↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からくり道中浪漫譚―白詰草異聞―  作者: ロマリアス
青龍編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/35

青龍編 第五話 『めがね熊猫』

青龍編

第五話 『めがね熊猫』


 昼下がりの神興区は、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。

 軒先からは煮炊きの匂いが漂い、往来では荷車の車輪が石畳を鳴らしている。

「すみません、そこ。もう少し端へ寄せてもらえますか」

 黒葛原ましろが、通りの中央で荷下ろしをしていた商人へ声を掛けた。

「あっ、すみません副隊長!」

「人が通れなくなっていますから。荷下ろしが済んだら、すぐお願いしますね」

「へい!」

 いつもの巡察。

 いつもの町。

 そのはずだった。

「――火事だ!」

 遠くから声が上がった。

 ましろが振り返る。

 家々の屋根の向こうから、黒い煙が立ち上っていた。

「凛堂さん!」

「見えてる!」

 凛堂が駆け出す。

「全員、行くぞ!」

 警邏隊の面々が一斉に後を追った。

     ◇

 燃えていたのは、住宅街の一角にある木造家屋だった。

 台所側の壁から炎が這い上がり、すでに軒下へ回り始めている。

「桶を回せ!」

 凛堂の声が飛ぶ。

「隣へ燃え移らせるな! 風下の家にも水を掛けろ!」

「はい!」

 近隣の者たちも加わり、井戸と火元の間を桶が行き交っていた。

「火元は?」

「台所です! 煮炊きの最中に目を離した隙、近くにあった布へ燃え移ったようです!」

「怪異の気配は?」

「なし!」

「よし、通常火災だ。消火を続けろ!」

 泣き崩れている女がいた。

「私が……私が目を離したから……」

 傍らの者に支えられながら、燃える家を見上げている。

 ましろが駆け寄った。

「中に、まだ誰かいますか?」

 女が顔を上げる。

「子どもが……!」

「お子さんが?」

「二階で昼寝をしていて……! 私、台所から火が出て、慌てて外へ出て……それで……!」

 女の顔から血の気が引いた。

「私が……あの子を置いて……!」

 ましろはその肩へ手を添えた。

「今は、ご自分を責めないでください」

「でも……!」

「お子さんは?」

「七つです……!」

 ましろが立ち上がる。

「必ず連れて戻ります」

「ましろ!」

 凛堂がこちらを向いた。

「二階に子どもが一人残っています。私が行きます」

 凛堂は炎の回り方を見た。

「煙がもう二階へ上がってる。無理はするな」

「はい」

 ましろは眼鏡を外し、近くの隊士へ渡した。

「預かってください」

「副隊長!」

 口元を布で覆う。

 そして迷うことなく、燃える家へ飛び込んだ。

     ◇

「聞こえますか!」

 返事はない。

 煙。

 ただひたすらに煙だった。

 視界がほとんど利かない。

「いたら返事をしてください!」

 ぱちぱちと木材が爆ぜる。

 炎の唸り。

 その向こうから。

「……ごほっ」

 ましろが顔を上げた。

「聞こえた……!」

 階段を上がる。

 二階へ着いた途端、さらに濃い煙が押し寄せた。

「どこですか!」

「……おかあ……さん……」

「大丈夫! 今行きます!」

 声は近い。

 けれど見えない。

 右か。

 左か。

 手を伸ばしても、煙の向こうには何もない。

「もう一度、声を出してください!」

「……ごほっ……」

「くっ……」

 ましろ自身も咳き込んだ。

 煙が目に染みる。

 あと少し。

 声は、すぐそこにあるのに。

     ◇

「まだ出てこないのか!」

 家の外。

 凛堂が二階を睨んでいた。

「副隊長、まだ中です!」

「子どももか?」

「はい!」

 その時、人垣の後ろから一人の男が顔を出した。

「何があったの?」

