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最恐心霊スポットで運気上げるな!〜致死量の呪いをマイナスイオンと勘違いする限界陽キャと、彼女を手放せない東大卒女子〜  作者: あめたす


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第10話:「音響サイッコーの天然ライブハウス! SINNERの血が騒ぐわ!」

第10話:「音響サイッコーの天然ライブハウス! SINNERの血が騒ぐわ!」


 ダッシュボードのデジタル時計が、午前八時五十三分を告げている。

 山梨県の市街地を抜けた大型SUVのフロントガラスには、暴力的なまでの真夏の朝の陽光が突き刺さっていた。

 だが、倉田涼音の体感温度は、自身のスーツの胸ポケット周辺だけが異常に高く、それ以外の四肢の末端は氷のように冷え切っていた。

 胸ポケットの奥には、廃オフィスビルで、望月夏帆の汗と熱をたっぷりと吸い込んだ純白のシルクのハンカチが折り畳まれている。心臓が拍動するたび、布越しに他者の圧倒的な生命力が直接叩き込まれる。

 涼音はチタンフレームの眼鏡を中指で押し上げ、自身の浅い呼吸を空調の駆動音に紛れ込ませた。

 未知の有機物サンプルの保管。これは感染症対策における初期対応の定石である。決して、この熱を自らの心臓の最も近い場所で独占し続けたいなどという、演算不可能なバグではない。


「いやー、朝の山道マジで空気うまい! 窓全開にしたいけど、エアコン効かなくなるから我慢だね!」


 運転席の夏帆は、黒のタンクトップ姿のまま、ハンドルの上で指を鳴らしてリズムを取っている。スピーカーからは、K-POPアイドル『HELL/AVEN』の重低音EDMが、シートの内部まで響くほどの爆音で流れていた。

 一晩で古戦場、洋館、廃オフィスビルの三箇所を巡り、常人ならば過労で卒倒しているはずの運動量をこなしているというのに、彼女の筋肉には疲労の蓄積という概念が存在しないらしい。


「ねえ涼ねえね、次に行く穴場スポット、音響が神がかってるらしいんだよね! ネットの掲示板だと『耳鳴りが止まらない』『謎の女の声が反響する』って絶賛されてた!」


「……それは音響の良さではなく、低周波による三半規管への物理的ダメージ、あるいは集団ヒステリーの典型的な症状ですわ」


「細かいことは気にしない! ほら、見えてきた!」


 夏帆がアクセルペダルを踏み込む。

 木々が鬱蒼と生い茂る山道の先に、コンクリートで固められた巨大な半円形の口が開いていた。

 旧道トンネル。

 すでに新しいバイパスが開通しており、地図上からも抹消されているはずの廃道。トンネルの入り口は、真夏の強烈な朝の光を一切反射せず、内部はコールタールを流し込んだような完全な漆黒に塗り潰されていた。

