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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第82話 地竜との戦いで久しぶりに本気を出しましたけれど、山まで斬れてしまったのは少し反省が必要かもしれませんわね

 山の空気が、一段だけ張り詰める。


 地竜はまだ、こちらの線を完全には読んでいない。

 正面で騎士団が圧をかける。

 下方の線が落ち筋を切る。

 横へ抜けるための狭い道だけが、半ば開いているように見える。


 なら、そこへ走る。


 低い唸り。

 土を噛む前足。

 岩を鳴らす尾。


 地竜が動いた。


「正面、切らすな!」


 ガルムの声が飛ぶ。


 騎士団の線が、一歩だけ強く出る。

 押し込みすぎない。

 だが退かない。


 地竜が嫌がる。

 上へは行けない。

 下へ落ちるのも嫌う。

 なら横だ。


「横へ走る!」


 号が飛ぶ。


 その瞬間、山の空気が裂けた。


 地竜が岩を蹴る。

 横へ。

 斜めに。

 尾が払い、石が崩れる。


 だが、その一度だけが欲しかった。


 レオノーラはすでに踏み込んでいた。


 断星を抜く。


 重い。

 だが遅くない。

 今の自分に合う重さ。

 工房で整え、森で削り、今日ここへ持ってきた剣。


 地竜の視線が初めて、完全にこちらへ向く。


 遅いですわ。


 レオノーラは岩の縁を踏み、一歩で間合いへ入った。


 前足が来る。

 払う。

 押し潰すための一撃。


 普通なら避ける。

 だが今回は、その普通を少しだけ捨てる必要があった。


 断星を返し、正面から受ける。


 鈍い衝撃が腕を通る。

 脚が沈む。

 岩が鳴る。


 重い。


 だが、久しぶりに少しだけ心が静かになった。


 ああ。


 これですわね。


 最近の学院では、どこで止まるか、どう渡すか、どう整えるかばかり考えていた。

 それは必要だった。

 だが今この瞬間だけは、それとは別の純粋な話になる。


 どこまで出せば、今ここを断ち切れるか。


 それだけだ。


「レオノーラ様!」


 誰かの声が飛ぶ。


 だがもう遅い。

 レオノーラは一歩踏み込み直していた。


 地竜の前足を流し、横へ入る。

 鱗。

 筋肉。

 首の根元。

 重さの集まる線。


 見える。


「……久しぶりですわね」


 小さく呟く。


 本気を出すのは。


 断星が、ようやくこちらの意図へ完全に追いついた感覚があった。


 振り下ろさない。

 斜めに断つ。

 骨ごと止める。


 その一閃は、地竜だけを斬るつもりだった。


 だが、久しぶりに本気を出した剣は、少しだけその先まで届きすぎた。


 地竜の首筋から肩口を断ち、さらに背後の岩肌まで裂く。


 音が遅れて来た。


 斬れた。


 地竜が一瞬だけ止まる。


 その止まり方で分かった。

 致命だ。


 だがレオノーラは止まらない。


 崩れる。


 今ので、地竜だけではなく、足場側も少し持って行った。


「下方、退けなさい!」


 声が飛ぶ。


 今度はレオノーラ自身の声だった。


 騎士団が散る。

 地竜の巨体が傾ぐ。

 尾が最後に暴れ、岩を叩く。


 レオノーラはその尾の軌道を見切り、断星を返してもう一度斬った。


 今度は浅く。

 だが十分だった。


 地竜の動きが完全に死ぬ。


 巨体が斜面へ崩れ落ち、土煙と石片が舞い上がる。


 そして。


 その背後で、さきほど断星が通りすぎた岩肌が、ゆっくりとずれた。


「……あら」


 まずいですわね。


 次の瞬間、山が鳴った。


 崩落ではない。

 もっと大きい。


 斬れていた。


 岩の層ごと、一筋。


 そこから上半分が少しだけ滑り、斜面の形が目に見えて変わっていく。

 採石道の脇は残った。

 だが地竜がいた横の張り出しは、半分ほど落ちた。


 土煙が晴れるまで、誰も動かなかった。


 ガルムが最初に息を吐いた。


「……地竜、討伐確認!」


 騎士団の声が続く。

 安堵。

 報告。

 負傷確認。

 だが同時に、全員の視線がちらちらと斜面の変わった位置へ向いていた。


 見なかったことにはできない変化だった。


 レオノーラは断星を一度振って血を払い、静かに納めた。


「お姉様!」


 クラウスが駆け寄ってくる。


「ご無事ですか」


「ええ」


「ですが」


「ですが?」


「少し本気を出しすぎたかもしれませんわね」


 少しどころではない気もした。

 だが、そのくらいの言い方しか今はしたくなかった。


 ガルムが近づいてくる。

 まず地竜を見る。

 次に斜面を見る。

 そしてレオノーラを見る。


「討伐、ありがとうございます」


「ええ」


「ですが、山が少し」


「少しですか」


 その返しは珍しく、ほんの少しだけ乾いていた。


「……かなり、ですね」


 レオノーラは素直に訂正した。


「採石道は?」


