表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双子が見た世界を、神々はまだ知らない  作者: トモエ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/9

第二章 夜の運び屋

魔都は、大地の裂け目に沿って造られている。魔都は魔界の中ではの中で王国に近い場所にあった。


地上から見れば、巨大な山を真二つに割った傷跡にしか見えない。人間界から続く街道は、その裂け目の入口から魔界へと入り、細長い峡谷の底を流れる川に沿って奥へ続いている。両側には切り立った断崖がそびえ、何百年もかけて建物が継ぎ足されてきた。岩壁に食い込むように家々が並び、その上へさらに家が積まれ、狭い橋や階段が複雑に上下を結んでいる。川からは湿った風が吹き上がり、夜になると赤や青の魔導灯が一斉に灯った。


人間の国から来た者が最初に驚くのは、その明るさだという。魔族は夜を好む。だから夜の方が店も人も増える。


酒場や薬屋、食堂、賭場。壁から突き出した看板には魔力を込めた文字が浮かび、古い建物の窓辺では符が明滅している。露店の鍋から湯気が立ち、香辛料と焼いた肉、薬草、酒、煙草の匂いが狭い路地の中で混ざり合う。


頭上を見れば、岩壁の両側から伸びた渡り廊下を人が行き交っている。入口に近い一帯には商店や酒場、安宿、倉庫が密集し、そこから川に沿って進むほど街は裂け目の奥へと深く続いていく。その最奥には魔軍の基地があり、断崖に積み重なった上層には役所や大商会、金持ちの屋敷もあるらしい。


カイは短い金髪を無造作にかき上げ、肩に担いだ荷物を持ち直した。手入れにはほとんど頓着していない髪の隙間から、青みがかった灰色の目が覗いている。角も牙もなく、見た目だけなら人間そのものだった。実際、人間なのだから当然だったが、この街で育ったカイ自身は、それを意識することなどほとんどなかった。


前方から二人の役人が来る。黒い制服の腕には、魔軍直属警備隊の腕章が巻かれていた。


カイは歩調を変えなかった。役人の一人がこちらを見る。カイも見る。そのまま通り過ぎた。角を二つ曲がり、役人の姿が完全に消えてから、後ろを歩いていたリンが小さく息を吐いた。


「お前、少しは緊張しろよ」

「してた」

「嘘つけ。欠伸してただろ」

「眠いんだから仕方ねえだろ」

「その肩の荷物、見つかったら半年は牢屋だぞ」

「半年で済むならいい方だな」

「だから緊張しろって言ってんの」


カイより五つほど年上で、運び屋としては先輩にあたる。鮮やかなオレンジ色の髪の間から、小ぶりな二本の角が後方へ伸びていた。細身で身軽な男で、翡翠色の目には大抵ふざけたような笑みが浮かんでいる。本人が「プリティ」と称している牙も、笑うたび口元から覗いた。ただし危険を察知したときだけは、その表情から軽薄さが綺麗に消える。


今日運んでいるのは表向きには薬草だが、実際には薬草の束の中心に魔力結晶が隠してある。結晶自体は禁止品ではない。ただし産地が問題だった。北方の鉱山から採掘された結晶には高い関税がかかる。それを払わず都市へ入れれば密輸品になる。だから今日は、薬草として運んでいる。


「俺、この仕事が終わったら三日は休む」

「昨日も言ってたな」

「昨日の仕事が終わったら休む予定だったんだよ」

「じゃあ今日も仕事しなきゃいいだろ」

「金がない」

「なら働け」

「お前はもう少し先輩を労われ」


細い路地へ入ると、人通りが減った。突き当たりには古い薬屋がある。看板には『白蛇堂』。カイが裏口を三回叩くと、小窓が開いた。


黄色い瞳が覗く。

「合言葉」

「腹が減った」

「帰れ」

「冗談だよ」


小窓の向こうで舌打ちが聞こえた。カイは依頼人から教えられた言葉を告げる。

「月が西へ落ちる」


少しして扉が開いた。二人は中へ入り、荷物を渡す。店主は結晶を一本ずつ確認すると、革袋をカイへ投げた。受け取った瞬間、その重さで金額を測る。


「足りねえ」

「数えもしないで分かるのか」

「分かる」

「欲深いガキだな」

「契約通り払え」

店主が睨む。

カイも睨み返す。


やがて店主が舌打ちし、銀貨を三枚追加した。

「次から別の運び屋を使う」

「好きにしろ」

「お前みたいなのは長生きしないぞ」

「よく言われる」


店を出ると、リンが笑った。

「三枚くらい黙ってやればいいのに」

「一回許すと次は五枚減る」

「そういうところだけガオそっくりだな」

「やめろ」

「褒めてる」

「もっとやめろ」


革袋を懐へ入れ、二人は大通りへ戻った。


運び屋といっても、扱うものは様々だった。普通の手紙。商人の荷物。薬。酒。税を払っていない商品。盗品。武器。時には、それ以上に面倒な物。


依頼人が何を企んでいるかまで調べる必要はない。それを始めれば、運び屋など続けられない。ただし何でも運ぶわけではなかった。少なくともカイは、人間そのものを荷物として扱う仕事は受けない。奴隷。攫われた女。売られる子供。そういう話が出た時点で断る。


