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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第80話 山で地竜が暴れているのですから、さすがに今回は実務服ではなく公爵騎士団の服を着て行けとお父様も仰いますわね

 今のわたくしに必要な力。

 まだ背負えない力。


 その二つを書き分けようとして、レオノーラがようやく一行目を置いた時だった。


 扉が、強めに叩かれた。


「お嬢様」


 家の者の声である。

 しかも、普段より明らかに速い。


「入りなさい」


 扉が開く。

 入ってきた従者の顔は、はっきりと緊迫していた。


「何かしら」


「領地騎士団より速報です」


 その一言で、部屋の空気が変わる。


「内容は?」


「公爵領山岳地帯にて、地竜が出現」


 レオノーラは椅子から立ち上がった。


「規模は?」


「まだ詳細は詰まっておりませんが、すでに複数の崩落と負傷者が出ているとのことです」


「場所は」


「北西山岳寄り、採石道の外れです」


 そこは人の往来がまったくない場所ではない。

 資材運搬と巡回、時に薬草採取も入る。

 放置できない。


「お父様は?」


「すでに執務室へ」


「分かりましたわ」


 レオノーラは即座に部屋を出た。

 廊下を曲がる頃には、頭の中は完全に切り替わっている。


 地竜。

 山岳地。

 崩落。

 騎士団が速報を上げるということは、現場判断だけでは押し切れないと見たのだ。


 執務室へ入ると、父ヴァルター、母エレオノーラ、クラウス、そして執事長が揃っていた。

 机上には簡易地図と、走り書きの報告書。


「来たか」


「ええ」


 父の声は低く、短い。

 完全に仕事の顔だった。


「状況は」


「地竜一体」


「ええ」


「山腹を荒らしている」


「ええ」


「騎士団はすでに一隊出しているが、押さえ込み優先で討伐までは踏み切っていない」


「どうして?」


「崩落が多い。深追いすると被害が増える」


 レオノーラは地図へ目を落とした。


 狭い。

 斜面がきつい。

 しかも逃げ場が少ない。

 集団で押し込むには向かない。


「……なるほど」


「分かるか」


「ええ」


「数で囲うより、通し方を見て斬る方が早いですわね」


 執務室が少しだけ静まる。


 誰も、そこを否定しなかった。


「お前に行ってもらう」


 父が言った。


 短い。

 だが、それで十分だった。


「ええ」


 レオノーラは即答した。


「ただし」


 父が続ける。


「今回は“領内限定の実務”では済まん」


「どういう意味かしら」


「騎士団と連携する」


「ええ」


「領地の武として出る」


「ええ」


「なら」


 父は一拍置き、はっきりと言った。


「公爵騎士団から贈られた服を着て行け」


 レオノーラは、そこでほんの少しだけ目を見開いた。


「……よろしいの?」


「やむ無しだ」


 父の返答は、重かった。


「地竜が山で暴れている」


「ええ」


「お前は竜を討伐している」


「ええ」


「しかも、この領内でそれに最も早く対応できる」


 そこに感情は少ない。

 あるのは家長としての判断だけだった。


「なら、半端な建前で誤魔化している場合ではない」


 母エレオノーラが静かに続ける。


「今回は、誰が見ても“アルトヴァイス公爵領の武が出た”と分かる形の方がいいわ」


「どうして?」


「騎士団が動いている場所へ、正体不明の強者が一人入る方が危険だからよ」


 それは確かにそうだった。


 工房や森とは違う。

 今回は完全な領内有事である。


「クラウス」


 父が言う。


「はい」


「装い一式の準備」


「承知しました」


「騎士団には?」


 執事長が問う。


「レオノーラが出ると伝えろ」


 父のその一言で、執務室の空気がさらに締まる。


「ただし」


 ヴァルターは続けた。


「“公爵令嬢が出る”ではない」


「ええ」


「“アルトヴァイスの武が出る”と伝えろ」


「承知いたしました」


 レオノーラは静かに父を見た。


「お父様」


「何だ」


「かなり、覚悟を決めましたわね」


「決めざるを得ん」


 父は苦く言った。


「領地騎士団が崩落の中で押さえ、領内の人間が傷つき、地竜がまだ動いている」


「ええ」


「その状況で、“まだ早い”とは言えん」


 その言葉は、重かった。

 だが、ひどくまっすぐだった。


「承知しましたわ」


 レオノーラもまた、まっすぐ答えた。


「討伐に出ます」


 自室へ戻ると、すでに家の者たちが支度に入っていた。

 公爵騎士団から贈られた服。

 正確には、領内限定の特務正装として整えられた一式。


 濃く深い色。

 威を示す線。

 だが、過剰な華美ではない。

