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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第78話 次は森ですけれど、笑われるかどうかより先に風と視線の抜け方を見られそうなのが実にあちららしいですわね

 少なくとも、休暇の初手は悪くなかった。

 静かではない。

 だが悪くない。


 そう思えた時点で、この夏の始まりとしては十分だった。


 翌朝。


 アルトヴァイス公爵家の中庭には、森へ向かうための馬車と荷が整えられていた。

 工房帰りの余韻はまだ少し残っている。

 断星の微調整。

 肩当ての逃がし。

 断星を抜く初動のわずかな硬さが消えた感覚。


 つまり今のレオノーラは、かなり機嫌が良かった。


「お姉様」


「何かしら」


「機嫌が良い時ほど、少し不安になります」


 荷の確認をしていたクラウスが、静かに言った。


「失礼ですわね」


「ですが、本当です」


「どうして?」


「機嫌が良い時のお姉様は、だいたい次の面倒を“面倒ではあるけれど悪くない”に分類し始めるので」


 それは、まあ、その通りだった。


「森ですもの」


 レオノーラは当然のように言う。


「断星を受け入れていただいた以上、顔を出すのは筋でしょう?」


「ええ」


「工房で見直した装備も、向こうでどう見えるか確認したいですし」


「ええ」


「ですから、かなり前向きですわ」


「それが不安なのです」


 出発前、父ヴァルターと母エレオノーラも見送りに出てきた。


「領地内を出るわけではないが」


 父が低く言う。


「ええ」


「森へ入る以上、勝手に深追いはするな」


「いたしませんわ」


「本当か」


「かなり」


「その“かなり”が怖いのよね」


 母が言った。


「それから、装備は?」


「必要な分だけ持って参りますわ」


「着て行くのではなく?」


「ええ」


「森の入口までは、今のままで十分ですもの」


 母はそこで少しだけ安堵した顔をした。


「それならよろしいわ」


 父は最後に断星へ目を向ける。


「剣は」


「ええ」


「今のお前には、だいぶ馴染んだな」


 その言い方に、レオノーラは少しだけ口元を緩めた。


「そう見える?」


「見える」


「かなり」


 父が続ける。


「だからこそ、慣れたと思った時ほど油断するな」


「承知しておりますわ」


 馬車が動き出す。


 夏の朝の光は、春よりも少しだけ強い。

 道の色も、木々の気配も、すでに休暇のものだ。


「お姉様」


「何かしら」


「今日は、どこまで装備なさるおつもりですか」


 向かいでクラウスが問う。


「森の入口で風を見ますわ」


「風」


「ええ」


「それから、地面と枝の抜け方」


「ええ」


「必要なら肩当てと小手だけ」


「全部ではなく?」


「最初から全部では、森に対して少し騒がしい気がいたしますもの」


 その言い方に、クラウスが小さく頷いた。


「なるほど」


「工房では、機能を見ましたでしょう?」


「ええ」


「森では、音と空気を見るべきですわ」


 その整理は、たしかにレオノーラらしかった。


 森の外縁へ着いた頃には、日もだいぶ高くなっていた。

 馬車を降りる。

 風が一つ、髪を揺らす。


 レオノーラは少しだけ目を細めた。


「……なるほど」


「何かしら」


 クラウスが問う。


「今日は、風が横から入りますわね」


「ええ」


「葉の鳴り方が軽い」


「ええ」


「ですから、布の遊びが多いと少し目立ちますわ」


 そこでレオノーラは、荷へ手を伸ばした。


「肩当ては保留」


「ええ」


「小手だけ先に」


「小手だけ?」


「今の風なら、それが一番静かですもの」


 クラウスはもう驚かなかった。

 森へ入る前に、見た目ではなく風で装備順を決める姉である。

 今さらである。


 小手を整え、断星を背負う。

 胸当ても肩当ても、まだ付けない。

 長靴はそのまま。

 実務服の濃紺は夏の緑の中で思ったより沈む。


「それで行きますの?」


「ええ」


「今はこれで十分ですわ」


 森へ一歩踏み込む。


 学院とは違う。

 工房とも違う。

 森は最初から、こちらが何を持っているかより、どう入ってくるかを見ている気がする。


 数歩進んだところで、木々の奥から声がした。


「来たな、レオノーラ」


 シェルヴァンだった。


 相変わらず静かな立ち方である。

 その隣には若い戦士が二人。

 少し離れて、以前も見た年長のエルフがいた。


「ええ」


 レオノーラは答える。


「参りましたわ」


「見れば分かる」


「そうでしょうね」


 シェルヴァンの視線が、断星へ落ちる。

 次に、服。

 小手。

 足元。

 そこまで見て、少しだけ口元が動いた。


「笑うのではありませんの?」


 レオノーラが問うと、シェルヴァンは短く返した。


「まだだ」


「まだ?」


「入口で騒がしくなかった」


 その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。


「では、第一段階は通過ですのね」


「勝手に段階を作るな」


「違いますの?」


「半分は」


 やはり森の返答は妙である。


 年長のエルフが静かに近づいてきた。

 その視線もまた、服そのものより、服を着たレオノーラの立ち方を見ている。


「前より静かだな」


