ぼくはかみさまep4
4
教室内だけ時間がなくなったかのようにクラスメイトは動きを止めていた。
白菊の発した「かみさま」という言葉は僕に向けて告げられたものだと、誰しも気が付いている。昨日のことが夢ではなかったと白菊に証明されてしまい僕は頭を抱えてしまった。
「どうしましたか、かみさま。体調でも悪くなりましたか?」
「たった今な」
「それは大変です。肉体は人間のものなのですから……。早速私の家にいる医師に連絡を――」
「ああ、大丈夫だ。もう治った」
「大事がありますし」
「いい、いいから」
周りの空気など一切気にせず、会話を進める白菊を制すが、すでに向けられている目線は僕たちを捉えて話さない。向かい合って話していた松浦でさえも、僕のことを怪訝な目で見つめていた。
「その白菊さん、僕に何か用事でもあるの?」
「白菊さんなんて他人行儀で呼ばないでください。白菊でも蓮華でもお好きなように」
「それじゃ白菊、なんの用事?」
一刻も早く逃げ出したい気持ちに駆られているが、この場で逃げ出してしまえば非難の目は僕にだけ向くことになるだろう。白菊蓮華という存在はクラスの中で神聖視されるほどのもの。僕みたいな落ちこぼれと話していることすらあり得ないのだ。
ここで逃げ出して、白菊の表情に影を落としてしまったら、このクラスで生きていけないだろう。
「登校しましたので、挨拶をしないとと」
「別に気にしなくていいのに」
「私が気にします。昨日までの私が愚かだったのです。かみさまに気付かず挨拶もしないなんて……」
白菊が神様と僕のことを呼ぶ度に、向けられる視線の重みが増していく。白菊がいじめと勘違いしているだけで、高貴な花に触れられないと見守るようにしていたのがクラスメイト。いきなり饒舌に語り始めたかと思えば、神様と呼ばせている僕に対して怒りが湧いていてもおかしくはなかった。
疑問に思っていたのは松浦たちも同じ。三人はアイコンタクトをし続けていた。恐らく誰がはじめに発言して、事の詳細を聞き出すか押し付け合っているのだ。白羽の矢が立ったのは一番近くにいた松浦だった。
「白菊、その、なんだ。奏のことを神様って呼んでいるのは何でなんだ?」
クラスメイト全員が気になっていたことを直球で松浦が聞いた。数人は同意を示すように首を縦に振っている。
「神様、体調は悪くないのですか?」
「え? いや大丈夫だけど。今松浦からの質問……」
質問が聞こえていなかったのか、白菊は僕の目を見つめたまま体調を心配していた。
「松浦? 松浦さんとはどなたでしょう」
「そこに座ってる奴だけど」
「そうですか。それよりも体調が悪くなったら教えてくださいね。すぐに家の者を呼びますので」
松浦のことを紹介しても白菊は一切後ろを振り向かない。
僕が白菊の背中越しに松浦を見ると、女子に無視されてしまったことがよほどショックだったのか目に涙を浮かべる寸前の表情をしていた。運動部でスパルタ指導に耐えている松浦でも、白菊からの無視には耐えられなかったようだ。
流石に可哀想になり、僕は白菊に松浦と話すように促した。
「いや、松浦が質問してるし、クラスの人も気になっているから答えてあげてよ。松浦は僕の友達なんだ」
「かみさまの友達、ですか?」
「そうそう。蔑ろにするのは可哀想かな……なんて」
白菊はすぐに後方へと振り返り、頭を深く下げた。
「すみません、松浦くん。かみさまのお友達とは知らずに無礼な態度を取ってしまいました」
「いや俺は良いけどよ」
「かみさまにも心労をかけてしまいましたし、謝っても私自身が許せません。かみさまに許してもらえるでしょうか。かみさまのお友達ということはそれだけかみさまが大切にしている相手。かみさまに好印象を抱いてもらうためには私からも接触を図ったほうが良いのでしょうか」
人には聞こえない程の小声で呟き続けている白菊。
豹変した態度に戸惑っているのは松浦だけではない。僕も驚きを隠せなかった。
僕が松浦と話すように促しただけで血相を変えて、躊躇せず謝罪をする姿はおかしかった。ほんの数瞬まで松浦に興味など微塵もなく、視界に入れることすらもしなかった白菊が深々と頭を下げたのだ。
僕の発言が重すぎる責任を持っている可能性が浮上してしまった。
「白菊」
「はいっかみさま」
