第5話 虎吉、黄昏る
(あの秋の光は、今も胸に残っている)
夕方の西成。
印刷工場のシャッターを閉め、虎吉(51)は一人で外に出た。
空は薄いオレンジ色に染まり、風が少し冷たい。
虎吉はポケットから、くしゃくしゃになった阪神の優勝記念タオルを取り出した。
2023年、日本一のロゴが色あせている。
「……あれからもう三年か」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやく。
工場の若手・山根が後ろから声をかけた。
「社長、帰らないんすか?」
虎吉は夕焼けを見たまま答える。
「山根……2023年の日本一、覚えてるか?」
「いや、僕は巨人ファンなんで」
虎吉は振り返り、真顔で言った。
「それでも覚えとけ。あれは日本の歴史や」
山根「いや、阪神の歴史でしょ」
虎吉は遠くを見るような目になった。
「岡田監督の“そらそうよ”が全国に響いた年や。
あの年の阪神はな……強かった。
強いだけやない、“美しかった”んや」
山根「美しい野球ってなんすか」
虎吉は胸に手を当てる。
「守って、繋いで、勝つ。
あれはな……1985年の再来やった」
夕焼けの光が虎吉の横顔を照らす。
その表情は、いつものアホな阪神狂ではなく、
どこか寂しげで、誇らしげだった。
虎吉の脳裏に蘇る2023年の景色
大山の勝負強さ。
近本の走塁。
中野の守備。
村上の安定感。
湯浅の復活。
そして岡田監督の笑顔。
虎吉は目を細める。
「日本一の瞬間、ワシ泣いたなぁ……
親父も泣いとった……
胴上げの時になぁ、横田のユニフォーム持ってザキがなぁ、宙に舞ったんや。
泣けてしゃあなかった。
あの時だけは、認知症の親父が昔みたいに笑っとった」
山根は少し驚いた顔をした。
「社長のお父さん、そんなに阪神好きなんすね」
虎吉はうなずく。
「親父はな……1985年の日本一をワシと一緒に見たんや。
2023年の日本一は……
“あの時の続き”みたいに感じたんや」
風が吹き、タオルが揺れる。
「2023年の日本一はな……
ワシの人生で、二回目の“救われた日”やった」
山根は黙って聞いていた。
そこへ妻・美津子が迎えに来る
「アンタ、こんなとこで何黄昏れてんの」
虎吉は照れくさそうに笑う。
「いや……ちょっと2023年の日本一を思い出してな」
美津子はため息をつきながらも、優しい声で言う。
「ほんま、阪神のことになると急に詩人みたいになるな」
虎吉はタオルを握りしめる。
「阪神はな……ワシの人生の節目にいつもおるんや。
1985年も、2023年も……
あの光景があるから、ワシは今日も働けるんや」
美津子は少し笑った。
「はいはい。
ほな帰ろか、詩人さん」
虎吉はうなずき、夕焼けをもう一度だけ見上げた。
「2023年の日本一……
あれはほんまに、ええ年やったなぁ……」
その声は、夕暮れの街に静かに溶けていった。




