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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第79話 夏は始まったばかりですのに、工房で整え森で削った次は家の中で報告会なのが実にわたくしらしいですわね

 夏はまだ始まったばかりだった。

 それでも、少なくとも今の自分がどこに立っているかは、少しずつ見え始めていた。


 だからこそ、屋敷へ戻る馬車の中でレオノーラは、珍しく少しだけ落ち着いていた。


 断星。

 実務服。

 小手。

 肩当てはまだ森では早い。

 胸当ても今日は不要。

 工房で機能を見て、森で抜けを見た。


 それだけでも、十分な前進だった。


「お姉様」


「何かしら」


「今日は、帰宅後に報告が待っています」


 向かいのクラウスが静かに言う。


「存じておりますわ」


「嫌そうではありませんね」


「そこまででもありませんわ」


「どうして?」


「今日は、それなりに整理して持ち帰れるもの」


 レオノーラは窓の外を見ながら言う。


「ございましたもの」


 クラウスは小さく頷いた。


「なるほど」


「ただし」


「何でしょう」


「お父様とお母様が、どこまで“今日は欲張りませんでした”を信じてくださるかは分かりませんわね」


「それは」


 クラウスは少し考えた。


「半分くらいでしょうか」


「低いですわね」


「今までの実績がありますので」


 そこは否定しづらい。


 屋敷へ戻ると、案の定、応接間には父ヴァルターと母エレオノーラが揃っていた。


「帰ったか」


「ええ」


「戻りましたわ」


 レオノーラがそう答えると、母がまず視線を全体へ走らせる。


 服。

 断星。

 小手。

 肩や胸は軽いまま。

 靴の汚れ。

 裾の擦れ。


「……なるほど」


 母が静かに言う。


「何かしら」


「今日は本当に、“見に行っただけ”で帰ってきた顔をしているわね」


「失礼ですわね」


「いいえ、褒めているのよ」


 父も低く問う。


「どうだった」


「工房は良好でしたわ」


「ええ」


「断星と装備の噛み合わせを確認して」


「ええ」


「肩当ての逃がしを少し直しました」


「森は?」


「森では、肩当てはまだ不要と判断いたしました」


 その一言で、父と母の視線が少しだけ変わる。


「不要?」


「ええ」


「どうして?」


 母が問う。


「風が横から軽く入りましたでしょう」


「ええ」


「ですから、二歩目の枝との抜けが少し悪くなりますの」


「……ああ」


 クラウスが小さく頷く。


「工房では見えない方ですね」


「ええ」


「工房では機能としては悪くない」


「ですが森では、今の時点では少し騒がしい」


 父は腕を組んだ。


「つまり、持って行ったが使わなかった、と」


「ええ」


「必要な分だけ試しましたわ」


 そこへ母が、少しだけ笑いを含んだ目で言う。


「あなた、自分でそれを言えるようになったのね」


「何がかしら」


「全部ではなく、必要な分だけ、ということを」


 レオノーラは少しだけ黙った。


 それから静かに答える。


「……今までは、必要かどうかを試すために、少し多めに持ち出していた気はいたしますわね」


「ええ」


「ですが今日は」


「ええ」


「全部を一度で通すより、順番に削った方が良いと思えましたもの」


 その言葉に、父ヴァルターはほんの少しだけ目を細めた。


「学院の面倒も、無駄ではなかったか」


「たぶん」


 レオノーラは答える。


「共同体だけではなく」


「ええ」


「自分の装備との付き合い方にも、少し影響している気がいたしますわ」


「どういう意味だ」


「前なら、“全部持って行って、全部の可能性を見ておく”になっていたでしょう?」


「ええ」


「ですが今は、“今日は何を見るか”を先に絞った方が、結局多く見える気がするのです」


 応接間が少しだけ静まる。


 それは大げさな告白ではない。

 だがレオノーラにとっては、かなり大きい変化だった。


「……そう」


 母がやわらかく言う。


「それは、だいぶ前進ね」


「そうかしら」


「ええ」


 父も短く頷いた。


「少なくとも、休暇二日目で全部盛りにはならなかった」


「そこが基準なのは少し不本意ですわね」


「だが重要だ」


 そこでクラウスが、今日の森でのやり取りを簡潔に補足した。


 入口で風を見ること。

 小手だけ先に入れたこと。

 肩当ては森で枝と喧嘩すると分かったこと。

 シェルヴァンたちの反応。

 最後に“今日はここまでだ”と自分で決めたこと。


 聞き終えた父は、少しだけ長く息を吐いた。


「なるほどな」


「何かしら」


「領地内で許可した意味が、少しはあったということだ」


 それはレオノーラにとって、わりと嬉しい言葉だった。


「最初からそう仰ってくださればよろしいのに」


「最初から言うと、お前は調子に乗る」


「ひどいですわね」


「否定できるか?」


 少し考えてから、レオノーラは答えなかった。


 母が笑った。


「答えないのが答えね」


 しばらくして、話題は自然と次へ移った。


「では」


 父が言う。


「次は何だ」


「工房と森は、ひとまず一度回りましたでしょう?」


「ええ」


「次に何を動かす?」


 その問いに、レオノーラは少しだけ考えた。


 断星は今の剣。

 装備は少しずつ馴染み始めている。

 森からも、工房からも、まだ終わりとは言われていない。


「……第二案と第三案に対する、自分の考えを少し整理したいですわ」


「今すぐ作る、ではなく?」


「ええ」


「そこは、まだ違いますもの」


 父と母が、そこでわずかに目を合わせた。


 早すぎる前進ではない。

 だが確実に、その方向を見始めている。


「どう整理するの?」


 母が問う。


「今のわたくしに必要な力と」


「ええ」


「まだ背負えない力を分けるのです」


「ゴルドに言われたのね」


「ええ」


「かなり」


 父が低く言う。


「それは一人でやるのか」


「最初は」


「ええ」


「そのあと、必要なら工房で話しますわ」


「森では?」


「森はたぶん、“その時のお前がどの程度静かに入って来るか”を見る側でしょうね」


 母のその言い方に、レオノーラは少しだけ笑った。


「ええ」


「だいぶそうだと思いますわ」


 夕食後、自室へ戻る。


 断星を壁際へ置き、実務服を整え、革手袋を机へ置く。

 今日一日で、物の位置が少しだけ変わった気がした。


 工房で直し、森で削り、家で言葉にする。


 それだけで、物も考えも少しずつ自分の中へ入ってくる。


「……悪くありませんわね」


 小さく呟く。


 窓の外では、夏の夜気が静かに庭木を揺らしていた。


 まだ休暇は始まったばかり。

 森も、工房も、装備も、第二案も第三案も、全部がこれからだ。


 だが、全部を一度で取ろうとしなくてもいい。

 そのことが、ようやく少しだけ腑に落ちてきていた。


 机へ向かい、紙を引き寄せる。


 今のわたくしに必要な力。

 まだ背負えない力。


 まずはその二つを書き分けるところから始めようと、レオノーラは静かにペンを取った。

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