昔、一度だけ「箱を運ぶだけだ」と言われて引き受けた仕事があった。途中で箱の中から泣き声が聞こえた。蓋を開けると、縛られた子供が三人入っていた。その日の荷物は依頼人のところへ届かなかった。代わりに依頼人の男が三日ほど寝込んだ。


ガオには随分怒られた。仕事を途中で放り出したことではない。中身を確認せず引き受けたことを怒られた。『聞かなかった、知らなかったで済むと思うな。自分の手で運んだなら、それはお前がやったことだ』と、幼い頃から何度も聞かされてきた。


善人になれと言われたことはない。法律を守れとも言われなかった。ガオ自身、そんなことを言える人生ではなかった。ただ、自分がやったことくらい、自分で背負え。それがガオの教えだった。


日付が変わる頃、カイとリンは馴染みの酒場へ入った。


『酔月楼』は二階建ての古い店で、赤い魔導灯が軒先に連なっている。扉を開けると酒と油料理の匂いが一気に流れ込み、騒がしい声に包まれた。


客の半分はまともな職業ではない。残り半分については、カイは知らないことにしている。


カウンターの奥で、メイランが酒瓶を並べていた。艶のある長い黒髪を高く結い、額からは小さな一対の角が覗いている。金褐色の目と鮮やかな赤いリップがよく目立ち、濃い色のタイトな上着まで含めて、この薄暗い酒場の中では実に華やかだった。ちなみに、年齢を尋ねると必ず値段を倍にされるので、誰も聞かない。


「遅かったじゃない」

「仕事」

「リンは?」

「俺も仕事ですよ」

「あなたはどうせ途中で女のところに寄ってたんでしょう」

「どうして俺だけ信用がないんです?」

「実績よ」


リンが傷ついた顔をする。メイランは無視して、カイの前に料理を置いた。肉と青菜を濃い味の油で炒めたものだった。


「頼んでないけど」

「今日まだ何も食べてないでしょ」

「なんで知ってる」

「顔」

「顔で腹減ってるか分かるのか」

「あんた、分かりやすいのよ」


カイは反論を諦め、箸を取った。リンも横から手を伸ばす。カイがその手を箸で叩く。


「痛えな」

「自分で頼め」

「一口くらいいいだろ」

「嫌だ」

「子供かお前は」

「お前が頼め」


メイランがリンの前にも同じ皿を置いた。


「最初からあるじゃねえか」

「あなたがカイから盗ろうとすると思ったから、少し待ったの」

「性格悪くない?」

「今さら?」

酒場の奥から笑い声が上がった。


ここへ来ると、カイは少しだけ肩の力が抜ける。家ではない。家族でもない。それでも、帰ってきたと思える場所の一つだった。


料理を半分ほど食べたところで、入口の扉が乱暴に開いた。


ガオが入ってくる。大柄な男だった。灰色がかった黒髪を短く刈り、その両側から羊を思わせる巨大な角が重く巻いている。琥珀色の目は睨んでいなくても威圧感があり、左眉から頬にかけて走る古い傷まで加わると、知らない者ならまず道を空ける顔だった。本人はその方が楽だと言っていたが。


「おい」

入ってくるなりカイを見る。

「何」

「何じゃねえ。今日どこ行ってた」

「仕事」

「北の結晶運んだだろ」

「なんで知ってんだよ」

「俺に知られねえと思ったのか」

「別に隠してない」

「昨日、警備局が北方品の取り締まり強化したって言ったよな」

「聞いた」

「聞いてなんで行く」

「報酬が良かったから」

「馬鹿か」

「馬鹿じゃねえ」


ガオがカイの頭を叩いた。


「痛え」

「痛くしたんだよ」

「客の前だぞ」

「見世物代取るか?」

周囲から笑い声が起きる。

カイは頭を押さえながら睨んだ。


ガオは隣の椅子へ座ると、メイランが出した酒を一息で半分飲んだ。

「最近、役人がうるせえ。しばらく危ねえ仕事は控えろ」

「生活費」

「普通の荷物運べ」

「安い」

「牢屋入ったら収入ゼロだ」

「飯は出る」

「今から一回入ってみるか?」

「遠慮する」


メイランが呆れたように二人を見る。


「似た者同士ね」

「どこが」

「どこがだ」

カイとガオの声が重なった。

リンが笑い、メイランも口元を緩めた。


その時、店の空気が少しだけ変わった。入口に立つ男を見て、何人かの客が視線を逸らす。黒い長衣。腰には細身の刀。胸元には黒い龍を象った小さな徽章がある。


黒龍会。この街でその名を知らない者はいない。表向きには運送、金融、賭場、酒、建設まで扱う巨大商会。裏では密輸、違法薬物、武器、人身売買まで手を伸ばしている。街の下層だけなら、役所より黒龍会の名前が通じる場所もあった。


