馬を降りた。膝をついて、腰の小刀を抜いた。細い首であった。一度で落ちた。
大野木は、両手で持ち上げた。持ち上げて、声を張った。
「お市様、将軍の名を騙る者の首、討ち取ったり」
市が、大野木の持っているものを見た。
「ほう。将軍を騙りよったか」
市は、薙刀を頭の上へ上げた。
「偽将軍の首、討ち取ったり」
声が、通った。細い道の端まで、届いた。
市が、前を見た。
「次はどれじゃ」
「あれにござります。岸へ走っておりまする」
三田村は、槍の穂先で指した。
「はよう馬に乗れ」
「はっ」
大野木は、首を近くの者へ押しつけて、馬へ走った。
「急ぐぞ」
市の馬が、走り出した。
「偽将軍の首、討ち取ったり」
走りながら、市が言った。
行列の中を、まっすぐ抜けていく。三田村が左につき、大野木が右へ戻った。
「偽将軍の首、討ち取ったり」
二度目であった。
三好の兵が、振り返った。振り返って、輿の方を見た。輿の前に、立っている者はいなかった。簾が、上がったままであった。
「偽将軍の首、討ち取ったり」
三度目であった。
そこからは、早かった。前の者が下がり、下がった者に後ろがぶつかった。ぶつかった者が、道の端へ落ちた。川の岸へ走る者がいた。天王山の斜面へ上る者がいた。
誰も、輿の方へは戻らなかった。
三田村は船着き場を見た。長逸が、船へ渡す板に足をかけていた。
市も、そちらを見た。薙刀を前へ倒す。
黒い馬が、岸へ駆ける。
逃げる兵のあいだを抜けると、船着き場まで道が開いていた。三田村も馬の腹を蹴る。長逸は、まだ板の上にいた。
長逸が振り返った。
その目の前へ、市が迫る。
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