【第二章 若狭】第二十四話 若狭へ出陣 勝って戻る
一五六二年 夏 近江 今浜
替えの薙刀は、六本になっていた。
野村定元は、それを参道の脇へ並べていた。
鳥居から少し外れたところである。人が通るところへ置けば邪魔になり、野の方へ寄せすぎると、兵が立ったときに囲まれて出せなくなる。前の戦で困らなかったので、今回も同じところへ置いた。
地面へ布を敷き、刃に布を巻いたまま一本ずつ持ち上げた。柄の真ん中を持って前後の重さを見る。市が使うとき、どこを握るかは分かっていた。そこで持ったとき、刃の方へ寄りすぎるものは別へ置いた。
重さを量る道具はない。野村が持って、重いと思うかどうかで分けた。
柄だけのものも四本ある。刃が使えても、柄は割れる。裂けただけなら楔を打って使えるが、折れてしまえば、その場で替えなければならない。
目釘。楔。油を入れた壺。拭うための布。細い革。それらを木箱へ詰め、六本の薙刀と一つの駄へ括った。途中で緩めば馬の腹へ当たる。縄の間へ布を挟み、駄を引く者と両側から引いた。
替えの馬は三頭出した。市が乗っている一頭とは別である。
二頭では足りないことが、去年分かった。初めの一頭を替える。替えた馬が脚を痛める。もう一頭を出す。帰りに乗せる馬がなくなった。四頭にすれば、引く者と食わせるものが増える。
三頭になった。誰かが三頭にせよと言ったのではない。
初めの戦には、替えの薙刀を持っていかなかった。市のものが折れ、近くの者の槍を借りた。次には一本持っていった。その一本も折れた。その次に二本となり、三本となった。
やっているうちに、いまの数になった。足りなければ、野村が困る。市が困る前に、周りの者が野村を見る。足りたときは、誰も見ない。それでよかった。
六角との戦では二本が使えなくなった。刃の曲がった一本は打ち直させた。戻ってきたものを、市が一度持った。
「重い」
市がそう言った。それだけである。重いと言われたものは、今日は持ってこなかった。
六本のうち二本は、この春に長政が誂え直したものである。市は、新しいものが増えたことを知らない。いま持っている薙刀が折れれば、野村たちが次を持っていく。市はそれを受け取り、振る。それで終わりであった。
人は、よく集まっていた。
村ごとにまとまり、参道の両側から、その先の野まで座っている。旗も立っていた。初めて見る旗が、端の方に一つある。去年までは六角の側に立っていた家のものだったが、誰も見に行かなかった。そこにあるので、その下に人が座っている。
名を読み上げる声が、朝から続いていた。
村の名を呼ぶ。立った者が人数を答える。書き付けと比べ、足りなければ理由を訊く。病。怪我。田から戻っていない。触れを受けたのが遅かった。一つずつ書き付けた。
空いている場所はあった。
遠くから見れば埋まっている。旗の下を一つずつ見れば、座っている者の少ないところが分かった。
糧の駄も、順に来た。村から出た分。蔵から出た分。俵に札をつけ、どの隊につけるかで分けていく。野村の役ではないが、置き場が近いので手伝った。
若狭へ入る前に使うもの。山を越えてから使うもの。最後まで開けないもの。
最後まで開けないものが、予定より少なかった。
蔵から来る分が、まだ着いていない。追って来るという話であった。来れば加える。来なければ、ある分で行く。
長政が、社の方から下りてきた。拝み終わったところである。
手水を使った。幣の前で頭を下げた。神酒を受けた。作法は、これまでと同じであった。
長政は参道の途中で足を止め、野の方を見た。立っている旗と、その下に座る者を順に見る。それから、野村の並べた荷へ目を移した。
何も言わなかった。
野村も、何も訊かなかった。人が来ていないのは、見れば分かる。糧も同じである。来れば受け取る。来なければ、いまあるものを載せて出る。
馬の音がした。初めは、鳥居の外で聞こえた。
すぐに近づいた。人の声も混じる。座っていた兵が、そちらを見た。
市が、来た。
馬に乗ったまま、鳥居を潜ってくる。誰も止めない。脇にいた者は、市の馬が通る前から場所を空けていた。
市は社の前で馬を止めた。降りない。拝まない。手水も使わない。これまで、一度も拝んでいなかった。
初めの頃には、神主が何か言おうとした。二度目には長政を見た。三度目からは、何も言わなくなった。今日も、市を見ただけであった。
市は馬の向きを変え、鳥居の先から、その向こうの野までゆっくりと見回した。座っている兵。立っている旗。参道の脇の糧。野村の前にある替えの薙刀。
人が足りないことを訊かなかった。糧の駄が少ないことも、替えの馬が何頭いるかも訊かなかった。
市は、手にしていた薙刀を立てた。石突きを鐙へ当てる。
柄を、まっすぐ上へ伸ばした。
朝の日が刃へ当たった。
白く光る。
風が来ると、刃の先がわずかに揺れた。参道の端からでも、そこだけが見えた。
座っていた者が立ち始めた。誰も命じていない。前の方が立つ。後ろにいた者が、それを見て立つ。さらに後ろも立つ。具足の金具が鳴り、地面へ置いていた槍を持ち上げる音が、野の端まで伝わった。
その間、市は一度も動かなかった。薙刀を立てたまま、馬上で背を伸ばしている。
最後の者が立った。
「みなの者、これより出陣じゃ」
市の声が、野の端まで届いた。
「皆の力を、わしにみせてみい」
野村は、締め終わった駄の結び目へ手を置いたまま、市を見た。
槍の石突きが地面を打った。一つ。二つ。初めは揃っていない。前の方から後ろへ広がり、音が重なる。野の地面が低く鳴った。
来ている人数が書き付けより少ないことを、その音から知ることはできなかった。
市が、社の方を向いた。薙刀は立てたままである。
「勝って戻る」
願ってはいない。頭も下げない。すでに決まっていることを、社へ知らせた言い方であった。
神主は何も言わなかった。長政も止めなかった。
「長政、若狭にむかうぞ」
市の馬が走り出した。参道へ入り、鳥居を潜る。誰も先導していない。市が先に行き、道を知る者が後ろへつく。
「みなの者、続け。遅れるな」
長政が言った。
「おおー」
今度は、初めから声が重なっていた。
前の者が動く。旗が傾く。村ごとの列が参道へ寄り、座っていた場所から人が消えていく。
野村は駄を引く者へ合図し、三頭の替え馬を列の後ろへ回させた。薙刀と柄を括った駄も続く。
まだ来ていない糧は、ここにはない。ないものを待って、市の姿が見えなくなる方が困る。
あるものを出した。駄の横へつく。列の後ろへ入る。
市は、もう鳥居の外にいる。替えの馬を見なかった。荷の数も、薙刀が何本ついてきているかも知らない。
それでも、市が使うものは、市の後ろを進んでいた。
鳥居を出るとき、野村は一度だけ振り返った。
社の前に神主が立っている。その先の野から、人はいなくなっていた。立ててあった旗もない。糧を置いていた跡と、駄が踏んだ土が残っている。
人の座っていたところは、草が倒れていた。




