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からくり道中浪漫譚―白詰草異聞―  作者: ロマリアス
青龍編

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青龍編 第一話 『旅人の名』

青龍編

第一話 『旅人の名』


 朝の皇都には、さまざまな音が満ちている。

 石畳を叩く馬蹄の音。

 店先の雨戸を引き上げる音。

 遠くを走る蒸気機関車の汽笛。

 天礎石を積んだ荷車の車輪が、敷石の継ぎ目を越えるたびに、がたん、がたんと規則正しく揺れた。

 旅籠ひぐらしを出た羅馬は、そんな朝の音を聞きながら、特に行く先も決めずに歩いていた。

 今日は昼前に、亜呂や涅央と落ち合うことになっている。

 白虎と融合した仁虎の具合を、皆で見に行くためだ。

 時間にはまだ余裕がある。

 羅馬は通りの店を眺めながら、ゆっくりと歩いた。

「羅馬さん、おはよう」

「おはよう。今日は早いね」

「早いって、もう店を開ける時刻だよ」

「そうだったか」

 八百屋の女将が呆れたように笑う。

 その隣では魚屋の主人が、大きな木箱を店先へ運び出していた。

「おう、羅馬。今日はうちの魚を買っていけよ」

「今朝はもう食べた」

「朝に魚を食ったからって、昼に食っちゃいけねえ法はねえ」

「商売熱心だなあ」

 そんなやり取りを交わしながら、羅馬は人通りの多い大路へ出た。

 少し先を、顔見知りの呉服商が歩いている。

 腕に帳面を抱え、何やら急いでいる様子だった。

 羅馬はなぜか、その背中が気になった。

 理由は分からない。

 ただ、呼び止めた方がいいような気がした。

「や! 元気?」

 唐突に声をかけられた呉服商が、足を止めて振り返る。

「……何だい、藪から棒に」

「いや。見かけたから」

「見れば分かるだろう。元気だから歩いてるんだよ」

 その瞬間だった。

 がしゃん、と激しい音がした。

 二人からほんの数歩先へ、屋根の上に取りつけられていた木製の看板が落下したのである。

 金具が腐食していたのだろう。

 重い看板は石畳の上で割れ、木片を周囲へ散らした。

 呉服商は顔を引きつらせたまま、自分が歩くはずだった場所を見つめた。

「……お、お前」

「危なかったねえ」

「分かってて呼び止めたのか?」

「まさか」

 羅馬は屈んで、飛んできた木片を拾い上げた。

「元気かなと思って」

「それだけか?」

「それだけ」

 呉服商はしばらく羅馬を見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。

「何なんだ、お前は……」

「まあ、怪我しなくてよかったよかった」

 羅馬は笑うと、何事もなかったように歩き出した。

 背後では、呉服商が何度も看板と羅馬の背中を見比べていた。

     ◇

「羅馬さん。羅馬さんじゃないかい」

 今度は、古道具屋の女主人に呼び止められた。

「ちょうどよかった。少し見てほしいものがあるんだよ」

「俺に?」

「ああ。昨夜から屋根裏で妙な音がしてね」

「鼠じゃないの?」

「鼠なら、もう少し可愛げがあるよ」

 女主人は声を潜めた。

「梁をね。爪で、ぎい、ぎいって引っ掻くような音がするんだ」

「猫でも入り込んだんじゃないか?」

「猫なら鳴くだろう。あれは何だか、もっと……嫌な感じがするんだよ」

 店の奥へ案内されると、天井へ上がるための梯子が立てかけられていた。

 羅馬は躊躇なく梯子へ足をかけた。

「ちょっと見てくる」

「気をつけておくれよ」

 天井板を押し上げ、羅馬は屋根裏へ頭を出した。

 薄暗い。

 小さな明かり取りから差し込む光の中で、細かな埃がゆっくりと舞っている。

 古い道具箱。

 使われなくなった布団。

