(一)かわいいで済ませる人間
◆ かわいいで済ませる人間
うちの人間が、テレビという絵の動く箱で猫の特集を見ている。
画面には、さまざまな猫が次々と映し出されていた。
段ボール箱の中へ入る猫。
細い隙間から顔だけを出す猫。
人間の膝の上で眠る猫。
何もない壁を見上げながら鳴いている猫。
そのたびに、うちの人間は楽しそうに笑う。
「かわいいなあ」
便利な言葉である。
人間は猫の行動を理解できないと、だいたい「かわいい」で済ませる。
猫が箱の中へ入るのは、狭い場所のほうが外から襲われにくいからだ。
隙間から顔だけを出すのは、自分の体を隠しながら周囲を確認するためである。
膝の上で眠るのは、人間が暖かく、多少動いても落ちにくいからだ。
何もない壁を見上げているように見える猫も、人間には聞こえない音や、人間には見つけられない小さな虫に気づいているのかもしれない。
猫の行動には、猫なりの理由がある。
だが、人間はその理由を考えず、
「猫は狭いところが好き」
「猫は不思議なものが見える」
「猫は甘えん坊」
などと、自分たちに分かりやすい言葉へ変えてしまう。
それでも、かわいいと言われるだけならまだよい。
人間は自分が理解できないものを、ときどき笑いものにする。
◆ 一匹の失敗
画面が切り替わった。
一匹の猫が、テーブルの上に立っている。
少し離れたところには、背の低い台が置かれていた。
どうやら、テーブルからその台へ飛び移ろうとしているらしい。
猫は台をじっと見ている。
前足を一歩動かす。
体を低くする。
尻尾をゆっくりと振る。
飛ぶ前の確認をしている。
シジミはテレビの前へ移動した。
画面に映っている猫の姿をよく見る。
若い猫だろうか。
体は細い。
足も長い。
跳ぶ力は十分にありそうだ。
テーブルと台の距離も、それほど遠くない。
普通に跳べば届くだろう。
猫は腰を落とした。
後ろ足へ力を入れる。
前足がわずかに浮く。
次の瞬間、猫が床を蹴った。
いや、蹴ろうとした。
踏み切る直前、後ろ足がテーブルの上で滑った。
体が思ったほど前へ進まない。
前足だけが空中へ伸びる。
台の端へ届きそうになったが、爪をかけるには少し足りなかった。
猫の体は、そのまま床へ落ちた。
床へ着地した猫は、すぐに立ち上がる。
周囲を一度見回し、何事もなかったように歩き去った。
画面には、大きな笑い声が重ねられた。
うちの人間も笑う。
「本当に猫ってドジだな」
シジミは尻尾を一度、大きく振った。
猫がドジなのではない。
この猫が、たまたま失敗したのである。
猫を一匹見て、猫全体の性質を決めないでほしい。
人間だって、道で転んだ人間を見たからといって、
「人間は歩くのが下手だ」
とは言わないだろう。
少なくとも、自分たちに対しては言わない。
転んだ理由を考える。
道が濡れていたのかもしれない。
靴の底が滑りやすかったのかもしれない。
足元に小さな段差があったのかもしれない。
誰かに押されたのかもしれない。
疲れていて、足が上がらなかったのかもしれない。
人間が失敗したときには、いくらでも事情を考える。
猫が失敗したときには、すぐにドジで終わらせる。
ずいぶん都合のよい考え方である。
◆ 跳ぶという判断
もっとも、画面の猫についても、ただドジだったと片づけるのは正しくない。
確かに、結果だけを見れば飛び移ることには失敗している。
だが、何も考えずに落ちたわけではない。
飛び移るという行為は、本来とても高度なものだ。
まず、踏み切る場所を確認しなければならない。
足場が硬いか。
柔らかいか。
滑りやすくないか。
傾いていないか。
自分が力をかけたときに、動かないか。
テーブルだから安全とは限らない。
布が敷かれていれば、足と一緒に布がずれることがある。
紙が置かれていれば、踏み切った瞬間に滑る。
小さな物があれば、足の裏へ当たるかもしれない。
猫は飛ぶ前に、足の感触を確かめる。
次に、飛び先を見る。
着地する場所は十分に広いか。
物が置かれていないか。
着地した瞬間に崩れないか。
表面は滑らないか。
自分の体重を支えられるか。
台の上へ飛べたとしても、その台ごと倒れてしまえば意味がない。
人間は、猫が高いところへ飛び乗ると、簡単にやっているように思うらしい。
だが、飛び先を間違えれば落ちる。
飛び先が動けば体勢を崩す。
着地した場所に物があれば、避ける前に踏んでしまう。
跳躍とは、ただ上や前へ体を動かすことではない。
安全に着地し、その後も動ける状態を作るところまでが跳躍である。
距離も測らなければならない。
目で見た距離。
自分の体の長さ。
後ろ足で出せる力。
踏み切る位置。
空中で体を伸ばしたときに、前足がどこまで届くか。
そのすべてを合わせて判断する。
遠くへ跳べばよいというものではない。
力を出しすぎれば、飛び先を越える。
足りなければ、届かない。
ちょうどよい力で跳ぶ必要がある。
人間は、猫が飛ぶ前に腰を小さく動かしていると笑う。
「お尻をふりふりして、かわいい」
あれは遊んでいるのではない。
後ろ足の位置を確かめ、筋肉へ力を入れ、飛ぶ方向を調整している。
踏み切る直前の重要な準備である。
何でもかわいいで片づけてよいものではない。
さらに、飛ぶ瞬間には、周りの動きも見なければならない。
人間が急に立ち上がらないか。
扉が開かないか。
ほかの猫が横切らないか。
飛び先にいた虫が動かないか。
カーテンや紙が動けば、目の前の状況も変わる。
猫は、それらを一瞬で確かめる。
飛ぶと決めたあとも、直前まで判断を変えることがある。
安全ではないと思えば、跳ばない。
人間には、猫が急にやめたように見える。
だが、猫は気まぐれでやめたのではない。
条件が変わったから中止したのである。
中止できることも、大切な判断だ。
人間は、一度始めたことを途中でやめると、
「根性がない」
「最後までやりなさい」
などと言う。
危ないと分かっても続けることを、立派だと思っているらしい。
猫は違う。
危険ならやめる。
届かないなら跳ばない。
別の道を探す。
高い場所へ行きたいなら、椅子を使って一段ずつ上がることもできる。
目的地へ着ければよい。
一度決めた方法にこだわる必要はない。
その点では、人間よりも猫のほうが柔軟である。
画面の猫は、飛ぶという判断自体を間違えたわけではない。
距離は十分に届く範囲だった。
飛び先にも危険な物はなかった。
問題は踏み切る足場だった。
後ろ足が滑った。
その一つの条件が、跳躍全体を失敗させた。
いくら距離を正確に測っても、いくら着地点を見ても、踏み切る瞬間に力を足場へ伝えられなければ飛べない。
これは猫に限った話ではない。
人間も、走るときには地面を蹴る。
足元が滑れば転ぶ。
重い物を持つときも、足場が安定していなければ力を出せない。
それなのに、猫が滑ったときだけ、
「猫はドジ」
になる。
あまりに雑である。
※第2話「猫はドジではない」は全三回です。
続きます。
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