(二)明日はもっと出せ
◆ ようやく朝食
うちの人間は台所へ向かった。
歩くたび、後ろでまとめた髪が小さく揺れている。
スズメたちが騒ぐ。
「行ったぞ」
「飯だ」
「ようやくだ」
「遅すぎる」
「今日は何だ」
「昨日と同じでいい」
「もっと多くてもいい」
「大きい粒はやめろ」
「いや、大きいほうが腹にたまる」
「食べにくい」
「お前の口が小さいだけだ」
「お前が太りすぎなんだ」
また言い争いが始まった。
シジミはあくびをした。
うちの人間が、小さな容器を持って戻ってくる。
手首には、髪をまとめるために使っていた細い輪がもう一つ残っていた。
窓を開ける。
スズメたちは一斉に少し離れた。
さきほどまであれほど急かしていたのに、人間が近づけば逃げる。
このあたりは慎重である。
◆ 朝食会
うちの人間が庭へ餌をまいた。
小さな粒が、ぱらぱらと地面へ落ちる。
「ほら、ごはんだよ」
スズメたちは、うちの人間が窓から離れるまで待った。
完全に安全だと判断すると、一斉に庭へ降りる。
「飯!」
「こっちが多い!」
「押すな!」
「それは俺のだ!」
「先に見つけた!」
「見つけただけだろ!」
「取るな!」
「遅いほうが悪い!」
庭はあっという間に騒がしくなった。
人間には、ちゅんちゅんとかわいらしく鳴きながら餌を食べているようにしか聞こえない。
実際には、奪い合いである。
太ったスズメが、二粒を続けてついばむ。
羽の乱れたスズメが横から入り、一粒を奪う。
「それは俺が見てた!」
「見てただけだろ!」
「食べようとしてた!」
「食べてないなら俺のだ!」
「返せ!」
「もう食べた!」
小柄なスズメは、争いから少し離れた場所で、小さな粒を一つずつ拾っていた。
騒がず、急がず、確実に食べている。
先ほど弱い立場に見えたが、案外賢いのかもしれない。
大きな粒を取り合っている間に、小さな粒を何個も食べている。
人間も同じだ。
大きく目立つものを奪い合っている間に、静かな者が必要なものを手に入れている。
違うのは、人間のほうがそれをもっと複雑な言葉で説明することくらいである。
◆ お返事ではない
うちの人間は、温かい飲み物を入れた椀を両手で持ち、窓辺に座ってスズメたちを眺めていた。
「おいしい?」
太ったスズメが顔を上げた。
「少ない!」
うちの人間が笑う。
「お返事してくれた」
返事ではない。
追加の要求である。
羽の乱れたスズメも鳴いた。
「もっと出せ!」
「このくらいじゃ足りない!」
「昨日より減ってるぞ!」
うちの人間はうれしそうに手を振った。
「そんなに喜んでくれるなら、明日もあげようかな」
喜んではいない。
量について苦情を言っている。
ただ、明日も餌を出すという部分だけは正しく伝わったらしい。
スズメたちが騒ぎ始めた。
「明日もあるぞ!」
「聞いたか!」
「明日はもっと早く来る!」
「俺が最初だ!」
「今日も俺が最初だった!」
「塀にいただけだろ!」
「庭に降りたのは俺だ!」
「どうでもいい!」
人間の言葉をすべて理解しているわけではないはずだが、「明日」と「餌」に近い響きだけは覚えているのかもしれない。
食べ物に関する言葉は、どの生き物も覚えるのが早い。
うちの人間も、シジミが食事の袋を開ける音を聞き分けることを不思議がっている。
不思議でも何でもない。
大切なことだから覚えているだけだ。
人間だって、自分に関係のある言葉だけはよく覚える。
給料。
休日。
無料。
限定。
猫からすれば、どれも同じようなものだ。
◆ 足りない
餌がなくなり始めると、スズメたちの動きが激しくなった。
まだ残っている粒を探して、庭の隅までつつく。
太ったスズメが、何もない地面を何度もつついた。
「ないぞ!」
羽の乱れたスズメが植木鉢の下をのぞく。
「こっちもない!」
「隠してないか?」
「昨日はもっとあった」
「気のせいだ」
「いや、あった」
「お前が食べたんだろ」
「俺はそんなに食べてない」
全員が太ったスズメを見る。
太ったスズメが羽を膨らませた。
「何だ」
誰も何も言わない。