 梁から垂れ下がった蜘蛛の巣。

 鼠の気配も、猫の姿もない。

「何もいないぞ」

 下から女主人の声がする。

「本当かい?」

「糞も足跡もないな」

 羅馬はさらに身を乗り出した。

 そのとき、屋根裏の奥で何かが蠢いた。

 黒い染みのようなものだった。

 梁と梁の隙間に凝り固まり、細い指のようなものを何本も伸ばしている。

 けれど羅馬の目には、ただの暗がりにしか見えなかった。

「うーん……」

 羅馬が梁へ手をかける。

 どこから入り込んだのか、細い風が屋根裏を通り抜けた。

 青みを帯びた、ひどく澄んだ風だった。

 黒い染みが震える。

 梁へ絡みついていた指がほどけ、煙のように薄くなっていく。

 やがてそれは、明かり取りの隙間から外へ吸い出されるように消えていった。

 羅馬は何も気づかず、梁を軽く叩いた。

「傷んでもいないな」

「何か見つかったかい?」

「いや。何も」

「何もいないのに、あんな音がするものかねえ」

 羅馬はしばらく屋根裏を見回した。

 先ほどまでわずかに感じていた息苦しさが、いつの間にか消えている。

「多分、もう大丈夫だよ」

「多分って、どうして分かるんだい?」

「なんとなく」

「なんとなくで屋根裏の怪音が止まるなら、陰陽寮はいらないよ」

「それもそうだな」

 羅馬が笑いながら梯子を下りる。

 女主人は半信半疑の顔だったが、帰り際には包み紙に入れた饅頭を二つ持たせてくれた。

「何もしてないのに、もらっていいの?」

「何もいないと分かっただけでもありがたいよ」

「じゃあ、遠慮なく」

 店を出た羅馬は、一つ目の饅頭をさっそく頬張った。

 屋根の上を、涼しい風が走っていった。

     ◇

「羅馬殿」

 背後から聞き慣れた声がした。

 羅馬が振り返ると、亜呂が腕を組んで立っていた。

 その隣では、涅央が扇子で口元を隠しながら笑っている。

「遅いですよ」

「いや、まだそんなに遅れてないだろ」

「待ち合わせの刻は、とうに過ぎています」

 羅馬は空を見上げた。

「本当だ」

「本当だ、ではありません」

 亜呂の視線が、羅馬の肩についた埃へ向かう。

「今度は何をしていたのです?」

「古道具屋の屋根裏を見てた」

「なぜですか」

「変な音がするって頼まれたから」

「鼠でもいたのかい?」

 涅央が尋ねる。

「何もいなかった」

「では、何をしていたのです」

「見ただけ」

「見ただけで饅頭をもらったのですか」

 亜呂は、羅馬が手に持っている包みを見た。

「よく見てるな」

「羅馬殿が食べ物を持っている時は、分かりやすいのです」

 涅央がくすりと笑う。

「その前には、呉服商を落下事故から救ったそうだね」

「なんで知ってるんだ?」

「通りで大騒ぎになっていたよ。羅馬に呼び止められなければ、頭に看板が落ちていたと」

「あれは助けたってほどじゃない」

「本人がそう思っていないところが、いちばん困るね」

「何が困るんだよ」

 亜呂が羅馬の肩についた埃を、手で軽く払った。

「皆が羅馬殿を頼りにしてしまうでしょう」

「頼りにされるのは悪いことじゃないだろ」

「そういう意味ではありません」

 亜呂はそう言うと、少しだけ視線を逸らした。

 涅央が面白そうに二人を見比べる。

「さて。これ以上遅れると、仁虎殿に叱られてしまうよ」

「父上は叱りません」

「亜呂殿にはね」

「俺には?」

「知らん」

「冷たいなあ」

 三人は並んで歩き始めた。

 羅馬が歩くたび、通りのあちこちから声が飛んでくる。

「羅馬さん、昨日はありがとう」

「今度うちの水車も見てくれよ」

「羅馬兄ちゃん!」

 羅馬はそのたびに手を上げ、笑顔を返した。

 亜呂は呆れたような顔をしながらも、どこか誇らしそうだった。

     ◇

 仁虎は、自宅の縁側に腰を下ろしていた。