「そうかしら」


「ええ」


「工房で、少し調整いたしましたもの」


「剣を?」


「剣も」


「ええ」


「装いも」


 その返しに、若い戦士の一人が少しだけ目を丸くした。


「服も調整するのか」


「必要なら、いたしますわ」


「人間は面倒だな」


「わたくしもそう思います」


 その返答に、シェルヴァンの横で誰かが小さく笑った。


「で」


 シェルヴァンが言う。


「今日は何を持ってきた」


 問われたのは、荷の方だった。


「肩当て」


「胸当て」


「脛当て」


「調整済みの小手」


「それから、記録帳ですわ」


「最後の一つだけ妙だな」


「どうして?」


「森へ来て、記録帳」


「大事でしょう?」


「否定はしない」


 そこでシェルヴァンは少しだけ目を細めた。


「着るつもりか」


「必要なら」


「今は?」


「まだですわ」


「どうして?」


「風が軽いからです」


 森の空気が、わずかに止まったような気がした。


「……ほう」


 それだけだった。

 だが、年長のエルフははっきりと頷いた。


「ちゃんと見ているな」


「ええ」


「今日は、肩が騒がしいと枝と喧嘩いたしますもの」


「その通りだ」


 どうやら悪くない答えだったらしい。


 森の中を少し歩く。

 以前より、断星の重さが身体へ馴染んでいる。

 小手も悪くない。

 音が散らない。

 足元も、長靴の収まりが想定通りだった。


「止まれ」


 シェルヴァンが言う。


 レオノーラは止まる。


「肩当てを付けろ」


「ここで?」


「今の風なら、ここで分かる」


 荷を下ろし、肩当てを整える。

 固定する。

 断星を背負い直す。

 一歩。二歩。


 その瞬間、レオノーラは少しだけ眉を寄せた。


「……ああ」


「何だ」


「右の枝に近いですわね」


「ええ」


「初動ではなく、二歩目で擦れそうです」


「その通りだ」


 シェルヴァンは即答した。


「では、今は外すべきですわね」


「そうだな」


「森では」


 年長のエルフが静かに言う。


「守ることより、擦れないことの方が先になる時がある」


「ええ」


「今なら分かりますわ」


 それは工房では得られない感覚だった。

 工房は機能を見る。

 森は抜けと静けさを見る。

 同じ装備でも、優先順位が変わる。


「面白いですわね」


 思わずそう口にすると、シェルヴァンが言う。


「今さらか」


「ええ」


「どうして?」


「お前は、剣そのものは昔から見ていた」


「ええ」


「だが、“剣と服と地形と空気を一つで見る”のはまだ慣れていない」


 その言葉は、少しだけ痛かった。

 だが、正しかった。


「……その通りですわね」


「なら、今日はそこを見ろ」


「ええ」


 昼に近づくころ、森の小さな開けた場所で一度休んだ。

 若い戦士たちも装備に興味津々らしく、遠慮なく見てくる。


「その小手は悪くないな」


「ええ」


「工房で少し直しましたもの」


「胸当ては使わないのか」


「今日は今のところ不要ですわ」


「即答だな」


「だって、今は枝と風の方が強いでしょう?」


 若い戦士は少し黙り、それから頷いた。


「……たしかに」


 クラウスが、そのやり取りを少し離れたところで見ていた。

 レオノーラが装備を誇らず、しかし必要として語っているのが分かる。


「お姉様」


「何かしら」


「今日は、笑われるより先に見られていますね」


「ええ」


「どうしてだと思う?」


「服ではなく、装備の使い分けを」


「そうですわね」


「たぶん、森はそこを先に測っておりますもの」


 帰り際、シェルヴァンが最後に言った。


「悪くなかった」


「何がかしら」


「服も」


「ええ」


「剣も」


「ええ」


「だが一番は、お前が“今日はここまでだ”と自分で決めていたことだ」


 その評価は少しだけ意外だった。


「欲張らなかった、ということ?」


「そうだ」


「休暇初手で、全部試そうとしなかった」


「ええ」


「それは前よりましだ」


 レオノーラは少しだけ目を瞬いた。


 休暇初手。

 全部試そうとしなかった。

 たしかに、それは今までの自分なら難しかったかもしれない。


「……学院の面倒も、少しは役に立ったのかしら」


 小さくそう呟くと、シェルヴァンは短く返した。


「知らん」


「ええ」


「だが、止まり方は前より良い」


 その言葉だけで、今日は十分だった。


 森を出て馬車へ戻る道すがら、クラウスが静かに言う。


「お姉様」


「何かしら」


「今日は少しだけ、前より静かでした」


「そうかしら」


「ええ」


「工房で見て、森で削って、今日はそこまでと決めた」


「ええ」


「かなり珍しいです」


「失礼ですわね」


「褒めています」


 馬車へ乗り込み、断星を静かに置く。


 休暇の二日目。

 工房の次に森。

 装備は全部ではなく、必要な分だけ。

 そして、全部を一度で完成させようとはしなかった。


 それは、たぶん小さいようでいて、かなり大きい違いだった。


「……悪くありませんわね」


 レオノーラが小さく言うと、クラウスが頷いた。


「ええ」


「かなり」


 夏はまだ始まったばかりだった。

 それでも、少なくとも今の自分がどこに立っているかは、少しずつ見え始めていた。

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