【第二章 若狭】第二十七話 長政の二通 銭も名も取らぬ
一五六二年 夏 若狭 小浜
昼過ぎに、浅井の当主が来た。
供はなく、馬一頭である。去年の冬から数えて、四度目であった。
店の主は、長政を奥の座敷へ通した。
戦の話は、一度も出ていない。浅井が若狭へ兵を入れ、柵で止められて引いたことも、この町には届いている。それでも、主は訊かなかった。
これまでの三度も同じであった。荷の値。船の数。山を越える駄。一度も、浅井へ付けとは言われていない。
「北近江を通して、京まで荷を抜けるようにいたしまする」
長政は、そう言った。
「通り銭は」
「取りませぬ」
主は黙った。取らぬという話は、これまでにも聞いたことがある。初めの年は取らず、次から取る。当主が代われば、また取る。
「・・・止まりませぬか」
そちらの方が大事であった。銭なら、勘定へ入れればよい。荷が止まれば日が延びる。日が延びれば値が変わる。それは、先に勘定へ入れられない。
「止めませぬ」
取らぬと言ったときと、同じ調子であった。
主は勘定した。この男が持ってきたものは、自分の国の道だけである。銭も人も船も出さない。元手の要らない話なら、出す側が苦しくなって止まることもない。
続かなくなる話は、たいてい出す側が苦しくなったときに終わる。初めから何も出していない話なら、苦しくなりようがなかった。
こちらも浅井へ付く必要はない。誰と戦うとも言わなくてよい。近江へ荷を回すかどうかは、そのときの値と関の数で決められる。
損がない。
「・・・ようござりましょう」
長政は頭を下げた。それから、どの月に荷が多いか、一日に駄を何頭出せるかを訊いた。どれも、町の者なら知っていることであった。
訊き終わると、立った。
一五六二年 夏 近江 伊吹
京極高吉の屋敷は、伊吹の裾にある。
もとは城のあったところだが、いまは屋敷だけで、堀も埋まっている。門の番も一人しかいなかった。
京極は、この国の守護であった。将軍家に近く、浅井はその下にいる家の一つにすぎなかった。北近江だけではない。出雲も隠岐も飛騨も預かった家であり、京にも屋敷があった。
家督でもめているあいだに、下にいた者が国を持った。いま北近江を持っているのは、浅井である。
高吉は、五十を越している。名と官途は残り、京から書状が来ることもある。ただ、それに応えて何かを出す力はなかった。
その浅井の当主が、供も連れずに来た。
長政は包みを解き、書面を畳の上へ置いた。一枚目には、京極の家督を京極のものとして認め、名と官途を妨げないこと。二枚目には、今の所領へ足す分と、その境。三枚目には、寺社への寄進を誰の名で行うかが書かれていた。
高吉は、三枚とも二度読んだ。
「京極の名は、京極のものにござりまする」
高吉は書面を膝へ置いた。兵のことが書かれていない。城も、番所も、道も、湖の舟もない。誰かを付けるとも、預けるとも書いていない。
名と、地と、寄進の名義。それだけである。
名は、返してもらうものではない。もともと京極のものである。返すと言われている時点で、もうこちらのものではなくなっている。
「・・・所領のみか」
「はい」
長政は、付け足さなかった。
高吉は庭を見た。埋めた堀の跡だけが低く残り、夏草が生えている。
断ることはできる。だが、京へ言っても何も起こらない。朝倉は近江へ手を出さない。六角はもういない。国の中で京極の名を立てると言う者は、この男のほかにいなかった。
受ければ名が立つ。その名で寄進ができる。寺が書き、書かれた名は残る。
残るだけである。それでも、残らないよりはよい。
この男は、断らないと分かって来ている。それでも、その顔をせずに書面を置き、待っていた。
「承知した」
長政は頭を下げた。
触れは近江の内へ回し、京へも一通出す。その場で決まったのは、それだけであった。
◇
触れが回ったのは、その月の末である。
京極の家督を認めること。所領を足すこと。寺社への寄進を京極の名で行うこと。
長政は評定を開かなかった。なぜいまなのか、若狭とどう関わるのかも言わない。ただ、触れだけが出た。
久政のところへ来る者が減った。急にではない。毎日いた者が二日に一度となり、三日に一度となった。言えることがなくなったからである。
筋を通せと言った。通った。旧主筋を差し置くなと言った。差し置いていない。義を軽んじるなと言った。軽んじていない。
誰かがしたのではない。当主がした。
久政は何も言わなかった。赤尾は二度、その部屋へ行った。二度とも京極の話は出ない。庭と越前の知り合いの話をして帰った。
夏の終わり、赤尾は次の若狭のため、郷へ触れを出した。名主は一日で捕まった。前には三日かかった。蔵からも、割り当てた数だけ糧が出た。数え直しは入らなかった。何が違ったのかを、赤尾は考えなかった。
若狭への使いも動き始めた。海北が城を出入りする回数が増えたので、赤尾にも分かった。
誰も、止める命を受けていない。だから、解かれる命もない。止まっていたものが、勝手に元へ戻った。
秋の初め、若狭から報せが来た。柵を組んだ者たちが、人だけを退いたという。誰が退けと言ったのかは、書かれていなかった。
八幡宮に人が集まったのは、そのあとである。
野が埋まった。空いていた場所へ村の者が座り、前にはなかった旗も立った。糧の駄も、前の年と同じ長さに戻っている。
人を出せと、長政が言い直したわけではない。糧を揃えよとも、使いを急がせよとも命じていなかった。
赤尾は、鳥居の外から見ていた。
何も言わなかった。




