3.皇族の登場
趙龍崇は今日も黒衣に身を包んでいる。ただし、いつもは黒一色でしかない衣なのに、今日のそれには赤青黄で刺しゅうされた三匹の龍が競うように躍っている。そのため、黒衣とはいえ、今日の龍崇はまごうことなき皇族の一員であった。
先導する侍従につづき、皇帝・趙英龍、そのすぐ後ろに龍崇、そして背後にはさらに二名の壮年の皇族がいる。一人は趙龍顕、もう一人は初代皇帝の側妃の子である趙龍曹という。皇族は彼ら四人の他にもいるが、誰もが彼らに劣る血筋、または老年、または地方在住者であり、今夜の宴にはこの四名で参加することとなっていた。
龍崇は目の前を歩く英龍が常の異母兄らしいことに、安堵するような、それでいて残念なような気持ちでいた。急に快活にふるまいだしたと思ったら、龍崇が原因を突き止める間もなく、その翌日には元の彼に戻ってしまっていたのである。
先日の失敗もあり、龍崇はその連続した心境の変化の理由を問うことができていない。英龍もまたそれを許しはしない態度を示している。そう、いつもと違うとすれば、英龍が龍崇に対して心を閉ざしてしまっていることだ。
龍崇は内心でため息をついた。
この宴が終わったら心から謝罪しよう。
龍崇は異母兄のことを愛していた。彼のためにこの宮城で皇族として生きているといっても過言ではない。だから、英龍から拒絶されたままでは、龍崇はどうしていいのか分からなくなる。
(いつの間にか楊家の娘も姿を消してしまったし……。あとは今宵の琵琶くらいしか楽しみはないな)
そう考えている自分に気づいて、龍崇は小さく笑った。
(英がいなくなれば、私に残されるものはつまらぬ娘一人と琵琶だけか)
この国の皇族であるというのに、なんとその手の内のものは少ないのだろうか。わずかな喜びしかその手にはない。しかしそれすら――。
(いや、違う。琵琶だけだ。……あの娘は英に進呈すると決めたのだから)
龍崇は決めている。英龍にはできうる限りのことをすると。今の英龍には心を開くことのできる人物が必要なのだ。それが年頃の女人で、しかも高位の家の娘とくれば、龍崇がすべきことは天によって定められているに等しい。
龍崇は楊珪己のことを気に入っていた。彼女の姿を見て言葉をかわして、それだけで己の有する何かが軽くなるような気がしていた。琵琶が自分そのもの、英龍が絶対的存在だとしたら、楊珪己はそんな自分を理解する唯一の存在になりかけていた。
龍崇は皇族で、かつ皇位継承権は英龍の一人娘である菊花に次ぐ。であるから、己を不用意にさらけ出すことは命に係わる禁忌となる。そんな龍崇が珪己とそのような関係を構築しつつあったのは、いくつかの偶然の産物ともいえよう。しかし一度経験すれば、それは甘露のごとく癖になるのだな、と龍崇は一人思う。
そして、だからこそ、英龍のためにこの少女を捧げたいとも思うのだ。少女のような存在を本当に必要としているのは、これまで孤独に耐えてきた皇帝その人であるはずだから。皇帝でもなく、まだ妃も子もいない龍崇でも、この愛する異母兄の苦労は十分に推測できる。多くの荷を背負って生きる異母兄にこそ、この少女は必要なのだ。
これからも、長い時を皇帝として生き続ける英龍にこそ――。
*
時がきた。
皇族の、そして皇帝の訪れを告げる銅鑼が鳴り響き、重々しく扉が開かれるや、室内の全ての者が起立し顔の前に両手を組み深々と頭を下げた。先に入室していた芯国の面々も、湖国の礼にならって同様の所作で頭を垂れた。
並み居る人々は見渡せば海のようだ。その中を、威風堂々と四名の皇族が進んでいく。彼らはこの部屋のもっとも奥、芯国の大使らの前に設けられている席へと向かい、優雅な所作で腰を降ろした。
英龍がうなずくと、傍に控える侍従が「お座りください」と声をかけた。それを合図に皆が頭を上げ、そして腰を降ろした。
場が再度落ち着きを取り戻したところで英龍が立ち上がる。そして芯国の大使、アソヤクの前に手を差し出した。
『よくぞ我が国に来られた。今宵は我が国の宴を存分に楽しまれよ』
英龍が発したのは芯国の言葉である。アソヤク含め、芯国の民が湖国の皇帝に拝謁した歴史的なこの瞬間に、英龍は芯国の言葉を話し、芯国流の挨拶をしてみせたのだ。
アソヤクの顔に友好的な笑みが浮かんだ。彼はこの広間に集まる人々の中でもっとも背が高く、壮年に近いその容貌と相まって非常に貫禄がある。だが湖国皇帝に比べればその威光はやや弱く、皇帝の差し出した手を下層の人間らしい恭しい所作で握った。
「ありがとうございます」
彼の発した言葉もまた、この新しい関係を結んだばかりの相手国の言葉である。
どちらも滑らかとはいえない発音であったが、この二人の所作は、その場にいる全ての者にとって非常に喜ばしく、両国の未来が明るいことを想像させたのだった。
その後、彼らはお互いの通訳を介して会話をした。英龍は今日この日までの芯国の関係者の労苦に対して心からの感謝を示し、アソヤクは湖国の、特に外交を担当する礼部の官吏の働きを称賛した。そうして二人はそれぞれの国の代表者として語るべきことを語り、彼ら、そして対する国の者たちが満足したことを感じとると、どちらからともなく再度硬く握手をしてみせた。この場は見事に、双方の望むとおりに形作られたのである。
満を持して酒を満たした杯を全員が持ち上げる。
「では両国の末永い友好関係を願って」
英龍の合図によりみなが杯を掲げた。
そして事実上の宴の開始がここに宣言されたのである。
*
龍顕が遠くに座る一人の老年の楽士に目をやった。すると神妙にうなずいてみせたこの楽士が自身の笛を軽く爪ではじいた。と、それを受けて、これまで顔を伏せていた楽士たちがみな楽器を構え姿勢を正した。そして一呼吸置くやいなや、笛の音が鳴り、続けてすべての楽器が奏でられ始めた。