「ぎりぎり残っています」


「なら、最悪ではありませんわ」


「最悪ではありません」


 ガルムは頷いた。


「ですが、結構地形は変わりました」


 その事実は、誰にも否定できない。


 地竜の巨体は完全に沈黙していた。

 近づいて見れば、竜晶も残っている。

 骨も大きく崩れてはいない。

 鱗も取れる。


 レオノーラはそちらへ視線を移した。


「騎士団長」


「はい」


「解体を」


「承知しました」


「竜晶、竜骨、鱗は保存なさい」


「はい」


「それと、肉も無駄にしてはなりませんわ」


 ガルムがわずかに目を上げる。


「食用に、ですか」


「ええ」


「地竜の肉は処理を誤らなければ使えますもの」


「干し肉にもできますし」


「焼いて食べても美味いでしょう?」


 騎士団の何人かが、そこで少しだけ顔を上げた。


「ただし」


 レオノーラは続ける。


「血抜きと切り分けは丁寧に」


「臭みを残せば価値が落ちますわ」


「承知しました」


「竜晶、竜骨、鱗は保存」


「肉は領内へ回しなさい」


「わたくしが必要とする分以外は、領民に還元してくださいまし」


 ガルムは少しだけ目を細めた。


「……そこまで考えておられましたか」


「どうして?」


「普通は、竜を討てば素材の方へ目が向きます」


「ええ」


「ですが、食べられるものは食べた方がよろしいでしょう?」


「領民へ返る形が多い方が、討った意味も増しますもの」


「レオノーラ様は、何をお取りになりますか」


 ガルムが問う。


「わたくしは」


 レオノーラは地竜を見た。


 全部欲しいわけではない。

 だが、必要なものはある。


「竜晶の一部」


「ええ」


「竜骨も、断星と今後のために必要な分だけ」


「鱗も少量で結構ですわ」


「承知しました」


 ガルムは即答した。


「残りは、領内へ」


「ええ」


「あなたがそう仰るなら、その方が収まりも良い」


 騎士団の者たちが動き始める。

 討伐確認。

 崩落域の再確認。

 解体準備。

 負傷者搬送。


 その中で、誰もが一度はレオノーラを見る。

 今の一撃。

 地竜を仕留めた剣。

 そして少し変わってしまった山。


 それを見た者の視線だった。


「お姉様」


 クラウスが低く言う。


「何かしら」


「久しぶりに、本気でしたね」


「ええ」


 レオノーラは否定しなかった。


「かなり」


「どうでしたか」


 その問いに、レオノーラは少しだけ考えた。


「気持ちは静かでしたわ」


「ええ」


「ですが」


「ええ」


「山まで斬れるとは思っておりませんでした」


 クラウスは斜面の変わった線を見た。


「思っていなかった、で済ませるには少し大きいですね」


「その通りですわね」


 そこへ父ヴァルターからの伝令が届いた。

 状況報告を求める、短い文である。


 レオノーラは、少しだけ空を見上げた。


「……何と書けばよろしいかしら」


 クラウスが静かに答える。


「地竜討伐成功」


「ええ」


「負傷者増加なし」


「ええ」


「戦果確保」


「ええ」


「ただし」


「ええ」


「結構地形が変わりました、と」


 その言い方は少しだけ可笑しかった。

 だが、事実として最も近い。


「そうですわね」


 レオノーラは小さく笑った。


「それで参りましょう」


 解体が進む。


 竜晶が取り出される。

 硬い光を内に宿した核。

 竜骨は重く太い。

 鱗は思っていたより傷が少ない。


 そして肉もまた、丁寧に切り分けられていく。

 厚みがあり、色も悪くない。


 レオノーラはそれを見ながら、あらためて思う。


 地竜は討った。

 だが、これで終わりではない。


 山は変わった。

 戦果は残った。

 そしてその扱いもまた、自分たちで決めなければならない。


 討伐は一瞬。

 その後始末の方が長い。


 実に面倒ですわね。


 だが、その面倒を面倒のまま残さず、領内へ返していくのが、たぶん今の自分の役目なのだろう。


「騎士団長」


「はい」


「崩れた線も地図へ残しなさい」


「承知しました」


「採石道は、今後の通行制限を」


「すでに手配しています」


「結構ですわ」


 ガルムはその一言に、わずかに口元を動かした。


「本当に、公爵閣下が出された理由が分かります」


「それ、先ほども仰いましたわよ」


「ええ」


「ですが、今の方が重い意味でです」


 レオノーラはそれには答えなかった。


 ただ、少しだけ断星へ触れた。


 久しぶりに本気を出した。

 そして、剣はそれに応えた。

 応えすぎたとも言える。


 ならば次は、その出力との付き合い方を、また考え直さなければならない。


 夏はまだ始まったばかりなのに、本当に休む暇がございませんわね。


 そう思いながらも、レオノーラの目は、もう次に見るべきものを探していた。

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