 肩から《風見鶏の和音》を提げている。

 羅馬だった。

「火事だ!」

 隊士の一人が答える。

「まだ中に子どもがいる!」

「ましろさんは?」

「救助に入ってる!」

 羅馬の表情が変わった。

「……ましろさんが?」

 燃える家を見る。

 玄関から吐き出される黒煙。

 二階の窓からも煙が溢れている。

 羅馬は中へ飛び込もうとはしなかった。

 代わりに、じっと煙を見た。

 流れ。

 出口。

 周囲の人の位置。

 家の反対側には、人のいない空き地がある。

「……あっちなら」

 《風見鶏の和音》を抱え直す。

「煙だけ、向こうへ抜ければいい」

 指先が弦に触れた。

 ――ン。

 小さな音が鳴った。

 風が生まれた――ようには見えなかった。

 炎は、ほとんど揺れない。

 火勢も変わらない。

 なのに。

 家を覆っていた黒煙だけが、ゆっくりと横へ引かれていった。

 まるで見えない道筋を与えられたように。

 人のいる通りを避け、隣家を避け、空き地の方角へ。

「……煙が」

 隊士が呟く。

 羅馬は何も答えず、弦へ指を添えたまま流れを見ていた。

 やがて、指を離す。

 小さな響きが消えた。

 それでも煙は、すぐには元の流れへ戻らなかった。

 しばらくの間。

 同じ道筋を辿るように、空き地の方へ流れ続けている。

「……?」

 羅馬が、ほんの少しだけ眉を寄せた。

 だが。

 すぐに燃える家へ視線を戻した。

     ◇

 二階。

「……?」

 ましろが顔を上げた。

 煙が動いている。

 目の前を覆っていた黒が、横へ流れていく。

 一瞬。

 視界が開いた。

 部屋の隅。

 小さな影がうずくまっている。

「……いた!」

 ましろが駆け寄った。

 子どもは床へ伏せ、泣きながら咳き込んでいた。

「大丈夫!」

「……おねえ……ちゃん……」

「もう大丈夫ですよ」

 ましろは子どもの身体を確認する。

 意識はある。

 立たせて歩かせるより、背負った方が早い。

 子どもへ背を向けてしゃがんだ。

「お姉ちゃんがお外まで連れていくからね。背中に乗れますか?」

「……うん」

 震える身体が背中へ乗る。

「そう。しっかり掴まって――」

 だが、子どもは煙でほとんど目を開けられない。

 肩を探して伸ばした煤だらけの両手が、

 ぺたっ。

 ましろの顔を掴んだ。

「わっ!」

「……!」

「そこはお姉ちゃんの顔だよ。もっと腕を肩に回して……」

 ましろが子どもの腕を導く。

「そう! しっかり掴まってね!」

「……うん!」

「よし。行くよ!」

 立ち上がる。

 煙が薄くなった廊下を、出口へ向かって走った。

     ◇

「出てきた!」

 誰かが叫んだ。

 炎と煙の向こうから、ましろが姿を現す。

 背中には子ども。

「ましろ!」

 凛堂が駆け寄った。

「子どもを!」

 ましろが膝をつく。

 すぐさま隊士が子どもを受け取った。

「救護へ!」

「はい!」

 凛堂がましろの前に立つ。

「お前……」

 一瞬だけ、言葉が止まった。

 煤だらけの顔。

 焦げた衣服。

 荒い呼吸。

「……怪我は」

「ありません。少し煙を吸っただけです」

「そうか」

 凛堂が、ごく小さく息を吐いた。

 ほんの一瞬。

 それだけだった。

「よくやった」

「……はい」

「今は休め」

 すぐに踵を返す。

 その途中。

 凛堂の視線が止まった。

 少し離れたところに、《風見鶏の和音》を抱えた羅馬がいる。

 羅馬も視線に気づいた。

 凛堂は、ほんの一瞬だけ羅馬を見る。

 何も言わない。

 そのまま前を向く。

「西側の火を止めろ! 隣家へ回すな!」

 再び、隊長代理の声が現場へ響いた。

     ◇

 しばらくして、ようやく火勢が弱まった。

 家屋は大きく焼けたが、隣家への延焼は食い止められている。

「隊長代理」

 隊士が凛堂のもとへ駆けてくる。

「何だ」

