第1話 虎吉、WBCでテルと翔太の起用に不満
朝の天王寺。
自宅にある六畳のリビングで、虎吉(51)はテレビのリモコンを握りしめていた。
WBCの日本代表戦、試合開始まであと10分。
虎吉は阪神ユニフォームの上に作業着を羽織り、頭には虎柄のハチマキ。
完全に仕事へ行く気配がない。
階下から妻・美津子の声が飛ぶ。
「アンタ、今日も朝から阪神かいな。仕事はどうすんの」
虎吉は真剣な顔で答える。
「今日は阪神ちゃう。日本代表や。国のためや。つまり阪神のためや」
「意味わからんわ」
テレビ画面にスタメンが表示される。
その瞬間、虎吉の眉がピクリと動いた。
「……は?テル(佐藤輝明)ベンチ?なんでやねん」
美津子が呆れた顔で台所から顔を出す。
「また始まったわ」
虎吉はテレビに向かって説教を始める。
「監督さんよ。テルはな、ああ見えて調子乗ったら手ぇつけられへんねん。
あの豪快なスイング、世界に見せたらんかい」
さらにスタメン表を見て、もう一度固まる。
「翔太(森下)もベンチ?なんでや。
なんで使わんねん。なんでや。なんでやねん」
美津子はコーヒーを飲みながら冷静に言う。
「アンタ、代表監督ちゃうねんから落ち着き」
「いや、これは国の未来がかかってるんや」
「テルと翔太の話やろ」
虎吉は胸を張る。
「阪神の未来は日本の未来や」
娘の遥香(22)が寝ぼけながらリビングに入ってくる。
「パパ、朝からうるさい。
てかWBCって阪神の大会ちゃうで」
虎吉は真顔で言う。
「ちゃう。阪神の大会や」
「いや違うって」
遥香はソファに座り、ため息をつく。
「パパの阪神教、ほんまやめて」
虎吉はテレビを指差しながら叫ぶ。
「見とけ遥香。テルが出たら全部解決するんや。
あいつはな、バースの生まれ変わりや」
その瞬間、虎吉の脳裏に1985年のバースが現れる。
幻のバースが腕を組み、英語で言う。
「トラキチ、落ち着け。代表監督は君ちゃうぞ」
虎吉は幻に向かって反論する。
「バースさん、あんたもそう思うやろ。テルは出すべきや」
バースは肩をすくめる。
「まあ、テルは強い。でも監督の仕事は監督の仕事や」
美津子が冷静にツッコむ。
「アンタ、幻と会話すな」
虎吉は深呼吸し、テレビを見つめる。
「……まあええ。どうせ途中から出てくる。
その時に全部持っていくんや。
1985年のバックスクリーン3連発みたいにな」
遥香が呆れながら言う。
「パパ、あれ40年前やで」
虎吉は胸に手を当て、静かに言う。
「40年前でも、あの日は昨日のことみたいや」
その言葉だけは、家族も黙った。
虎吉にとって、1985年は母を失った心を救ってくれた唯一の光。
その光を、今も追い続けている。
テレビの試合開始の音が鳴る。
虎吉は立ち上がり、拳を握る。
「よっしゃ。テルと翔太が出るまで、ワシはここから動かん」
美津子が言う。
「仕事は」
「テルが出たら行く」
遥香が言う。
「翔太は」
「翔太が出たら全力で働く」
美津子と遥香は同時に言う。
「結局どっちでも働くんやん」
虎吉は満足げにうなずいた。
「せや。阪神の選手が出たら、ワシはなんぼでも働けるんや」
こうして、虎吉の2026年の朝は今日も騒がしく始まる。




