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長政は、お市に勝てない ―敵陣へ駆ける妻を、浅井長政は裏で勝たせる―  作者: 島村 巡
【第一部 北近江編|第三章 長政と久政】

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【第三章 長政と久政】第三十九話 父と子の読み合い 策はもうよい

 ◇


 同じ浅井の旗が、北国街道の南と北に立っていた。


 南に長政、北に久政。父と子は、木之本の手前の細い道を挟んで向かい合っている。


 道幅は、馬三頭ぶんしかない。両側から山が寄り、そのあいだの平地も、田が二枚か三枚の幅しかなかった。


 長政の側は千を超える。久政の側は、越前から残った者を入れても五十ほどである。


 それでも、向かい合った二つの浅井に、まだ数の差は見えなかった。


 一度に前へ出られるのは、どちらも道幅に入る者だけである。先が押されれば下げ、代わりを入れる。


 数が効くのは、それを何度も繰り返したあとであった。前へ出せる者が、どちらから先に尽きるか。千と五十の違いが現れるのは、そのときである。


 長政は、道脇の高いところへ幕を張った。


 前に朝倉と向かい合ったときと同じ場所である。


 ここから久政の陣は見えない。道の先に、二本の旗だけが並んでいた。


 こちらにも同じ浅井の旗が立っていた。


 幕の中に絵図を広げた。街道が一本。山際に谷の口が二つ。水場が二か所。前へ出す隊の位置に、石を三つ置いた。


 久政の陣がある場所には、印をつけなかった。


 三田村国定が見て覚えたものを写した絵図である。言った本人は、もう市と小谷へ向かっている。大野木も野村もいない。


 幕の内にいるのは、旗本と伝令だけであった。


 市がいるときには、ほかにも役目があった。市の馬を替える者。折れた薙刀を持って下がる者。市がどこにいるかを見て、長政へ伝える者。


 今日は要らなかった。


 朝から、当たっている。初めに矢を交わし、それから槍が当たった。細い道の正面で、前の者が押し、後ろがその背を押す。向こうも同じように押してくる。


 どちらも動かなかった。


 伝令が来た。


「山際、押されておりまする」


 長政は絵図を見た。街道の山側は、裾が少し高くなっている。取られれば、上から押される形になる。


「正面を厚くせよ。田の側から一隊を回し、山際を押さえよ」


「はっ」


 田の側は水路があり、馬では入りにくい。そこを薄くして一隊を抜き、押し合いの後ろから山際へ回す。


 山際を取れば、前の兵を横から押せる。


 長政は、石を一つ動かした。


 ◇


 久政の前には、絵図がなかった。


 赤尾清綱が山際の動きを告げていた。


「若殿の兵が、山際へ回りまする」


 殿とは呼べない。こちらも浅井の旗を立てている。若殿と呼んだのは、元服より前のことであった。


 言ってから久政の顔を見たが、何も言われなかった。


 久政は、街道の方を見たまま答えた。


「捨て置け。塞いである」


 山際には、街道から見えない細道がある。途中に小さな祠があり、その先で街道の上へ出る。地元の者しか使わず、絵図にも載っていない。


 久政は夜明け前に十人を入れ、祠の手前で待たせていた。浅井が来なければ何もせず戻る。来たときだけ、上から石を落とし、道へ出る。


 その十人が、いま山際にいる。


 ◇


 長政の本陣へ、山際から伝令が戻った。


「山際へ回した隊、通りませぬ」


「何がある」


「上から石が落ちてまいりました。人も十ほどおりまする」


 こちらの方が多い。それでも、道が細く、上から石を落とされれば前の者しか戦えない。


 通らない。


 長政は、動かした石を見た。


「・・・引かせよ。引いて、追わせよ。出てきたところを横から当てる」


「はっ」


 通れぬと見せて街道へ戻る。向こうが追えば、細道から出るまでに列が伸びる。その横へ、正面から外した別の隊を当てる。


 長政は石を戻し、追ってきた場所へ置くため、途中で止めた。


 ◇


 久政の陣へ、長政の兵が山際から引き始めたとの報せが来た。


