第6話 異常の正体
町を出てしばらくのあいだ、誰も口数が多くなかった。
エドはリリアの手を引き、石畳から土の道へ変わった街道を歩く。リリアは静かだったが、さっきまでの怯えは少しずつ抜けているようだった。
その少し後ろを、ミレナが一定の距離を保ってついてくる。
「ほんとに途中までなのか」
エドが振り返らずに聞くと、ミレナは短く答えた。
「今のところは」
「便利な言い方だな」
「そっちも、追い出される前に出たとか言ってた」
「少し違うらしいからな」
そのやり取りに、リリアが小さく言った。
「それ、おなじじゃない?」
「おなじじゃない」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
ミレナが呆れたように言うと、リリアがほんの少しだけ笑った。
その笑い声を聞いて、エドは少しだけ肩の力を抜く。
町を出ること自体はもう仕方ない。問題は次だ。どこへ行くか。どこまで行けば、この子を怯えさせずに済むのか。
街道脇に古い休憩所の跡のような場所があった。石の腰掛けが残り、屋根は半分崩れているが、日差しを避けるくらいはできる。
「少し休むか」
そう言うと、リリアは素直にうなずいた。
エドが水袋を下ろした、そのときだった。
「追いつけてよかった」
背後から、知らない男の声がした。
エドは反射的に振り返り、リリアを背へ寄せる。
ミレナもすぐ腰の剣に手をかけた。
立っていたのは、町で見かけた外套の男だった。古びた灰色の外套に、丸眼鏡。細い身体つきで、学者か役人のように見える。手には革の鞄と、分厚い手帳があった。
「誰だ」
エドが低く問う。
男は軽く頭を下げた。
「失礼。私はユリウス。各地の異常現象を調べている者です」
「調べてる?」
「学術院の人間、と言えば通じるでしょうか」
その言い方に、ミレナが眉をひそめる。
「通じるけど、信用はしない」
「それはごもっともです」
ユリウスはあっさり認めた。
その代わり、視線だけは真っ直ぐリリアに向いている。
その見方が気に入らなくて、エドは一歩前に出た。
「用があるなら俺に言え」
「ええ、もちろん」
男はそう言ったが、興味の中心がどこにあるのかは明らかだった。
「町で起きたことを見ました。宿の前での「音が消えて、輪郭が崩れて、何かが抜け落ちる前の状態」
「……言い方が気に入らないな」
「事実ですので」
淡々と返される。
リリアがエドの服を掴んだ。
緊張している。見ればわかる。
「話は終わりだ」
エドが言うと、ユリウスは少しだけ首を傾げた。
「娘さんの身を守るためにも、聞いたほうがいい」
「守る?」
「少なくとも、何も知らないまま連れ歩くよりは」
ミレナが口を挟む。
「回りくどい。何が言いたいの」
ユリウスは手帳を開いた。何枚もの紙に、細かい字と図がびっしり書き込まれている。
「ここ数年、各地で似た現象が確認されています。物の消失、会話の中断、記憶の欠損、局所的な空白化。規模はまちまちですが、共通点がある」
「共通点?」
ミレナが聞き返す。
ユリウスはうなずいた。
「発生の直前に、強い感情反応を示す存在がいる」
エドの目が細くなる。
「それがこの子だって言いたいのか」
「断定はまだしません」
そう言いながらも、声にはかなりの確信があった。
「ただ、非常によく似ている。いえ――」
ユリウスはリリアを見て、言葉を切った。
「……似ている」
空気が少し重くなる。
ミレナが露骨に顔をしかめた。
「人を記録みたいに言うな」
「感情的な反発は理解します」
「理解してる顔じゃない」
その通りだった。
ユリウスの顔には、悪意も同情もほとんどない。ただ、観測対象を前にした研究者の目だけがあった。
リリアはエドの背から半分だけ顔を出して、男を見ている。
「……おとうさん」
「大丈夫だ」
エドはすぐに答えた。
それからユリウスを見る。
「この子の前で妙なことを言うな」
「妙ではありません。現実です」
「現実でも言うな」
そこで初めて、ユリウスが少しだけ黙った。
ミレナは腕を組み、男を睨む。
「で、調べてるなら何かわかってるの?」
「わかっていることは少ない」
「使えないわね」
「否定はしません。ただ、ひとつ言えるのは――放置していいものではない、ということです」
