第81話 地竜討伐ですけれど、崩れる山で一番面倒なのは竜より地形の方かもしれませんわね
全部は繋がっている。
ならばあとは、きちんと終わらせるだけだった。
山岳地帯へ近づくにつれ、馬車の揺れも変わる。
平地の道とは違う。
石を噛み、わずかな傾きがそのまま車輪へ伝わってくる。
地竜が暴れている。
その事実だけでも十分に厄介だが、今回の本当の面倒は、たぶん別にあった。
崩れる山だ。
「お姉様」
「何かしら」
「今回は、相手そのものより地形を先に見るおつもりですか」
向かいのクラウスが問う。
「ええ」
レオノーラは即答した。
「地竜そのものを斬ることは、たぶん可能ですわ」
「ええ」
「ですが、崩落が増えれば意味がない」
「ええ」
「討てても、周囲が崩れ、騎士団が巻き込まれ、採石道が潰れれば負けに近いですもの」
クラウスは静かに頷いた。
「つまり」
「ええ」
「今日は“どう斬るか”より、“どこで斬るか”」
「その通りですわ」
山腹手前の仮集結地へ着くと、すでに領地騎士団が動いていた。
伝令。
馬。
負傷者の応急処置。
地図を広げた指揮卓。
そして何より、空気が張っている。
公爵騎士団の一部も先行していたらしく、レオノーラの到着と同時に道が開いた。
彼らは視線を向け、だが余計な声は上げない。
その沈黙だけで十分だった。
「レオノーラ様」
歩み寄ってきたのは、公爵領騎士団長ガルム・ベッカーである。
鎧の上からでも分かるほど肩に土埃が積もっていた。
「騎士団長」
「お出ましいただき、感謝いたします」
「状況を」
ガルムはすぐ地図へ手を置いた。
「地竜は現在、この山腹の上下を不規則に移動しています」
「ええ」
「尾で岩を払い、前足で斜面を崩す」
「ええ」
「こちらが囲もうとすると上へ逃げ、追えば横へ抜ける」
「なるほど」
「加えて」
ガルムの指が狭い線をなぞる。
「この採石道脇の地盤が、すでに二度崩れています」
「負傷者は?」
「重傷二、軽傷七」
「死者は」
「今のところなし」
それは不幸中の幸いだった。
「地竜は山腹のどこを好んでおりますの?」
レオノーラが問う。
「岩の張り出しと、斜めに入れる小道の境目です」
「なぜです?」
「分かりません」
ガルムは素直に答えた。
「ただ、そこへ入るとこちらの人数優位が消えます」
つまり、相手は本能で地形を使っている。
厄介だが、珍しい話ではない。
「現場を見ますわ」
レオノーラが言うと、ガルムは即座に頷いた。
「ご案内します」
「クラウス」
「はい」
「あなたはここで地図を一度写しておきなさい」
「承知しました」
「なぜです?」
ガルムが問う。
「後で崩落線と動線を言葉だけで戻せるようにするためですわ」
「……なるほど」
その“なるほど”には、少しだけ重みがあった。
現場へ向かう。
風は乾いていた。
森とは違う。
葉の擦れではなく、砂と小石が斜面を擦る音がする。
数歩進んだだけで分かる。
これは嫌な地形だ。
「……思った以上ですわね」
「どう見ますか」
ガルムが問う。
「斬る場所を選ばねば、地竜より先に山が暴れます」
レオノーラはしゃがみ込み、崩れた石の流れを指で見た。
「これは新しい」
「ええ」
「こっちは半刻以上前」
「はい」
「斜面の表層だけが滑っている場所と、下の土ごと抜けている場所が混ざっていますわ」
ガルムの目がわずかに細くなる。
「そこまで見えますか」
「ええ」
「なぜです?」
「音が違いますもの」
「音?」
「上だけ滑ると軽い」
「ええ」
「下ごと抜けると、少し鈍い」
そこで、遠くから低い唸りが響いた。
地竜だ。
岩壁の向こう。
まだ姿は見えない。
だが確かにいる。
ガルムがわずかに声を落とす。
「近いです」
「ええ」
「見に行くのではなく、見える位置までで止めますわ」
「なぜです?」
「今、こちらが地形を覚えている最中に、相手の間合いへ入る意味はありませんもの」
さらに斜面を上がり、小さな岩陰へ入る。
そこからなら、張り出した岩の向こう側が少しだけ見えた。
いた。
地竜。
大きい。
だが飛竜ほどではない。
全身が低く、重量を前へかける形。
地を掴むための前足が太く、尾も太い。
何より、爪が岩へ深く食う。
これが斜面を荒らす。
「……なるほど」
レオノーラは小さく呟く。