「焼け出された一家ですが……家はもう、住める状態ではありません」

 凛堂が焼けた家を見る。

「今夜の宿は?」

「それなら手配できます。食事と着替えも。ただ、その後の住居については……」

「分かってる」

 凛堂は即答した。

「まず今夜の寝床を確保しろ。食事と着替えもだ」

「はい」

「その先は、俺が上と掛け合う」

 隊士が少し驚く。

「住居の支援を、ですか?」

「家が焼けたからって、明日から勝手に生きろじゃ話にならんだろ」

「……承知しました」

 隊士が頷く。

「あとは……母親ですが」

 少し離れたところ。

 母親は救護を受ける子どもの傍らに座り、何度もその手を握っていた。

「かなり自分を責めています」

「出火原因の確認は必要だ」

「はい」

「だが、今日はいい」

 凛堂が母子を見る。

「今は子どものそばにいさせてやれ」

「承知しました」

     ◇

「副隊長」

「あ、ありがとうございます」

 先ほど眼鏡を預けた隊士が戻ってきた。

 ましろは眼鏡を受け取り、掛け直す。

 その顔には、子どもの両手が残した煤が黒々とついていた。

 ちょうど両目の周囲を囲むように。

「……お姉ちゃん」

 救護を終えた子どもが、ましろを見ていた。

「ん? どうしたの?」

 子どもは眼鏡を掛けたましろの顔を、じっと見る。

 そして。

「……めがね熊猫」

「…………え?」

 その横で。

「……ぷっ」

 羅馬が吹き出した。

「羅馬さん?」

「いや……ごめん」

「何ですか?」

 子どもが、今度は楽しそうに笑った。

「えへへっ。めがね熊猫!」

「え?」

 ましろが自分の頬へ触れる。

 指先に煤がついた。

「……?」

 羅馬は完全に笑いを堪えている。

「羅馬さん!」

「ご、ごめんって……!」

 その時。

「おいで!」

 少し離れたところから母親が呼んだ。

「あっ」

 子どもが振り返る。

 それから、ましろへ向き直った。

「じゃあ行くね! お姉ちゃん!」

「はい」

 子どもは笑った。

「ありがとう!」

 一瞬。

 ましろの表情が柔らかくなる。

「……はい」

 微笑んだ。

「もう煙の中には入っちゃ駄目ですよ」

「うん!」

 子どもは母親のもとへ戻っていった。

 母親がその身体を強く抱き締める。

 ましろは、その姿をしばらく見送った。

「ほら」

「え?」

 羅馬が手ぬぐいを差し出していた。

「これで顔拭きなよ」

「……すみません」

 ましろが受け取る。

「洗って返します」

「いや、いいよ! 適当に捨てといてよ」

「駄目です!」

「え?」

「ちゃんと綺麗にして返しますから」

「いや、本当にいいって」

「駄目です!」

「……はい」

 羅馬が折れた。

     ◇

 救護の者に付き添われ、母子がその場を離れていく。

 ましろは黙って、その背中を見ていた。

「……もっと早く」

「ん?」

 羅馬が横を見る。

「あと少し早く見つけていれば……あの子は、あれほど煙を吸わずに済みました」

 羅馬は少し考えた。

「うん」

 ましろが振り向く。

「それはそうだと思う」

「……」

 予想していなかった答えだったのか。

 ましろが僅かに目を見開く。

「でも」

 羅馬は続けた。

「ましろさんが見つけなかったら、もっと遅くなってた」

「それは……」

「できなかったことを考えるのは、大事だと思う」

 羅馬は焼けた家を見る。

「でも、できたことまで無かったことにしなくていいんじゃない?」

 ましろは黙った。

「私は副隊長です」

「うん」

「もっと早く判断できていれば――」

「さっきさ」

 羅馬が言った。

「みんな、ましろさんの名前呼んでたよ」

「……私の?」

「うん」

 羅馬は何でもないことのように続ける。

「怖い時に名前を呼びたくなる人って、役職じゃ決まらないんじゃないかな」

「……」

「ましろさんが来たら大丈夫だって、みんな思ってるんだと思う」

 そして。