 その肩には、小さな白虎が乗っている。

「遅かったな」

「羅馬殿の寄り道です」

「人聞き悪いな。ちょっと屋根裏を見てただけだ」

「また何か拾ってきたのか?」

「俺を犬みたいに言うなよ」

「仁虎くん。饅頭の匂いがする」

 白虎が羅馬の手元へ顔を向けた。

「分かるのか?」

「僕は神獣だからね」

「そういうところだけ便利だな」

「半分ちょうだい」

 白虎が当然のように言う。

 仁虎が眉をひそめた。

「朝から団子を三本食っただろうが」

「あれは朝の団子だよ」

「今もまだ朝だ」

「でも、もう昼が近い」

「屁理屈を言うな」

 羅馬は笑いながら、残っていた饅頭を半分に割った。

「ほら」

「羅馬!」

「半分だけだって」

 白虎は嬉しそうに饅頭へかじりついた。

 亜呂がそっと仁虎の顔を覗き込む。

「お加減はいかがですか、父上」

「問題ねえ。こいつがうるせえこと以外はな」

「ひどいなあ。僕がいるから仁虎くんは元気なんだよ」

「誰のせいで飯代が増えたと思ってやがる」

「僕たちは一心同体なんだから、仁虎くんが食べたことにすればいい」

「なら、お前の分の肉は俺が食う」

「それは駄目だよ」

 涅央が肩を揺らして笑う。

「相変わらず仲がいいね」

「どこがだ」

「どこから見ても、だよ」

 白虎は饅頭を食べ終えると、羅馬をじっと見つめた。

「羅馬くん」

「ん?」

「今日は、随分いろんなところを歩いたんだね」

「なんで分かる?」

 白虎は鼻をひくつかせた。

「風の匂いがいっぱいするから」

 羅馬は自分の袖を嗅いだ。

「そんな匂いするか?」

「普通の風じゃないよ」

「じゃあ何だよ」

「分からない」

 白虎は首を傾げた。

「でも、悪い匂いじゃない」

「そりゃよかった」

 羅馬は深く考えることもなく笑った。

 風が庭を通り抜け、木々の葉を揺らした。

 その日も皇都では、多くの人々が働き、笑い、いつもどおりの暮らしを送っていた。

 羅馬がその足で、都の隅々まで歩いている間は。

     ◇

 同じ頃。

 皇都中央部にある政務庁舎では、厚い扉を閉ざした会議が開かれていた。

 長机の上には、怪異発生報告書、市内各所の地図、魔瘴気の観測表、そして市民から寄せられた投書が積み重ねられている。

 部屋の空気は重かった。

 会議の上座には、怪異対策評議会を統括する安藤重臣(しげおみ)が座っていた。

 髪には白いものが混じっているが、背筋はまっすぐに伸びている。

 重臣は手元の報告書へ目を落としたまま、低い声で尋ねた。

「怪異の増加が確認されたのは、いつからだ」

 陰陽寮の研究官が、資料をめくる。

「先月の十七日以降です。それ以前の平均と比較し、発生件数はおよそ三倍。特に、人へ直接危害を及ぼす中規模以上の怪異が増えております」

「原因は」

「現時点では特定できておりません」

 別の研究官が続けた。

「天礎石機関の稼働状況、鉄路の運行本数、気象、地脈観測値を確認しましたが、増加を説明できるほどの急変は見られませんでした」

「新たな採掘坑道は?」

「この期間には開かれておりません」

「大規模な祭祀や工事もないのだな」

「はい」

 重臣は報告書を閉じた。

「では、何が変わった」

 誰も答えなかった。

 皇都そのものには、怪異が急増するほどの変化はなかった。

 にもかかわらず、明らかに何かが起きている。

 沈黙の中、巡察部門の責任者が一束の紙を差し出した。

「市民から寄せられた投書の中に、気になるものがございます」

「読め」

「はい」

 男は一枚目の投書を開いた。

「――『羅馬という旅人が皇都へ来てから、やたらと怪異が増えた気がする』」

 机を囲む者たちの何人かが、わずかに顔を動かした。

 重臣の表情は変わらない。

「市井の噂か」

「それだけなら、取り上げる必要もなかったでしょう」