「どうですか」
ガルムが問う。
「正面から押しては駄目ですわね」
「やはり」
「ええ。あの体で横へ逃げる時、必ず爪を使って地を剥がしますもの」
「ええ」
「追えば追うほど崩れます」
「では?」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
「上へ逃がさず、下へ落とさず、横へ抜ける線を一度だけ絞るべきですわ」
「できますか」
「騎士団が、今どこまで止められるかによります」
ガルムはすぐに答えた。
「三線取れます」
「どういう並び?」
「正面に一」
「ええ」
「下方に一」
「ええ」
「そして横へ抜ける出口を狭める一」
悪くない。
だがまだ少し広い。
「横の線は、広く取っては駄目ですわ」
「なぜです?」
「地竜に“抜け道がある”と思わせたまま、最後だけ締める必要がありますもの」
ガルムが数秒考え、頷く。
「誘導ですか」
「ええ」
「相手は山を使っている」
「なら、こちらも山で返します」
その時、再び地竜が吼えた。
今度は少し近い。
岩の一部が落ち、斜面を滑っていく。
レオノーラはその崩れ方を見た。
「……今ですわね」
「何がです」
「この地竜、上へ逃げるのではなく、“横へ抜ける時に山を崩す”癖があります」
「ええ」
「なら、その一度を待って線を切る」
「どこで?」
レオノーラは一箇所を指した。
斜面の途中。
岩の張り出しが薄くなり、踏み込みはできるが長くは留まれない場所。
「ここ」
「危険です」
「ええ」
「だからわたくしが入るのです」
ガルムが黙る。
反対したい。
だが最も適任が誰かも分かっている。
その沈黙だった。
「騎士団長」
「はい」
「わたくしが欲しいのは二つだけです」
「何でしょう」
「正面の圧を切らさないこと」
「ええ」
「それと、下へ落とさないこと」
「承知しました」
「横へ抜けようとした瞬間、わたくしが切ります」
「仕留めますか」
レオノーラは一拍置いた。
「斬れるなら」
「ええ」
「ですが、第一は崩落線の外で止めることですわ」
その言い方を聞いて、ガルムはわずかに表情を変えた。
ただ討てる者ではない。
地形ごと見ている。
その確信が深まった顔だった。
「……公爵閣下が出された理由が分かりました」
「そうかしら」
「ええ」
「では、皆へ」
「伝えます」
仮集結地へ戻ると、騎士団の空気が変わった。
命令の気配である。
正面一線。
下方一線。
横抜け誘導の一線。
退避路。
負傷者搬送路。
全部が短く置かれていく。
レオノーラはその間に、断星の背負い具を直し、肩の角度を確かめた。
今日は森ではない。
枝との喧嘩はない。
なら肩当ても入れる。
胸当ても使う。
岩と尾の打撃がある以上、それは必要だ。
「お姉様」
クラウスが戻ってきた。
「写し終えました」
「ええ」
「どうなさいます?」
「あなたは後方」
「はい」
「記録と伝令の中継を」
「承知しました」
「前へは出ませんの?」
「今回は出ません」
レオノーラは言い切った。
「なぜです?」
「今日は、“何を見てどう決めたか”を残す方が大事ですもの」
その返答に、クラウスは小さく頷いた。
「分かりました」
準備が整う。
地竜討伐。
いや、正確には地竜制圧からの討伐だ。
山をこれ以上崩さず、人を巻き込まず、逃げ道を絞って斬る。
面倒だ。
非常に面倒だ。
だが、やり方は見えた。
ガルムが最後に問う。
「レオノーラ様」
「何かしら」
「号は」
号。
つまり、動く合図だ。
レオノーラは地図を一度だけ見て、それから斜面を見上げた。
「“横へ走る”で」
「了解」
「分かりやすいですもの」
その簡潔さに、騎士団の何人かがわずかに息を整えた。
分かりやすい。
それがどれほど救いになるかを、彼らは知っている。
レオノーラは断星へ手をかける。
今の剣。
今の装い。
今の地形。
工房で整え。
森で削り。
家で言葉にし。
そして今、山で使う。
全部が少しずつ、ここへ繋がっている。
「では」
静かに言う。
「参りましょうか」
その声は大きくなかった。
だが、不思議なほどよく通った。
山の空気が、一段だけ張り詰める。
夏休みは、どうやら本当に穏やかには進まないらしい。
けれど少なくとも今は、それを嘆く暇はなかった。