男は周囲を見ることもなく、カイのところまで歩いてきた。ジンだった。年齢はカイより少し上に見えるが、詳しくは知らない。何度か仕事で顔を合わせている。愛想がなく、必要なことしか喋らない。笑っているところを見た記憶もなかった。


「カイ」

「今日はもう仕事しねえぞ」

「そうか」

ジンは椅子を一つ引いた。

座らない。


「十倍だ」

「やる」

リンが吹き出した。

「お前さっきまで仕事しないって言ったよな?」

「状況が変わった」

「三秒だぞ」

「十倍なら三秒で十分だ」


ガオが低い声を出す。

「内容を聞いてから決めろ」

カイは肩をすくめた。


「で、何を運ぶ」


ジンが一枚の紙を置く。簡単な地図だった。人間領との国境近くに印があり、そこから魔族領のかなり奥まで線が引かれている。


「明日の夜、人間領から荷物が届く」

「何だ?」

「箱」

「中身」

「知らなくていい」

「重さ」

「男二人で持てる程度」

「危険物?」

「知らなくていい」

「生き物?」

「知らなくていい」


カイは紙から顔を上げた。

「それで十倍?」

「ああ」

「怪しすぎるだろ」

リンが横から覗き込む。

「届け先、かなり奥じゃねえか。軍の管理区域に近いぞ」

「通行証はこちらで用意する」

「誰からの仕事だ?」


ジンは少し黙った。

「ガロン様だ」

リンの表情から笑いが消えた。

メイランも手を止める。


黒龍会頭領、ガロン。本人が直接指定する仕事など滅多にない。


カイは地図を見た。報酬は魅力的すぎる。


「条件は」

「箱を開けるな」

「それだけ?」

「中身を見るな。届け先まで運べ。途中で誰かに尋ねられても、何も知らないと言え」

「本当に何も知らないから簡単だな」

「そういう意味じゃない」

ジンの目が細くなる。


ガオが酒杯を置いた。

「断れ」

カイがそちらを見る。

「何で」

「ろくでもねえ」

「いつもの仕事も大体ろくでもねえだろ」

「そういう話じゃねえ」


ガオは地図を一度見てから、ジンへ目を向けた。

「ガロン本人からの仕事で、中身は見るな、聞くな、開けるな。報酬十倍。そんなもん、まともな荷物のわけがねえ」

ジンは答えない。

ガオはカイを見る。


開けるなと言われた箱ほど、ろくでもないものが入っている。カイもそれは分かっていた。だからこそ、気になる。そして十倍だ。


「前金は?」

「半分」

「本当に十倍?」

「嘘は言わない」

「ならやる」

「カイ」

「箱が人ならやらねえ。それは確認させろ」


ジンが一瞬だけ考える。

「人身売買じゃない」

「子供も?」

「違う」

「ならいい」


ガオが額を押さえた。

「お前は俺の話を聞いてたか?」

「聞いてた」

「何て言った」

「ろくでもない」

「分かってんなら断れ」

「十倍」

「金で死ぬぞ」

「安く死ぬよりいい」

「ぶん殴るぞ」

「もう一回殴っただろ」


メイランが溜息をついた。

「ガオ、諦めなさい。その顔になったら聞かないわよ」

「誰に似たんだ」

「あなたでしょ」

「違う」

「違わねえよ」

リンまで口を挟む。


ガオはしばらくカイを睨んでいたが、やがて酒を飲み干した。

「死ぬなよ」

「そのくらい分かってる」

「お前は分かってねえから言ってんだ」


ジンは前金の入った革袋を置いた。それだけで普段の仕事数件分はある。


「明日、日が落ちたら西門の外へ来い」


用件だけ告げ、ジンは店を出ていった。扉が閉まる。酒場の騒がしさが少しずつ戻った。


カイは革袋を持ち上げた。重い。

「これで当分遊べるな」

「生きて戻ったらな」

リンが言う。


「リン、お前も来るだろ」

「俺も?」

「男二人で持てる箱だって」

「聞いてないぞ」

「今言った」

「報酬は?」

「二割」

「舐めんなよ、折半だ」

「三割」

「わーった! 四割! これ以上は俺も無理だ」

「三割」

「先輩を敬えや」

「じゃあ二割」

「……三割でお願いします」


翌日の夜。カイとリンは西門の外にいた。都市の魔導灯が背後の裂け目を赤く照らしている。


その光の中で、まだ来ぬ荷の気配だけが、静かに夜を満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