【第一章 六角】第十一話 長政の十二通 返事は要らぬ
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進藤が討たれたという話は、五日で南近江の端まで届いた。
速かった。
討たれた場所から観音寺までは、馬で半日とかからない。そこから先へ回るのに、四日しかかかっていない。誰かが触れを出したわけではなかった。観音寺が動いた様子はない。
観音寺は、六角の城である。南近江の東寄り、湖から少し入った山の上にある。近江の南は、この城から回っていた。
当主は義賢という。六角は代々、この国の守護である。京に近く、将軍家との間を取り持ってきた。義賢の代になり、その力は揺らいでいた。
境目から戻った者が話した。それを聞いた者が、別の者へ話した。宿で聞いた者が道で話し、荷を運ぶ者が帰った先で話した。
話は、届くたびに形を変えた。
女が討ったのだという。浅井へ嫁いだ織田の姫だという。馬から降りずに斬ったという。槍も矢も届かぬ速さで敵陣へ入り、大将だけを見つけて討ったという。斬ったあとで、ようやく名を訊いたともいう。
供の兵は、ただ後ろをついて走っただけだとも言われた。
見た者から直接聞いた者はいない。聞いた者から、また聞いている。確かめるには境目まで行かねばならない。そこまでして確かめる者はいなかった。
話す者はいた。
進藤は、六角の柱の一本であった。
柱とは、その名を出せば家中の話が通る者のことである。六角には二本の柱があった。もう一本の後藤賢豊は、去年、観音寺で討たれている。討ったのは身内であった。
それから家中は、元に戻っていない。国へ帰ったまま出てこない者がいる。同じ座にいながら、互いの方を見ない者もいる。
それでも、進藤がいた。
進藤が兵を出せば、その下の者は出た。進藤が座れば、六角の家中はまだ一つであるように見えた。
その進藤が討たれた。
◇
話が南近江へ届くより前、小谷へ戻った翌日の昼前に、海北綱親は呼ばれた。
久政の代から仕える家臣である。年は三十半ばで、家中では若い方に入る。
長政の部屋は、襖が開け放してあった。敷居の先は縁へ続いている。長政は部屋の中の机へ向かっていた。
海北が敷居の内へ入り、少し離れたところへ膝をつく。
長政は書いている。
顔を上げず、片手で少し待てという形をした。海北は、そのまま待った。
机の上には硯が二つあった。一つには墨が磨ってある。もう一つには水だけが入っている。筆は三本、伏せて置いてあった。
料紙も二種類ある。厚いものと、薄いもの。厚い方は数が少ない。
長政は、薄い方を使っていた。
書き上げると脇へ寄せ、乾かしているあいだに次を書く。乾いたものから畳み、包んでいく。包み紙はどれも同じで、宛名は包んでから書いた。
途中で一度、厚い料紙を取った。一通だけ書いて、また薄い方へ戻った。
海北は、書かれていく宛名を、見ようとせずに見た。
どれも南近江である。四つか五つ、続けて別の名が出た。
文の長さは、どれも同じくらいであった。それでも、書くのにかかる間は一通ずつ違う。同じ文を写しているのではない。一通は、途中で筆が止まった。しばらく紙を見たあと、そのまま続きを書いた。
書き直しはしなかった。
縁の方で、金物の音がした。
市が座っている。
縁板に布を敷き、その上へ薙刀を横たえていた。柄を膝へ載せ、目釘を抜いてある。
刃には、こぼれが二つあった。深くはないが、指でなぞれば分かるほどのものである。
市は刃を拭い、油を打ち、また拭った。日に当てて、向きを二度変える。
海北は兵法者である。手入れを見れば、習ったかどうかは分かる。
市の手順は、教わった通りであった。習った者は、そのうち自分のやりやすい順へ変えていく。市は、まだ変えていない。
外した目釘が板の上を転がった。縁の端で止まったが、市は取りに行かなかった。
長政は書いている。
書きながら顔を上げ、縁の方を見る。それから紙へ目を戻し、続きを書く。
海北は、それを何度も見た。二十を数えたところでやめた。
市は一度も顔を上げなかった。
薙刀の柄を回し、根元を見ている。木が割れているらしい。指で押さえ、力を入れて、もう一度押さえた。
長政が筆を置いた。書状の束を揃え、海北の方へ寄せる。
「海北。これを頼む」
海北は膝を進め、両手で受けた。
十二通あった。
束の中で、一通だけ手触りが違う。厚い料紙に書いたものである。海北は、それを一番下にした。
「一度に出すな。日を分けよ」
「はっ」
中身も、狙いも訊かなかった。宛名を見れば、およそのことは分かる。分かったことも言わない。
海北の役は、日を分けて届けることである。
三日か四日に散らす。使いは同じ者を使わない。南近江へ入るには、湖の東を通る道と、船で渡る道がある。すべて陸から出せば、街道で使者の顔が揃う。半分は船にする。
船を出せる者には、心当たりがあった。
同じ日にいくつもの家を訪ねれば、それだけで話が伝わる。門を叩かれた側は、隣の家にも浅井の使者が来たと知る。
知られては、この手は効かない。
包みは、宛名が見えないように括ってから持たせる。使いの者には、届け先だけを教える。何を運んでいるかは言わない。
「返事は」
「要らぬ」
海北は頭を下げて立った。
立ち際に、縁の方が目に入った。
市は、まだ薙刀を見ている。柄の根元を押さえたまま、こちらへ背を向けていた。書状の束が渡ったことも、海北が部屋へ入ってきたことも、おそらく見ていない。
海北は部屋を出た。
廊下へ出ると、縁の方から、また金物の音がした。
歩きながら、十二通を数え直した。
数は合っていた。




