表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能な父ですが、世界が壊れても娘だけは手放しません  作者: そらのことのは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/20

第12話 正体の断片

 翌朝、丘の祠を出るころには、空が妙に白かった。


 曇りというほどでもない。晴れているのに、どこか薄い膜が空一面に張っているみたいな色だ。

 風は弱く、鳥の声も少ない。


「へんなそら」


 リリアがエドの手を握ったまま言った。


「そうだな」


「ないてるみたい」


 昨日の“泣き声みたいな音”と同じ言い方だった。

 エドは空を見上げたが、何もわからない。


 ミレナも空を見てから、小さく息を吐く。


「嫌な感じはする」


「便利な言い方だな」


「嫌なものはだいたい嫌な感じがするのよ」


 その返事に、リリアが少しだけ笑った。

 笑えているうちは、まだましだ。


 三人は街道を外れたまま、南へ向かっていた。町や村に近づくのは危ない。けれど、完全に人の気配がない場所ばかり歩くのも限界がある。食べ物も水も必要だし、何よりリリアの体力がもたない。


 昼前、小さな廃屋の残る野原に出た。


 昔は農家だったのだろう。石垣が半分崩れ、壁だけ残った小屋がひとつある。井戸は埋まり、畑は草に飲まれていた。

 休むには悪くない。


「ここ、おうち?」


「今日はな」


「また、きょうだけ」


「最近そればっかりだな」


「でも、ちゃんといる?」


「いるよ」


「よかった」


 リリアはそれで安心したように、崩れた石垣に腰を下ろした。


 エドは周囲を見回し、ミレナは小屋の中を確かめに行く。

 そのときだった。


「やはり、ここにいましたか」


 聞き覚えのある声に、エドは反射的に振り返った。


 草の向こうに立っていたのは、灰色の外套に丸眼鏡の男――ユリウスだった。手には例の分厚い手帳と、革筒に入った巻物を抱えている。


「またお前か」


 エドが低く言う。


「観測の続きです」


「断ったはずだ」


「承知しています。ですから今日は、説明をしに来ました」


 ミレナが小屋の入口から出てきて、露骨に嫌そうな顔をした。


「帰ってくれない?」


「帰ってもいいですが、その前にひとつだけ確認したい」


 ユリウスの視線がリリアに向く。

 リリアはすぐエドの後ろへ寄った。


「おとうさん」


「大丈夫だ」


 そう言いながらも、エドの表情は硬い。


「何を確認する」


「世界規模で起きている現象と、娘さんの反応の一致率です」


 相変わらず言い方が最悪だった。

 ミレナがすぐ口を挟む。


「人を記録表みたいに扱うなって言ったはずだけど」


「扱っていません。事象として見ているだけです」


「それが嫌だって言ってるの」


 ユリウスは少しだけ黙り、それから巻物を広げた。


 古い地図だった。いくつもの赤い印がついている。


「この十日で確認された消失現象です。井戸、橋、納屋、街道沿いの休憩所、会話の欠落、記憶の空白。場所は離れているのに、起き方が似すぎている」


 エドは地図を睨んだ。


「それがどうした」


「ここ数日は特に頻度が上がっている。そして、あなたたちが移動した方角と、発生域の偏りが一致している」


「偶然だ」


「そう思いたいのは理解します」


 理解していない顔で、ユリウスは言う。


「ですが、もう局地的な偶然では片づけられない」


 リリアがエドの服を掴む力を強めた。


「おとうさん」


「聞かなくていい」


 エドは短く言う。


 だがユリウスは止まらない。


「私は最初、娘さんを“異常の引き金”だと考えていました」


「最初?」


「ええ。ですが、それでは説明が足りない」


 ユリウスは地図を指先でなぞる。


「消えているのは、無秩序なようでいて、どこか“綻び”だけなんです」


「綻び?」


 ミレナが眉をひそめる。


「壊れかけた井戸。古い橋。記憶の曖昧な部分。境界の不安定なもの。完全なものではなく、ほころびた箇所から先に欠ける」


 エドは黙ったまま聞いていた。


「つまり、単なる破壊ではない」


 ユリウスははっきり言う。


「むしろ逆です。無理やり均そうとしている」


「……何を」


「世界の“歪み”を」


 風が止まったように感じた。


 ミレナが露骨に顔をしかめる。


「話が飛びすぎ」


「飛んでいません。各地の記録を追えば、そうとしか思えない」


 ユリウスはリリアを見た。


「この子は、世界に生じた綻びに反応している。あるいは」


 そこで少しだけ声を落とす。


「その綻びを埋めようとしている」


 エドの目が細くなる。


「何が言いたい」


 ユリウスは、一度だけ言葉を選ぶように間を置いた。


「仮説です。まだ断定ではない」


「前置きはいい」


「……娘さんは、“壊れた部分だけを消して整える側”に近い」


 リリアがぴくりと震えた。


 ミレナが即座に言い返す。


「ふざけないで」


「ふざけてはいません」


「子どもひとり捕まえて、世界がどうとか、修復機構がどうとか」


「捕まえてはいない。ただ、現象がそう示している」


 ミレナが一歩前へ出る。

 だがそれより先に、エドが口を開いた。


「違う」


 声は低かったが、妙にはっきりしていた。


 ユリウスが視線を向ける。


「何がです?」


「全部だ」


 エドは振り返り、リリアの頭に手を置いた。


「この子はそんなものじゃない」


「あなたにとっては娘でしょう。しかし――」


