(一)お前の唯一の仕事
◆ 気が向いたときだけ
うちの人間は、ときどき庭にスズメの餌をまく。
毎日ではない。
天気がよくて、朝少し早く起きて、なんとなく気が向いたときだけである。
人間はそれを、スズメに餌をあげていると思っているらしい。
シジミから見れば、ずいぶん無責任な話である。
餌を出す日もあれば、出さない日もある。
出したとしても、時間は決まっていない。
早朝のこともあれば、昼近くになってからのこともある。
量も毎回違う。
それなのに、うちの人間は庭へやってくるスズメたちを見て、
「今日も来てくれた」
などと喜んでいる。
来てくれたのではない。
餌が出るかもしれないから、確認しに来ているだけである。
その程度のことは、猫でなくても分かりそうなものだ。
もっとも、人間は自分に都合のよい理由を考えるのが得意である。
スズメが庭へ来れば、自分になついていると思う。
猫が足元へ来れば、自分を慕っていると思う。
犬が尻尾を振れば、自分を大好きなのだと思う。
たいていの場合、食べ物か、暖かい場所か、扉を開けてもらいたいだけである。
それでも人間は、自分が好かれていると思いたがる。
まったく不思議な生き物だ。
◆ まだだ
その朝、シジミは窓辺で眠っていた。
正確に言えば、眠っているように見せながら、外の様子をうかがっていた。
朝の庭には、見るべきものが多い。
風がどちらから吹いているか。
近所の猫が通っていないか。
新しい匂いが増えていないか。
虫が植木鉢の下へ逃げ込まなかったか。
人間は庭を眺めるとき、花が咲いたとか、葉が増えたとか、その程度しか見ない。
うちの人間など、新しい花が咲くたびに窓の前へ立ち、肩へ落ちた髪を耳にかけながら、しばらく満足そうに眺めている。
その花の根元を虫が歩いていても気づかない。
塀の向こうから別の猫が様子を見ていても気づかない。
見たいものだけを見ているのである。
猫は違う。
庭という場所には、数え切れないほどの変化がある。
その変化を見逃さないことが、穏やかな生活につながる。
うちの人間は、そのあたりをまるで理解していない。
窓の外で、羽音がした。
一羽のスズメが塀の上へ降りる。
小柄なスズメだった。
首を左右へ動かし、庭を確認する。
それから、短く鳴いた。
「まだだ」
シジミは片目を開けた。
スズメの言葉は、少しだけ分かる。
猫の言葉ほど細かく聞き分けられるわけではない。
犬の言葉よりも、さらに早口だ。
あの小さな体で、よくもあれだけ次々と言葉を出せるものだと思う。
スズメは一羽で話しているときより、何羽も集まったときのほうが騒がしい。
一羽が鳴く。
別の一羽がかぶせる。
その横から、さらに別の一羽が口を出す。
誰も最後まで相手の話を聞かない。
そのくせ、全員が自分の言いたいことだけは言う。
その点だけを見れば、人間の集まりと少し似ている。
最初の一羽が塀から庭へ降りた。
地面を二度つつく。
何もないと分かると、すぐに顔を上げた。
「やっぱりまだだ」
少し離れた電線から、別の声が飛んでくる。
「見れば分かるだろ」
「確認しただけだ」
「昨日はここにあった」
「昨日は昨日だ」
「今日もあるかもしれない」
「ないじゃないか」
「だから確認したんだ」
どうでもよい言い争いだった。
やがて、もう二羽が庭へ降りてきた。
一羽は丸々と太っている。
もう一羽は、頭の羽が少し乱れていた。
太ったスズメが窓のほうを見る。
「まだ寝てるのか」
羽の乱れたスズメが答える。
「起きてるだろ」
「動かないぞ」
「中にいる」
「中にいるだけじゃ意味がない」
「飯を出して初めて仕事だ」
シジミは耳を動かした。
どうやら、うちの人間のことを話しているらしい。
スズメたちは、人間の顔をほとんど見分けていない。
窓の中にいて、餌を出す大きな生き物。
それくらいの認識である。
名前など当然知らない。
シジミはそれを正しいと思う。
人間は、外で会った猫に太郎だのセバスだのと勝手な名前をつける。
