【第一章 六角】第十話 小谷の出迎え 誰もそちらへ行かなかった
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城の前で、久政が待っていた。
道の出口の正面に立っている。供の者が二人、少し後ろにいる。床几は出ていない。いつからそこにいたのかは、赤尾には分からなかった。
家中の者が、城の前に出てきている。留守を預かっていた者、蔵役、台所の者、女たち。話している者はいるが、誰も長くは続けない。道の下から音がするたびに、話が止まった。
先に聞こえたのは、蹄の音であった。
山道の折れに遮られて、姿はまだ見えない。音だけが下から近づいてくる。城の前にいた者たちが、少しずつ道の方へ寄った。久政は動かなかった。
やがて、列の先が見えた。
先に市が来た。
馬上で背を伸ばしている。後ろに続く者たちより、少しだけ先へ出ていた。市は、城の前に集まっている者たちを見た。
「討ち取ったぞ」
城の前へ着くなり、馬上から言った。誰に向かって言っているのでもない。久政に報告したのでもない。そこにいる者すべてへ、上から投げた。
道の近くにいた者から順に、顔が上がった。後ろにいた者も、人の肩越しに市を見た。話していた者は口を閉じた。久政の方へ向き直る者はいなかった。
誰かが声を上げた。それを合図にしたように人が動き、止まっていた城の前が、一度に騒がしくなった。
市は馬を降り、近くにいた者へ手綱を差し出した。
受け取ったのは、台所の者であった。自分が何を持たされたのかに気づいたときには、馬が一歩動いていた。台所の者も一歩ついていった。厩の者が寄ってきても、すぐには手を離さなかった。
市は、もう見ていない。集まってきた者たちの方へ歩いていた。
その後ろから、長政が上がってきた。
馬を降りて、手綱を厩の者へ渡し、袴の前を一度払った。それから久政の前へ進み、片膝をついた。
「父上、討ち取りましてございまする」
「そうか」
それだけであった。
誰を討ったとも訊かなかった。こちらの損を訊くこともしなかった。市を見ることもない。片膝をついた息子を見て、それだけであった。
長政は、頭を下げた。下げてから、しばらくそのままでいた。久政が何も言わないので、やがて頭を上げた。
赤尾は、少し離れたところで馬を降りた。手綱を厩の者へ渡し、そのまま二人を見ていた。
喜んではいない。責めてもいない。受け取った、というだけの返事であった。
久政はもともと、褒める言葉を持っていない。何かを報せれば、そうか、と返す。それで終わる。赤尾は長く仕えているので、それを知っていた。
だから、これはいつも通りである。
いつも通りではないのは、こちらの側であった。
長政が立った。一歩下がり、久政の前を空けた。それから、市の方へ顔を向けた。
市は、城の前にできた輪の中にいる。
女が一人、手ぬぐいを持って寄っていった。市は顔を拭いた。頬に土が残っていると言われて、もう一度拭った。
言った者がうなずいた。市も、なぜかうなずいた。
周りが笑った。市が何か言った。笑いがもう一度起きた。
後ろから来た兵が、輪の外で立ち止まっている。入ろうとはしない。呼ばれていないからである。それでも帰ろうとはせず、市の姿を見ていた。
市が、そのうちの一人へ顔を向け、何かを訊いた。
訊かれた者は、自分の胸に手を当てた。市がもう一度言うと、その者は背を伸ばして答えた。
市が、その名を口にした。
男の顔が変わった。隣にいた者が、肘で男の脇を突いた。突かれた男は、市の方を向いたまま、隣を押し返した。また周りが笑った。
首が運ばれてきた。
麓から担ぎ上げてきた者たちが、城の前の空いているところへ並べていく。三十ほどである。数を読み上げる声がした。
市は、それを見ていない。人の方を見ている。誰かの名を訊いて、答えを聞く。戦のどこにいたのかを訊く。答えた者の肩を叩く。
首を並べる声と、市の周りの笑い声が重なっていた。
やがて、進藤の首がどれかという話になった。誰かが市を呼んだ。並べたうちの一つを、担いできた者が指した。
市は輪から出て、そちらへ歩いていった。人が道を空けた。
指された首の前で止まった。膝をつかない。腰を曲げて、上から覗き込んだ。
しばらく見た。
「これじゃ。わしが討ち取ったのじゃ」
周りが声を上げた。
市は身を起こした。得意げに見えた。誰もが市を見ていた。
久政は、そこから五間ほど離れたところにいる。
誰もそちらへ行かない。
首の数も、討たれた者の名も、久政のところへは届いていない。届けに行く役の者は、市の周りにできた輪の中にいる。書付を持ったまま、隣の者と何かを言い合っていた。
久政は動かなかった。市の周りで声が上がるたびに、そちらへ目を向ける。顔は変わらない。
赤尾は、そちらへ行こうとした。
右足を半歩出しかけて、止まった。
行けば、行かない者たちと自分を分けることになる。分けたところで、報せることは何もない。進藤を討ったことは、久政も聞いている。
赤尾は、出しかけた足を戻した。行かなかった。
長政は、輪の外にいた。市の方を見ている。
市が誰かの名を呼べば、そちらを見る。肩を叩けば、その手を見る。笑えば、顔を見る。ほかは見ていない。
赤尾は、長政を見た。
顔は動いていない。誰かが横から何か言ったが、返事が遅れた。もう一度言われて、ようやくそちらを向いた。向いて、すぐに市の方へ戻した。
◇
日が落ちた。
誰かが松明を持ってきた。一本では足りず、もう一本が来た。城の前が明るくなり、そのぶん外側が暗くなった。松明の明かりが、市の横顔に当たっている。
市は、まだ喋っている。
次はいつ出るのかという話を、もう始めていた。訊いているのは市の方である。訊かれた者は笑い、隣の者を見た。隣の者も答えられない。
久政が、いつのまにかいなくなっていた。
立っていた場所には、誰もいない。供の者も二人ともいなかった。
道の出口は、松明の明かりが届かず、暗くなっている。
赤尾は、いなくなったあとに、それに気づいた。