 男は次の投書を読んだ。

「『屋根裏で続いていた怪音を、羅馬という方に鎮めてもらった。本人は何もしていないと言うが、それ以来、音は一度もしていない』」

 さらに別の一枚。

「『怪異に襲われたところを、羅馬という旅人に助けられた』」

 そして、もう一枚。

「『怪異が起きる場所には、なぜかいつもあの男がいる』」

 会議室の空気が、僅かに変わった。

 研究官が投書を受け取り、手元の記録と見比べる。

「羅馬……」

 地図上に記された怪異発生地点。

 その傍らへ、確認された目撃者の名が書き込まれている。

 淀喰い。

 髪飾りに宿った呪い。

 地脈噴出に伴う怪異。

 その他、複数の小規模案件。

 羅馬という名は、その多くに記されていた。

「偶然ではないのか」

「偶然としては、数が多すぎます」

 研究官は、二枚の記録を重ねた。

「羅馬という人物が皇都へ入った時期と、怪異が増加し始めた時期も近い」

「彼が怪異を鎮めたという証言もある」

「はい。しかし、鎮めているのか、何らかの形で発生へ関与しているのかは、現段階では判別できません」

 その言葉に、一人の男が静かに口を開いた。

「羅馬君に、怪異を起こそうという悪意はないと思います」

 重臣が視線を向ける。

「安藤技術監。理由を聞こう」

 指名された男――安藤理一郎は、手元の資料を閉じた。

「過去の案件で、何度か顔を合わせています。軽率なところはありますが、人を傷つけることを望む人物ではありません。むしろ、自ら危険へ飛び込んででも他者を助ける側です」

「人物評を聞いているのではない」

「承知しております」

 理一郎は一度言葉を切った。

「ただ、羅馬君の行動に悪意がないことだけは、申し上げておくべきかと」

 重臣は息子をしばらく見つめた。

 会議の場では、親子であることを感じさせる表情は見せない。

「悪意がないことと、危険ではないことは別だ」

「……はい」

「本人の意思とは無関係に、何らかの力が怪異へ影響を与えている可能性もある」

 理一郎は否定できなかった。

 研究官が補足する。

「その場合、本人にも自覚がない可能性があります」

「白詰草同盟との関係は」

「現在、旅籠ひぐらしを拠点とし、同盟の者たちと行動を共にしています。ただし、正式な盟約者であるかは確認できておりません」

「素性は?」

「旅人としか。出身地、家族、過去の滞在地についても、確かな記録はありません」

 重臣は椅子の背へ身を預けた。

 白詰草同盟は、かつて監視の対象だった。

 だが長年にわたる怪異鎮圧と市民保護への功績により、今では皇都側とも協力関係にある。

 根拠のない疑いを向け、関係を損なうことは避けなければならない。

 しかし、怪異の増加を放置することもできない。

「投書は証拠ではない」

 重臣が静かに言った。

「市井の噂だけで、一人の人間を疑うことも許されん」

 会議室にいる全員が、黙ってその言葉を聞いた。

「だが、発生記録の中に同じ名が現れ続けている以上、調べぬわけにもいかん」

 重臣の視線が、部屋の端へ向けられた。

 そこには、一人の男が静かに控えていた。

「百地」

「はい」

 百地が一歩前へ出る。

「白詰草同盟との関係を損なうな。羅馬を罪人として扱うことも許さん」

「承知しました」

「先入観はいらん。庇う必要も、罪を探す必要もない」

 重臣は机の上に置かれた投書へ、もう一度目を落とした。

 怪異を呼ぶ旅人。

 怪異を鎮める旅人。

 怪異の傍らに、なぜか必ずいる旅人。

 そのすべてに、同じ名が記されている。

「ただ、事実を持ち帰れ」

 百地は静かに頭を下げた。

 安藤重臣は命じた。

「羅馬という人物を調べろ」


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