 物理法則の破綻。外部の照度を考えれば、入り口付近の数十メートルは視界が確保できるはずだ。光を飲み込む異常な磁場。

 涼音は即座にダッシュボードに手をつき、シートベルトの金具が食い込むほど身体を強張らせた。


「……光の屈折率が異常です。内部構造の崩落リスクも極めて高い。車両の進入は——」


「おっけー、トンネル内はライトハイビームでいくよ!」


 涼音の論理的な制止は、夏帆の無遠慮な声と重低音EDMに完全に掻き消された。

 SUVが、漆黒の口へと吸い込まれる。


 ザワァッ。

 トンネルに進入した瞬間、車体を叩く風の音が、何百人もの人間の囁き声に変わった。

 ヘッドライトの光が、前方五メートルほどで不自然に霧散している。コンクリートの壁面は黒く濡れ、天井からは赤錆を含んだ水が等間隔で滴り落ちていた。


 ペタッ。


 助手席の窓ガラス、涼音の顔からわずか十センチの距離に、泥に塗れた手形が外側から張り付いた。

 ペタッ。ペタッ。ペタペタペタペタッ。

 フロントガラス、後部座席の窓、サンルーフ。走行中の車体に、あり得ない速度で無数の手形が増殖していく。小さな手。爪の剥がれた手。肉の削げ落ちた手。

 急激に車内の温度が低下し、夏帆の筋肉から立ち昇る熱気だけが、白く結露した窓ガラスにコントラストを描く。


『ウチらと……いっしょに……いよ……?』


 EDMの重低音を突き破り、若い女のすすり泣くような、それでいて粘りつくような嬌声が車内に反響した。ギャル霊・ミカの呪詛だ。

 孤独。同調圧力。密閉空間における精神の強制共有。

 涼音の喉の奥が干上がり、チタンフレームの眼鏡が冷気で曇る。生存確率が秒単位で目減りしていく。車両ごと異界に取り込まれる完全な密室トラップ。


「うおーっ! マジか!」


 キィィィン、と夏帆が急ブレーキを踏んでSUVを停止させた。

 シートベルトが食い込む衝撃。涼音はついに限界を迎えたのだと、次に取るべき防衛行動を演算しようとした。


「ここ、音響サイッコーの天然ライブハウスじゃん!!」


 夏帆の瞳は、蛍光メーターの光を反射してギラギラと輝いていた。

 彼女の視界には、窓を埋め尽くす血と泥の手形も、鼓膜を直接撫でる怨嗟の声も入っていない。


「コンクリの反響エグすぎ! HELL/AVENの重低音がマジで腹の底まで響いてくる! SINNERの血が騒ぐわー!」


 夏帆はシートベルトを乱暴に外し、助手席側のダッシュボードへと身を乗り出した。

 グンッ、と夏帆の身体が涼音に覆い被さる。

 黒のタンクトップ越しに、尋常ではない筋肉の熱と、汗ばんだシトラスの香りが涼音の鼻腔を直接殴りつけた。夏帆の心音が、涼音の胸ポケットに収められたハンカチの上の心臓と、至近距離で共鳴する。

 涼音の呼吸が、呪詛の冷気ではなく、圧倒的な熱量によって完全に停止した。


「暗闇ライブには、やっぱこれっしょ!」


 夏帆がダッシュボードから引っ張り出したのは、鎖の巻き付いた十字架型の公式ペンライト『ヘラヴィック』だった。

 カチッ!

 車内の暗闇を、ブラッドオレンジの極彩色の光が暴力的に切り裂いた。

 窓ガラスに張り付いていた無数の手形が、ポップなネオンカラーに染め上げられ、ホラーの文脈が根本から破壊される。


『アァァァァ……ッ!!』


 光に焼かれた手形が悲鳴を上げ、助手席の窓ガラスの外側に、ミカの顔面がヌチャリと張り付いた。

 眼球は白濁し、口は耳元まで裂けている。ガラスを透過して、車内に直接顔の半分を侵入させてきたのだ。


「おっ、関係者席のVIP対応!? レス(ファンサ)もらいに行くよ!」


 夏帆は全く怯むことなく、涼音の膝の上に左手をつき、窓ガラスから突き出したミカの顔面に向かって、無駄に重い十字架型のペンライトをフルスイングした。


 ガンッ!!!


 硬質なプラスチックと、怨霊の頭蓋骨が物理的に激突する音が、トンネル内に響き渡る。

 霊体であるはずのミカの顔面が、ヘラヴィックの圧倒的な質量とスイングの速度によって、ひしゃげて車外へと弾き飛ばされた。


「もっと声出していこーぜ!!」


 夏帆は涼音に覆い被さった体勢のまま、窓の外へ向かってペンライトを激しく振り鳴らし、EDMのビートに合わせて肩を揺らす。

 涼音の膝の上には、夏帆の左手が置かれている。太もも越しに伝わる、強靭な腕の筋肉の収縮と莫大な熱。

 胸ポケットのハンカチが、まるで火の粉のように熱い。

 密室。自分と、この圧倒的な熱源だけの空間。

 窓の外では怨霊が顔面を抑えて絶叫しているが、涼音の視界には、目の前で無邪気に笑う夏帆の横顔しか映っていなかった。


 カチャッ。

 涼音は、夏帆の身体の下で、助手席のドアアームレストにある「全席ドアロック」のボタンを、中指で深く押し込んだ。

 ガチャッ、ガチャッ、ガチャッ、と四つのドアが物理的に施錠される重い音が鳴る。


「お? 涼ねえね、ドア閉めた?」


「……外部の病原体および、有害な微粒子の車内侵入を完全に遮断するための、気密性の確保ですわ。クリーンルームの基本原則に従ったまでです」


 涼音は、チタンフレームの眼鏡の奥で、一切の感情を排した冷徹な声で言い放った。

 完璧な自己欺瞞。

 外にいる怪異を恐れたからではない。

 この車という密閉空間に、自分以外の誰一人、何一つとして侵入させないためだ。この女の熱も、匂いも、暴走するエネルギーも、今この座標においては自分だけが独占し、管理する。


「そっか! さっすがリスク管理完璧! じゃあこのまま、トンネルの奥までフルテンションで突っ切るよ!」


 夏帆は涼音の膝から手を離し、再び運転席へ戻ると、ブラッドオレンジのペンライトを片手に持ったまま、アクセルペダルを床まで踏み抜いた。

 SUVのエンジンが咆哮を上げ、タイヤが旧道のアスファルトを激しく削る。

 涼音は、胸ポケットの上の布地を指先で強く押し込みながら、ズレた眼鏡を直すことすらせず、車外へ弾き飛ばされた怨霊の姿を冷ややかな視線で見下ろしていた。


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