↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長政は、お市に勝てない ―敵陣へ駆ける妻を、浅井長政は裏で勝たせる―  作者: 島村 巡
【第一部 北近江編|第二章 若狭】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/83

【第二章 余話】第二十五話余話 動けぬ長政 柵を越える市

 ◇


「市、待たれよ」


 長政の声が届いているはずなのに、市は振り返らなかった。


 黒い馬が柵へ向かっていく。市は手綱を短く持ち、薙刀を右脇へ寄せていた。


 長政は馬の腹を蹴った。市の後ろへつこうとした、そのときである。


 右手の木立が揺れた。


 三十を超える男たちが、一斉に飛び出してくる。槍の穂先を低く構え、浅井の馬へ向かって走っていた。


「右じゃ! 刃を立てるな。殺してはならぬ!」


 長政は馬を右へ回した。


 正面から来た槍を刀の峰で打ち落とす。続いて踏み込んだ男には馬の肩をぶつけ、身体ごと道の外へ押し出した。


 市を追わなければならない。


 顔を柵へ向けると、黒い馬はさらに遠ざかっていた。市は止まるどころか、馬の速さを上げている。


 長政は追えなかった。


 前へ出れば、木立から来た者たちが浅井の列へ入る。後ろには、細い道に並んだ兵と荷駄がいる。ここを空けるわけにはいかない。


 左から槍が伸びてきた。長政は刀で穂先を外し、柄をつかんで引み手を馬の前へ引き倒す。


「大野木、右を押し返せ! 深く追うな!」


「はっ」


 返事を聞きながら、長政は柵を見た。


 市は柵に沿って走っている。黒い馬の首をわずかに左へ向け、並んだ丸太を見ていた。


 越える場所を探している。


 それが分かった途端、長政の指が手綱を強く握った。


「三田村!」


 市の左を走っていた三田村が、こちらへ顔を向けた。


「市をたのむ」


「はっ」


 三田村が黒い馬を追う。


 頼むと口にすることしかできなかった。自分でで行きたい。柵の前まで追いつき、その手綱をつかんで止めたい。


 それでも、目の前の者たちへ背を向けることはできない。


 長政は突き出された槍を打ち払った。次の男の胸へ刀の峰を当て、馬上から押し返す。


 視界の端で、市の薙刀が動いた。


 刃が上を向く。


 市は長い柄を頭上へまっすぐ立てていた。横に持てば柵へ当たる。馬と一緒に越えるための構えである。


「市!」


 黒い馬が、丸太へ向かってまっすぐ走る。


 長政は手綱を引いた。馬が前脚を浮かせる。だが、その前へ新たな槍が出され、進むことができない。


 槍を刀で弾いたとき、黒い馬が地面を蹴った。


 馬の身体が浮く。


 市の腰が鞍から離れ、膝が馬の胴を挟んだ。頭上へ立てた薙刀は傾かない。


 黒い馬が宙へ上がった。


 丸太が馬の腹の下を通る。前脚が柵の向こうへ伸び、土へ下りた。続いて後ろ脚が越え、市の身体が鞍へ戻る。


 黒い馬は止まらず、そのまま人の中へ入っていった。


 柵の向こうで、人が左右へ散る。黒い馬の背と市の薙刀が、そのあいだを進んでいく。


 長政は目の前の槍を払いながら、市を探した。


 人の陰へ入るたび、姿が見えなくなる。そのたびに手綱を握る指へ力が入った。


 馬から落ちてはいないか。横から槍を向けられてはいないか。弓を持つ者が、市を狙ってはいないか。


 確かめたいものは増えるのに、長政の身体は柵のこちら側から動けなかった。


「大将はどこじゃ!」


 市の声が聞こえた。


 長政の肩から、わずかに力が抜ける。声が出るなら、少なくとも馬上にはいる。


 返事は聞き取れなかった。


 やがて、人のあいだから黒い馬の頭が現れた。市が手綱を引き、柵へ向きを変えている。


 戻ってくる。


 長政は、こちらへ向かってきた男の槍を峰で叩いた。穂先が地面へ落ちる。


「退け!」


 刀の切っ先を向けると、男は槍を捨てて木立へ走った。


 長政は追わない。すぐに柵へ顔を戻す。


 黒い馬が速さを上げた。


 市は薙刀をまっすぐ立てたまま、同じところから柵を越える。前脚がこちら側の土をつかみ、後ろ脚も丸太を越えた。


 市の腰が鞍へ戻った。


 長政の口から、止めていた息が漏れた。


 黒い馬が近づいてくる。長政は市の顔を見て、肩、腕、手元へ順に視線を動かした。衣に血はなく、薙刀の刃にも何もついていない。


 黒い馬の前脚にも、歩みの乱れはなかった。


「大将はおらぬ」


 市は、それだけを長政へ告げた。


 柵を越え、人の中へ入り、何事もなく戻ってきた。長政がどれほど声を上げたのかなど、気づいてもいない顔である。


 市は黒い馬を陣の方へ向けた。


「ならば、陣へ戻るぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。