声をかければ忠誠心の高い愛犬のように微笑みながら振り向いた。普段見ることのできない白菊の笑顔に、クラスメイトたちは身を乗り出して観察していたが、この場にいる僕たちだけは得体の知れないものを見ている気分だった。
「こいつらも僕の友達」
「えっ僕?」
「僕もですか?」
「そちらに、お二方もいらっしゃったんですね。気が付かず申し訳ありません」
壁に背を預けていたとはいえ、僕の近くに烏森と東雲はいたのだ。僕を視界に入れれば自然と二人も視界に映るはずだが、白菊は二人の存在に気付いてはいなかった。
「すみません。名前を存じ上げなくて……」
「烏森湖春だよ」
「東雲律です」
「烏森くんに東雲くんですね。かみさまのお友達ということで覚えました。よろしくお願いします」
「よろしく」
「あ、はい。よろしく……お願いします」
小さく会釈をしながら自己紹介を終えた白菊は再び僕へと視線を戻す。烏森たちは先程よりも遠い位置で気配を消し、僕に関わらないようにしながら観察を続けていた。落ちこぼれとして仲良くしていた奴らだったが、僕が困っている時に助けてはくれないらしい。
白菊はニコニコとした笑顔を浮かべたまま、僕を見て何も喋らない。僕が喋るのを待っているのだろうか。
「もうすぐ先生が来るから席に戻って大人しくしてたら?」
「まだ来ていませんが」
「ここにいると迷惑になるかもしれないし」
「……かみさまの迷惑になるようなことをしてしまったみたいで申し訳ありません。ご友人方も長々と話してしまいすみませんでした」
ひとりひとりの方を向き頭を下げて謝罪する白菊。自発的ではなく、僕が言ったからというのが気になったが、この場から白菊がいなくなってくれれば何でもよかった。流石に針の筵状態では気持ちが落ち着かない。
「私に用事などがあればいつでも仰ってください」
「無いと思うよ」
「なんでもいいんですよ。私はかみさまのいうことならなんでも聞きますので」
早く席に帰ってくれと思いながら適当に話を合わせていると、気持ちを落ち着けた松浦が会話に入り込んできた。
「それなら、奏は勉強教えてもらえばいいんじゃないか?」
「勉強? そりゃ白菊に教えてもらえるなら成績は上がると思うけど」
白菊越しに会話をする僕たち。
「丁度いいだろ。奏は馬鹿なんだし」
「それをお前が言うな――」
いつも通りの軽口を交わしていたはずだった。
「松浦くん、今、かみさまのことを、馬鹿にしましたか?」
ゆっくりと白菊は松浦の方へと振り返る。直前まで笑顔を浮かべていた白菊だったが、振り返る際に一瞬だけ能面のような無表情をしていた。
振り返った先の松浦が見ている白菊の表情を僕は見ることはできないが、徐々に顔色が変化していく松浦の表情は見える。
「かみさまのことを馬鹿と言いましたか?」
「じょ、冗談だよ。そんなことは思ってないから」
「思っていない言葉で侮辱したというんですか? 私のかみさまを?」
「いや、その、すまん」
「すまん、というのは謝罪ですか? かみさまはお優しいですし許して下さるでしょう。しかし一度吐いた言葉というものは世界に残り続けます。松浦さんがかみさまを侮辱したという行為――」
トーンも変わらず淡々と告げられる言葉を聞いている松浦から、僕に対してアイコンタクトで救援信号が送られてきた。このままでは埒が明かない。
「白菊。さっきのは僕たちのコミュニケーションなんだ。侮辱とかじゃなくて男子の特殊な関わり合い。そんなに詰めないでくれ」
「そうなんですね。かみさまのことで知らないことはまだまだ沢山ありそうです。松浦くんも勘違いしてごめんなさい」
「お、おう。俺も悪かったな」
「かみさまとのコミュニケーションなんですよね。私の方こそ配慮が行き届かず申し訳ありませんでした」
僕と松浦の顔を交互に見比べながら、双方に何度も頭を下げる白菊。松浦に対しては首を落とす程度の謝罪だったが、僕に対しては腰を曲げての謝罪。もはやその程度の違いに松浦が驚くことはなくなっていた。
頭を上げた白菊は再び微笑みを顔に宿すと鞄を持つ。
「それでは私は席に戻りますね。かみさま、失礼しました」
「うん。じゃあね」
最後に小さく一礼をすると、僕たちに背を向けて自分の席へと向かって行った。白菊の席は廊下側の一番前。幸いにも僕の席からは対角線上で一番離れている席。朝からの心労によって、僕は机に突っ伏した。