「俺もそう思ったよ」

「……」

 ましろが止まった。

「どうしたの?」

「……羅馬さん」

「ん?」

「そういうこと、あまり気軽に女性へ言わない方がいいですよ」

「え?」

 本気で分からない顔をしている。

「なんで?」

「なんでって……」

 ましろが言葉に詰まった。

「……男前すぎます」

「俺が?」

「そういうところです!」

「どういうところ!?」

 羅馬は最後まで分かっていなかった。

     ◇

 その夜。

 ましろは自室で、一枚の手ぬぐいを洗っていた。

 水の中で何度も揉み、煤の跡を落としていく。

「……まだ少し残ってますね」

 もう一度。

 丁寧に洗う。

 絞る。

 しわを伸ばし、部屋の片隅へ干した。

「これで……大丈夫でしょう」

 少し離れて確認する。

 羅馬は、捨てていいと言っていた。

『いや、いいよ! 適当に捨てといてよ』

「……駄目です」

 誰もいない部屋で、小さく呟く。

「借りたものは、ちゃんと返すんです」

 灯りを落とした。

 布団へ入る。

 目を閉じる。

『俺もそう思ったよ』

「……」

 目を開ける。

 もう一度閉じる。

『怖い時に名前を呼びたくなる人って、役職じゃ決まらないんじゃないかな』

「…………」

 寝返りを打つ。

『俺もそう思ったよ』

「…………っ」

 ましろは頭まで布団をかぶった。

「~~~~っ!」

 しばらくして。

 そっと顔を出す。

「……何なんですか、あの人は……」

 視線を動かす。

 月明かりの中。

 洗った手ぬぐいが、静かに揺れている。

「…………」

 ましろは再び布団へ潜った。

     ◇

 数日後。

 茶屋。

「羅馬さん」

「ん?」

 団子を口へ運ぼうとしていた羅馬が振り返った。

 ましろが立っている。

「これ、お返しします」

「何?」

 差し出されたものを見て、羅馬が気づく。

「ああ。あれか」

 手ぬぐいを受け取る。

 広げる。

「……」

「何ですか」

「いや」

 裏返す。

 もう一度見る。

「前より綺麗になってない?」

「気のせいです」

「ほんとに洗ったんだ」

「当然です」

「ほんとに良かったのに……」

「貸し借りはしない主義なので!」

「そんな主義ある?」

「あります!」

「そっか」

 羅馬は笑った。

「うん。ありがとう」

 ましろは首を振った。

「お礼を言うのはこちらです」

 少しだけ頭を下げる。

「ありがとうございました」

「俺、煙流しただけだけどね」

「その“だけ”がなければ、私はあの子を見つけられませんでした」

「そっか」

「はい」

「じゃあ、どういたしまして」

 そこへ亜呂が盆を持ってやってきた。

「ましろさん、お茶どうぞ」

「ありがとうございます」

「団子もどうぞ」

「ありがとうございます」

 羅馬が盆を覗き込んだ。

「俺のは?」

「ありますよ」

「よかった」

「羅馬さん、そればっかりですね」

「団子は大事だよ」

「この前も三皿食べてたじゃないですか」

「三皿は食べてない」

「食べました」

「二皿半」

「半って何ですか」

「最後の一個、亜呂が食べたから」

「私の分だったんです!」

「じゃあ二皿と四分の三くらい?」

「増えてますよ」

「細かいなあ」

「羅馬さんが適当すぎるんです」

 ましろは湯呑みを手にしたまま、二人を見る。

 特別なことをしているわけではない。

 ただ、いつものように話しているだけなのだろう。

 亜呂は遠慮なく羅馬へ小言を言い。

 羅馬も、気にした様子もなく返す。

 そのやり取りが妙に自然だった。

「……なるほど」

 ましろが小さく呟いた。

「ん?」

 羅馬が振り向く。

「何が?」

 ましろは湯呑みを口元へ運んだ。

「いえ」

 一口。

 そして、ほんの少し笑った。

「何でもありません」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。