「若殿の兵が引きまする。山際の兵が街道へ戻っております」


 久政は、すぐに答えた。


「追うな。誘うておる」


「はっ」


 赤尾は山へ使いを出した。追うな。祠から動くな。道が空いても待て。それだけを伝えさせた。


 この道で引く相手を追えば、逃げる背だけを見る。道が細いので、追う列は前後へ伸びる。伸びたところを横から突かれれば、前へも後ろへも動けない。


 久政は、若い頃にこの道で同じことをやられた。一度目は追い、横から突かれた。二度目は追わず、戻ってきた相手を押した。


 やられた側で、同じことをやった。それで覚えている。


 ◇


 長政の本陣へ、伝令が戻った。


「向こうが乗りませぬ」


 長政は、途中まで動かした石を元へ戻した。


 山際は通らない。引いても追わない。街道は押し合ったままである。


 残っているのは、上であった。


 谷を登り、山の中腹を回る。久政の陣の上へ旗を立てれば、久政は兵を割かねばならない。街道へ出す兵が減る。


 長政は、谷の口の石へ指を置いた。


「手前の谷から入れ。山の上を取る」


「旗を二本持たせよ。上へ出たら、見えるところへ立てよ」


「はっ」


 石を中腹まで動かした。


 ◇


 久政の陣へ、長政の兵が谷へ入ったとの報せが届いた。


「若殿の兵が、手前の谷へ入りました。二十ほどにございまする」


 赤尾が告げた。


「谷には、すでに十五を置いてござります」


 昨日、朝倉が引くと決まったあと、久政はその谷へ十五人を入れ直していた。自分の兵である。中腹の狭いところで待ち、上へは出ず、登ってくる者だけを止めよと命じてある。


「うむ」


 久政は、それだけ言った。


 ◇


 半日が経った。


 長政の本陣へ、谷へ入れた隊が戻ってきた。


 二十ほどいた者が減っている。歩く者の肩を、別の者が支えていた。旗も一本しかない。


「上に十五ほどおりまする。道が狭く、前へ出せるのは一人ずつにございまする」


 長政は、それを聞いた。


 絵図では、道は一本の線である。線には幅がない。何人並べるかも書いていない。


 三度兵を動かし、三度とも父に先を取られた。


 山際の細道。引いて誘う手。谷の中腹。


 長政が兵を動かすたび、その先には、久政が先に置いた兵がいた。


 絵図にない道を、父はすべて知っていた。長政が次に何をしようとするかまで、読んでいた。


 長政は、絵図を見た。


 動かして戻した石の跡がある。紙の表面に土がつき、街道の線が汚れていた。


 父に読まれぬ手を探すのを、長政はやめた。


 谷の石を戻した。前の三つも元へ戻す。四隅の石を外し、絵図を巻いた。


「・・・策は、もうよい」


 伝令が顔を上げた。


「正面から当てよ。押し続けよ。替えを出せ」


「はっ」


「前の隊を半刻ごとに替えよ。下げた者には水をやれ。傷の浅い者は二度目に回せ」


「槍を折った者には、後ろのものを渡せ。持てぬ者は下げよ」


 同じことを繰り返す。前へ出す。押される。下げる。代わりを入れる。また押す。


 山際へ回らない。引いて誘わない。谷にも入らない。久政が先に手を打った場所を、一つも使わない。


 街道だけを見る。


 繰り返せるかどうかは、替えの数で決まる。長政には千を超える兵がいる。久政は五十ほどである。道が細く、一度に数は使えない。だが、替えとしてなら使えた。


 最初の隊を下げ、次を入れる。半刻して、また下げる。三つ目を入れた。


 昼を過ぎ、道の半分が山の陰へ入った。


「前、動きませぬ」


「替えよ」


「向こうも入れ替えておりまする」


「そのまま押せ」


 さらに半刻が過ぎた。


「押しております」


 久政の側が、少しずつ下がっている。代わりに前へ入る者が、先ほどいた者と同じ顔になり始めていた。


 長政の側は、違う者を入れている。


「向こうの兵、数が減っておりまする」


 長政は答えなかった。床几に座ったままである。


 台の上には、石だけが残っていた。


 絵図は、巻いたままであった。

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