「俺にとって“だけ”じゃない」


 エドははっきり言う。


「怖がりで、すぐ不安になって、褒めると安心して、離れると泣きそうになる。ただの子どもだ」


「ただの子どもが、あんな現象を起こしますか」


「起こしてるから困ってるんだろ」


 ユリウスが言葉を詰まらせる。


 エドは続けた。


「お前の言い方は全部逆だ。現象があるからこの子が何かになるんじゃない。この子がそこにいて、怖がってるから、俺はまずそっちを見る」


 ミレナが横で小さく息をついた。

 たぶん、その言い分は嫌いじゃないのだろう。


 ユリウスは少しだけ目を伏せた。


「感情としては理解します」


「理解してるなら、その口で“機構”とか言うな」


「ですが事実は――」


「事実でも言うな」


 そこで初めて、ユリウスが完全に黙った。


 風が草を揺らす。

 リリアはエドの後ろで、小さく震えていた。


「おとうさん」


「ん?」


「しゅうふく、ってなに」


 聞いてしまったか、とエドは思う。


 少し迷ってから、できるだけ簡単に言う。


「壊れたものを直すことだ」


 リリアは少しだけ考える。


「わたし、なおすの?」


「違う」


 エドは即答した。


「お前はお前だ」


 その言葉に、リリアの指先の力が少しだけ緩む。


「……ほんと?」


「ほんとだ」


 ユリウスがそれを見て、ひどく小さく呟いた。


「安定化が早すぎる……」


 ミレナが睨む。


「今それ言う?」


「失礼」


 まったく失礼と思っていない顔だった。


 ユリウスは地図を丸め、手帳を閉じた。


「ひとつだけ忠告します」


「いらん」


「必要です」


 その言い方に、エドは露骨に嫌そうな顔をした。


「現象の規模は拡大しています。娘さんが原因かどうかはさておき、中心に近いのは間違いない。近いうちに、学術院だけではなく、もっと大きな組織が動く」


「大きな組織?」


 ミレナが聞き返す。


「教会、王都の観測局、あるいは軍」


 最悪の並びだった。


「……なんでそうなるの」


 ミレナの声が冷える。


「“世界規模の異常”だからです。地方の噂なら放置されても、街道や橋が消え始めれば、そうはいかない」


 エドは何も言わなかった。


 言い返したいことはいくらでもある。

 だが、それがただの脅しではないこともわかってしまった。


 リリアはエドの袖をぎゅっと握り、かすれた声で聞く。


「また、とられる?」


 その一言で、空気がわずかに緊張する。


 エドはすぐ振り返った。


「取られない」


 短く言う。


「お前はここにいる」


「でも……」


「大丈夫だ」


 リリアの目が揺れる。

 それでもさっきほどではない。エドの声が先に届いている。


 ユリウスはそのやり取りを見てから、最後にひとつだけ言った。


「否定するのは自由です」


 エドが睨む。


「ですが、あなたがどう呼ぼうと、世界はもうこの子を放っておきません」


 それだけ言い残し、ユリウスは踵を返した。


 草を分けて去っていく背中は、相変わらず迷いがない。

 嫌な男だった。だが、嫌なだけでは済まない重さも残していく。


 しばらく誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは、ミレナだった。


「……信じるの?」


「信じない」


 エドは即答した。


「全部はな」


「全部“は”?」


「異常が広がってるのは本当だろ」


「そっちはね」


 ミレナは腕を組んで、空を見上げた。


「でも、世界の修復機構はないわ。そんな話、気持ち悪い」


「同感だ」


 リリアが不安そうにエドを見上げる。


「おとうさん」


「ん?」


「わたし、へんなの?」


 その問いに、エドは少しも迷わなかった。


「変じゃない」


「でも、みんな……」


「みんなは知らないだけだ」


 しゃがんで、目線を合わせる。


「お前は俺の娘だよ」


 リリアの目が少しだけ潤む。


「……いいこ?」


「そうだ」


「ほんと?」


「ほんとだ」


 それでようやく、娘は少しだけ息をついた。


 ミレナはその様子を見てから、小さく言う。


「……たぶん、もう時間がないわね」


 エドは立ち上がる。


「わかってる」


「次の町に入るのは危険」


「ああ」


「でも、逃げ続けるだけでも限界がある」


「それもわかってる」


 問題は、わかっていることが増えるほど、答えがなくなることだった。


 風がまた草を揺らす。

 白い空は、朝よりさらに薄く見えた。


 そのとき、遠くの空で、何かがひび割れるみたいな音がした。


 三人が同時に顔を上げる。


 雲ひとつない空の端に、ほんの一瞬だけ、細い黒い筋が走った。

 まるで空そのものに爪で傷をつけたみたいに。


 次の瞬間には消えていた。

 だが、見間違いではない。


 ミレナが顔を引きつらせる。


「……今の、見た?」


「見た」


 エドも低く答える。


 リリアだけが、小さく震えながら空を見ていた。


「……ないてる」


 その声は、ひどく怯えていた。


 エドはすぐに娘を抱き寄せる。


「大丈夫だ」


 言いながら、自分でもわかっていた。

 “大丈夫”が、もう少し遅い

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

面白いと感じていただけましたら、リアクションや評価、

ブックマークで応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