第9話 開幕前夜、虎吉、老人ホームの父を見舞う
開幕前夜。
西成の空は薄暗く、春の風が少し冷たい。
虎吉(51)は、老人ホームの玄関で深呼吸した。
胸ポケットには、父・虎造(82)が好きだった 1985年優勝記念のキーホルダー。
受付で名前を書き、ゆっくりと父の部屋へ向かう。
父はテレビの前で待っていた
虎造はベッドに腰掛け、阪神の特集番組を見ていた。
認知症が進んでいるが、阪神のことだけは忘れない。
虎造
「……おお、虎吉か。
明日、開幕やなぁ……」
虎吉
「せや。明日からまた一年が始まるで」
虎造は目を細め、テレビの画面を指差した。
昔の新聞の切り抜き(小学生の時に虎吉作成)を見ながら、
「吉田監督……ええ顔しとるなぁ……
あの人は“勝つ顔”や……」
虎吉は椅子に座り、うなずいた。
「せやろ。
吉田監督はな、選手のことよう見とる。
若手にもベテランにも、ちゃんと目ぇ配っとる」
虎造
「藤川は……1985年の吉田監督と、同じ目しとるわ」
虎吉
「ワシもそう思う。
あの時の“勝つ空気”が、今年もあるんや」
父の記憶が一瞬だけ鮮明になる
虎造は、ふと真剣な顔になった。
「虎吉……
お前、あの時覚えとるか……
バックスクリーン3連発の時……
お前、ワシの腕つかんで泣いとったなぁ……」
虎吉は胸が熱くなった。
「覚えとるよ。
あの日があったから、今のワシがおるんや」
虎造
「吉田監督はな……
“選手を信じる”監督や。
あの時も、今も……
信じたら、野球は強くなるんや」
虎吉
「せやな……
テルも翔太も、信じたら絶対やってくれる」
虎造はゆっくりうなずいた。
「テルは……掛布の匂いがする……
翔太は……真弓の風がある……
吉田監督は……あの頃の阪神を知っとる……
そら、強いわ……」
虎吉は思わず笑った。
「親父……今日は冴えとるなぁ」
虎造
「開幕前夜はな……
阪神ファンの血が騒ぐんや……
忘れたくても、忘れられん……」
帰り際、父が言った言葉
虎吉が立ち上がると、虎造が手を伸ばした。
「虎吉……
明日、勝つで……
阪神はな……
“勝つべき時に勝つチーム”や……
1985年も……
2023年も……
今年もや……」
虎吉は父の手を握り返した。
「せやな。
明日勝ったら、また来るわ。
勝利報告しに」
虎造は笑った。
「待っとるで……
阪神の勝利は……
ワシの薬や……」
虎吉は胸が詰まり、言葉が出なかった。
帰り道、虎吉は空を見上げる
老人ホームを出ると、夜風が頬を撫でた。
虎吉
「親父……
明日、勝たせたるで……
テルも翔太も、絶対やってくれる……
吉田監督の阪神は……
強いんや……」
虎吉は拳を握りしめた。
開幕前夜。
阪神ファンにとって、
一年でいちばん“胸が熱くなる夜”だった。