だが、全員が同じことを考えているのは分かった。
うちの人間は、空になった庭を見て満足そうにうなずいた。
飲み物の椀へ口をつけ、細く息を吐く。
「全部食べてくれた」
食べてくれたのではない。
食べられるものがあったから食べただけである。
そこに感謝も奉仕もない。
それでも人間は、自分が用意したものを食べてもらうと喜ぶ。
シジミの皿が空になっていると、
「きれいに食べたね」
と言う。
食べたかったから食べただけだ。
人間を喜ばせるためではない。
だが、そう思わせておいたほうが食事が増えることもある。
その点では、スズメたちもよく分かっている。
太ったスズメが窓へ向かって鳴いた。
「足りない!」
うちの人間が手を振る。
「また明日ね」
「今日だ!」
「今持ってこい!」
「まだ腹が減ってる!」
「仕事を途中で投げ出すな!」
うちの人間は窓を閉めた。
スズメたちは、しばらく窓の前で騒いでいた。
「閉めたぞ!」
「逃げた!」
「無責任だ!」
「呼び戻せ!」
「猫、お前から言え!」
突然、シジミへ話を振ってきた。
シジミは目を細める。
なぜ自分が、スズメのために人間を動かさなければならないのか。
しかも、先ほどまで黒いのなどと呼んでいた。
頼み方というものがある。
シジミは何も答えなかった。
太ったスズメが窓の向こうから叫ぶ。
「聞こえてるだろ!」
「飯を出させろ!」
「お前は中にいるんだから、それくらいできるだろ!」
シジミはゆっくりと立ち上がった。
ガラスのすぐそばまで近づく。
スズメたちが一斉に黙った。
シジミが前足をガラスへつける。
三羽が同時に飛び上がり、塀まで逃げた。
小柄なスズメだけは、少し遅れて飛んだ。
太ったスズメが塀の上から叫ぶ。
「脅すな!」
羽の乱れたスズメも続く。
「話し合いだろ!」
先ほどまで命令していた者の言葉とは思えない。
シジミは窓辺へ戻り、また座った。
うちの人間が近づいてきて、シジミの背中を撫でた。
指先から、朝に使っていたものらしい淡い甘い匂いがする。
「シジミもスズメさんと仲良くしたいの?」
違う。
苦情を静かにさせただけである。
うちの人間は、塀の上に並んだスズメたちを見た。
「また来てね」
スズメたちは、遠くから鳴き返す。
「明日はもっと出せ!」
「今日より早くしろ!」
「忘れるなよ!」
「お前の唯一の仕事だからな!」
うちの人間は、うれしそうに笑った。
「ちゃんと返事してくれるんだねえ」
◆ 明日も同じ
シジミは窓辺に座り、うちの人間とスズメたちを交互に見た。
一方は、毎朝自分を慕って会いに来るかわいい小鳥だと思っている。
もう一方は、餌を出すのが遅い役立たずだと思っている。
これほど考えが食い違っているのに、なぜか関係は成り立っている。
うちの人間は餌を出す。
スズメは食べる。
人間は喜ぶ。
スズメはまた来る。
お互いに相手のことをほとんど理解していない。
それでも、明日の朝も同じことが繰り返されるのだろう。
シジミは少し考えた。
もしかすると、人間とほかの生き物との関係は、たいていこのようなものなのかもしれない。
言葉は通じない。
考えていることも分からない。
それでも、自分に都合のよい意味をつけ、相手も同じ気持ちだと思い込む。
そうしなければ、一緒には暮らせないのだろうか。
だとしても、あまりに一方的である。
少なくとも、あのスズメたちは感謝していない。
明日の餌が少なければ、また文句を言う。
時間が遅ければ、さらに騒ぐ。
うちの人間は、そのすべてをかわいい鳴き声だと思って笑う。
そして先ほどのシジミの鳴き声も、スズメと仲良くしたがっているのだと受け取った。
誰の言葉も正しく分かっていない。
それでも、すべて自分に向けられた好意だと思っている。
シジミは尻尾をゆっくりと揺らした。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
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