その言い方に、エドは短く息を吐いた。
「みんな同じことを言うな」
「みんな?」
「町の連中も、教会の女も、お前もだ」
守るだの、保護だの、放置できないだの。
言葉は違っても、結局は同じだ。この子を“普通じゃないもの”として切り離そうとしている。
「この子は俺といる」
エドははっきり言った。
「それで何か起きたら?」
ユリウスの問いは静かだった。
「起きた時に考える」
「遅い」
「お前が決めることじゃない」
少しの沈黙。
風が吹き、休憩所の崩れた屋根が軋んだ。
リリアはその音に小さく肩を揺らしたが、エドの袖を掴んだまま耐えている。
ユリウスはその様子も見逃さなかった。
「……やっぱり、同じだ」
小さく呟く。
「恐怖と依存の結びつきが強い。父親の発話で安定化する傾向も一致している」
「だから、その言い方をやめろ」
エドの声が低くなる。
ミレナも一歩前へ出た。
「それ以上刺激するなら、私が追い返す」
ユリウスはようやく手帳を閉じた。
「わかりました。今日はこれ以上近づきません」
「今日“は”?」
「観測は続けます」
「最悪ね」
ミレナが吐き捨てる。
ユリウスはそれも気にした様子がなかった。
代わりに、鞄の中から紙片を一枚取り出して、石の腰掛けの上に置く。
「もし次に大きな異変が起きたら、そこに来てください」
「行かない」
エドが即答すると、ユリウスはうなずいた。
「でしょうね。ですが、頭の片隅には置いておいてください」
そう言って、男は数歩下がった。
だが去る前に、もう一度だけリリアを見る。
「……最近、変な夢を見ることは?」
唐突な問いだった。
リリアはびくりとして、エドの背に隠れた。
「答えなくていい」
エドが遮る。
ユリウスは少しだけ目を細めた。
「……やはり」
それだけ呟くと、今度こそ踵を返した。
街道の向こうへ去っていく背中を見送りながら、ミレナが低く言う。
「嫌な感じの男」
「同感だ」
「でも、嘘は言ってなかった」
エドは答えなかった。
嘘かどうかは問題ではない。
正しいことを言う人間が、優しいとは限らない。それを、エドは昔から知っている。
「おとうさん」
リリアが小さく呼ぶ。
「ん?」
「ゆめ、ってなに」
エドは少しだけ間を置いた。
「寝てる時に見るやつだ」
「しってる」
「じゃあ聞くな」
「ちがう」
リリアは服を掴んだまま言う。
「あのひと、なんでそれきいたの」
その問いに、エドはうまく答えられなかった。
ミレナも黙っている。
代わりにエドは、娘の頭を軽く撫でた。
「気にしなくていい」
「……うん」
「お前は、お前のままでいろ」
リリアは少しだけ考えてから、こくりとうなずいた。
だが、その顔にはまだ薄い不安が残っている。
休憩のあと、三人は再び歩き出した。
行き先は決まっていない。街道を外れ、できるだけ人の少ないほうへ向かうしかない。
ミレナが隣を歩きながら言う。
「私、まだ途中までだから」
「便利な言い方だな」
「そっちも慣れたでしょ」
エドは肩をすくめた。
その横で、リリアがぽつりと呟く。
「……えらかった?」
エドは少し笑った。
「えらかったよ」
「なんで?」
「知らないやつが来ても、ちゃんと泣かなかった」
リリアは目を丸くして、それから少しだけ胸を張る。
「……うん」
その返事の小ささに、ミレナが思わず目を逸らした。
こんなふうに褒められて安心するだけの子どもが、あの異常の中心にいる。その事実が、やはりどうしても噛み合わない。
日が少し傾き始めたころ、リリアがふと立ち止まった。
「おとうさん」
「どうした」
「……なんか、へんなおとする」
エドとミレナが同時に足を止める。
「音?」
ミレナが聞き返すと、リリアは遠くを見るような目で、街道の先ではなく、もっと何もない空間の向こうを見ていた。
「きこえる」
「何がだ」
エドが問う。
リリアは少しだけ迷ってから、ひどく小さな声で言った。
「……ないてるみたいな、おと」
風が吹いた。
街道には何もない。人影も、獣の気配もない。
少し離れた場所で、ユリウスが立ち止まって振り返る。
まるで、その言葉を待っていたみたいに。
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