それに比べれば、餌を出す者を餌を出す者として覚えているスズメのほうが、よほど理にかなっている。
ただし、態度はよくない。
太ったスズメが、窓へ向かって大きく鳴いた。
「飯!」
うちの人間は出てこない。
もう一度鳴く。
「飯!」
羽の乱れたスズメも加わる。
「はよう飯!」
最初に来た小柄なスズメが、少し控えめに鳴いた。
「今日は出ないかもしれない」
三羽が一斉に小柄なスズメを見る。
「縁起でもないことを言うな」
「朝から不愉快だ」
「黙って待ってろ」
小柄なスズメは少し離れた。
スズメの世界にも、立場というものがあるらしい。
人間には、どのスズメも同じように見えているだろう。
小さくて、茶色くて、かわいい鳥。
それで終わりである。
だが、よく見れば羽の色は少しずつ違う。
体格も違う。
声も違う。
立つ位置にも差がある。
餌が出たとき、最初についばむ者。
少し離れて待つ者。
誰かが油断した隙に横から入る者。
スズメにもスズメなりの秩序がある。
人間は、そのすべてをまとめて、
「スズメさん」
と呼ぶ。
雑な話である。
◆ いつもの黒いの
太ったスズメが窓へ近づいた。
ガラスの向こうにいるシジミと目が合う。
「猫がいる」
羽の乱れたスズメも窓を見る。
「いつもの黒いのだ」
「今日は動かないな」
「寝てるんじゃないか」
「目が開いてる」
「じゃあ寝てない」
「当たり前だろ」
太ったスズメは、シジミをじっと見た。
「こいつ、たまに外へ出てくるぞ」
「知ってる」
「追いかけてくるか?」
「来るかもしれない」
「でも今はガラスの向こうだ」
「なら問題ない」
ずいぶん好き勝手に言っている。
シジミが少しだけ前足を動かすと、三羽とも同時に一歩下がった。
口では強気でも、体は正直である。
シジミには、スズメを捕まえる気はなかった。
今は朝食前だ。
それに、うちの人間が窓の近くにいるときに本気を出せば、また余計なことを言われる。
「スズメさんをいじめちゃ駄目」
などと。
いじめているのではない。
猫として当然の行動をしているだけである。
スズメが飛び、猫が追う。
そこに善悪などない。
人間は、何にでも自分たちの決まりを当てはめたがる。
猫が虫を捕まえれば、かわいそうと言う。
自分たちは肉を買ってきて食べる。
大きさが違えば、かわいそうではなくなるらしい。
まったく基準が分からない。
◆ ほとんど苦情
二階から足音が聞こえた。
スズメたちが一斉に窓を向く。
「来た」
「やっとか」
「遅い」
「待たせすぎだ」
うちの人間が部屋へ入ってくる。
まだ寝起きの顔をしていた。
柔らかな部屋着の上へ薄い上着を羽織り、片手で乱れた髪をまとめている。
目も半分しか開いていない。
スズメたちは窓の外で騒ぎ始めた。
「飯!」
「はよう飯!」
「お前の唯一の仕事だろ!」
「それくらいしかやることないんだから、はやく飯!」
「こんな簡単な仕事もまともにできないのか!」
うちの人間は、まとめた髪を後ろで留めながら窓の外を見た。
そして、うれしそうに笑う。
「あ、今日も来てくれたの」
来てくれたのではない。
催促しに来たのである。
スズメたちは、さらに激しく鳴く。
「遅い!」
「口を動かす前に手を動かせ!」
「飯を持ってこい!」
「朝から何をしていた!」
うちの人間は楽しそうに窓へ近づいた。
「毎日来てくれて、かわいいねえ」
毎日来るのは、毎日餌が出る可能性があるからだ。
かわいい声で挨拶をしているわけでもない。
相手は先ほどから、仕事が遅いと怒鳴っている。
シジミは、うちの人間に教えてやろうかと思った。
あの声は、喜びではない。
親しみでもない。
ほとんど苦情である。
しかし、教えたところで分からないだろう。
猫の言葉すら聞き取れない人間に、スズメの早口を理解できるとは思えない。
※第7話「スズメたちの朝食会」は全二回です。
続きます。
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