 礼と実務の中間。

 断星を背負う前提で抜かれた背。

 肩と腰の線は、戦う者の形をきちんと受け止める。


「お嬢様」


 年長の侍女が静かに言う。


「失礼いたします」


「ええ」


 着替えが進む。


 布ではなく、役割をまとう感覚だった。

 野外実務服とも違う。

 騎士団服に見えない建前の服とも違う。


 これは、見た者へはっきりと示すための装いだ。

 誰が。

 何として。

 何のために出るのかを。


「……なるほど」


 レオノーラは鏡の中の自分を見て、小さく呟いた。


「何かしら」


 クラウスが背後から問う。


「これは、たしかに別ですわね」


「ええ」


「どう違います?」


「立っただけで、説明が要らなくなりますもの」


 クラウスは静かに頷いた。


「それが必要なのでしょう」


 胸当て。

 肩当て。

 小手。

 脛当て。

 長靴。

 そして最後に断星。


 背に負った瞬間、部屋の空気が変わる。


 鏡の中には、もう“完全武装した令嬢”はいなかった。


 母エレオノーラが入ってきて、その姿を見たまま数秒黙った。


「……お母様」


「何かしら」


「そんなにですの?」


「ええ」


 母はごく静かに言った。


「そんなに、よ」


「どう見えますの?」


 その問いに、母は少しだけ目を細める。


「公爵家の娘ではあるわ」


「ええ」


「けれど、それだけではない」


「ええ」


「誰が見ても、“この領地の武が前へ出る”と分かる姿よ」


 レオノーラは、その言葉を黙って受けた。


 嬉しいとも、重いとも、少し違う。

 ただ、そうあるべき形なのだと理解できた。


「レオノーラ」


 次に入ってきた父ヴァルターも、娘の姿を見てすぐには言葉を置かなかった。


「何かしら」


「似合うな」


 短い。

 だが、それだけで十分だった。


「ええ」


 レオノーラも頷く。


「かなり」


「ただし」


 父の声が低くなる。


「今回は見せるためではない」


「存じておりますわ」


「斬るためでも、それだけではない」


「ええ」


「崩落を増やさず、騎士団を生かし、人を守った上で討て」


 その命じ方は、もはや父親のそれだけではなかった。

 領主としての命令。

 そして、武を持つ者へ向けた信任でもあった。


「承知しました」


 レオノーラは答える。


「アルトヴァイスの名を汚さず、戻りますわ」


 出発前、中庭には領地騎士団の伝令が待っていた。

 若い騎士である。

 彼はレオノーラが姿を現した瞬間、はっきりと息を呑んだ。


「レオノーラ様……」


「何かしら」


「いえ、その」


「時間が惜しいですわ」


「はい!」


 その一言で、伝令の背筋が伸びた。


「現地隊は北西山腹の手前で抑えに入っております」


「ええ」


「地竜は斜面を上へ下へ動いており、時折尾で岩を崩します」


「ええ」


「正面からの押し込みは危険と判断」


「妥当ですわね」


 馬車へ乗り込む直前、父が最後に言った。


「レオノーラ」


「何かしら」


「領内なら許可する、と言ったな」


「ええ」


「今回は、その許可の延長ではない」


 レオノーラは父を見た。


「分かっていますわ」


「どう違うか、言ってみろ」


 試すような問いだった。

 レオノーラは即答する。


「今までは、わたくしがわたくしのために整える許可」


「ええ」


「今回は、領地のためにその装いを使う命」


 父は短く頷いた。


「よし」


 それだけで十分だった。


 馬車が出る。

 断星の重みは、今までと同じ。

 だが背負う意味が違う。


 工房で見た機能。

 森で見た静けさ。

 家で言葉にした整理。

 その全部が、ここへ繋がっていたのだと、ようやく分かる。


「お姉様」


 同乗したクラウスが静かに言う。


「何かしら」


「今は、かなり閣下感があります」


「その呼び方はやめてくださる?」


「ですが」


「何かしら」


「本当に、そう見えます」


 レオノーラは少しだけ視線を伏せた。


「……そう見える必要があるのでしょうね」


「ええ」


「今日は」


 山岳地帯が近づくにつれ、空気が変わる。

 土の匂い。

 石の乾いた気配。

 遠くで何かが崩れる、鈍い音。


 地竜は、確かにいる。


 レオノーラは静かに息を吸った。


「では」


 誰へともなく、小さく言う。


「サマーバケーションの続きと参りましょうか」


 その言葉は少しだけ不謹慎だったかもしれない。

 だが同時に、ひどく彼女らしかった。


 休暇。

 装備。

 断星。

 工房。

 森。

 そして今、討伐。


 全部は繋がっている。

 ならばあとは、きちんと終わらせるだけだった。

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