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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 翡翠


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第9話 放っておいてほしいのに、なぜか向こうから距離を詰めてまいりますの

 武芸棟を出たあとも、レオノーラの周囲だけ空気がおかしかった。


 人が多い。

 正確には、人が増えたわけではない。

 通りすがる者たちの足が、ほんのわずかに遅くなるのだ。視線も止まる。ひそひそ声も増える。


 つまり、見られている。


 大変遺憾である。


「お姉様」


「何かしら」


「今さらですが、少し猫をかぶられてはいかがでしょう」


「わたくし、普段から淑女ですわ」


「その認識のまま言うのですね」


 クラウスは淡々としていたが、目元にだけうっすら疲れが見える。

 たぶん今日一日で寿命が縮んでいるのだろう。少し申し訳ない。


 だがレオノーラとしても、好きでこうなっているわけではない。


 暴れ馬を見捨てるわけにはいかなかった。

 武芸棟の確認も断れなかった。

 皇太子との接触も避けきれなかった。


 全部、仕方のないことばかりだ。


 なのに結果だけ見ると、入学初日に学院の注目を全部持っていった公爵令嬢みたいになっている。

 心外にもほどがある。


「……不本意ですわ」


「ええ」


「もっとこう、静かに始めたかったのです」


「お気持ちは分かります」


「本当に?」


「ええ。ですが、実態が伴わないだけです」


 ひどい弟だった。


 だが、反論しようにも、ちょうどその時すれ違った新入生の令息二人が、こちらを見て小声で何か言い合い、そのうち一人が明らかに背筋を伸ばして礼をしたので、レオノーラは黙るしかなかった。


 礼を返す。

 完璧な公爵令嬢の微笑みで。

 背中には巨大剣つきで。


「……」


「説得力がありませんね、お姉様」


「分かっておりますわ」


 今はクラス分け掲示の前へ向かう途中だった。

 学院の正門から講堂、武芸棟と移動してきて、ようやく本来の新入生らしい流れへ戻るはずだったのだが、どうにも視線が多すぎる。


 前方の掲示板の周囲にも、すでにかなりの人だかりができていた。


「近づきたくありませんわね……」


「なぜです」


「静かな確認ができる気がいたしませんもの」


「そもそも静かな確認ができる段階は過ぎております」


 そこへ、掲示板の近くからセシリアがこちらに気づいて手を振った。

 その周囲には先ほどの令嬢たちもいる。


 レオノーラは一瞬だけ逃げたい気持ちになったが、そんなことをすれば余計に目立つので、諦めて歩み寄った。


「ごきげんよう」


「ごきげんよう、レオノーラ様」


 セシリアはかなり複雑な顔をしていた。

 興奮、困惑、尊敬、警戒、そのあたりが全部混じっている。


「その……お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「すごかったですわ」


「ありがとうございます」


「大丈夫でしたの?」


「ありがとうございます」


「会話が雑になっておりますわよ」


 セシリアにやんわり突っ込まれ、レオノーラははっとした。


 いけない。

 少し疲れていたらしい。


「失礼いたしましたわ」


「いえ、無理もありませんわ。あれだけ注目を集めれば……」


 セシリアの後ろにいた令嬢が、小声で言う。


「本当に、あの大剣を使いこなしておられたのね……」


「見事でしたわ……」 「でも怖かったですわ……」 「でも格好良かったですわ……」


 ひそひそ声が、ぎりぎり本人に聞こえるくらいの音量で飛んでくる。


 レオノーラは少し困った。

 どう返せばよいのか分からない。


 前世では、こういう“強さに対する反応”はあまり経験がなかった。せいぜい職場で「重いもの平気ですね」と言われるくらいである。

 今は規模が違いすぎた。


「……ありがとうございます?」


 少し疑問形になった。


 クラウスが横で小さく咳払いした。

 たぶん今のは正解ではなかった。


 だが、意外にもセシリアはふっと笑った。


「よろしいのではなくて? 褒め言葉として受け取って」


「そういうものかしら」


「ええ、そういうものですわ」


 その助け船はありがたかった。


 セシリアは本当に良い子かもしれない。

 これがもしゲームのヒロイン枠だった場合、むしろ困るタイプである。敵に回したくないし、なるべく穏便に距離を取りたいのに、好感を持ってしまう。


「レオノーラ様は一組でしたわ」


「一組?」


「ええ、クラス分けですの。ほら」


 掲示板を指さされ、レオノーラは人垣の隙間から名簿を確認した。


 一組。

 たしかに、自分の名前が最上段近くにある。


 そして、目線を少し横へずらした瞬間。


「……」


「お姉様?」


「……見なかったことにしたいですわ」


「何がありました」


 クラウスが覗き込み、すぐに表情を消した。


「なるほど」


 名簿の同じ列に、こう書かれていた。


 アルベルト・ユリウス・フォン・グランツェルト


 皇太子である。


 しかもその下には、たぶん側近と思しき赤髪と黒髪の令息の名前もある。

 嫌な予感が現実になった。


「……終わりましたわ」


「まだ初日です」


「いいえ、終わりました」


「終わっておりません」


 レオノーラは本気で頭を抱えたくなった。


 一組。

 最上位貴族・高位成績者・王族関係が集められる可能性は十分あった。理解はできる。

 だが理解できることと受け入れられることは別である。


 皇太子と同じクラス。

 これはあまりにも近い。


 婚約だの断罪だのというワードが脳裏をぐるぐる回る。

 前世知識が曖昧なせいで、どのイベントがどこで発生するのか正確には分からないのが、なおさら恐ろしい。


 セシリアが不思議そうに首を傾げた。


「どうなさいましたの?」


「いえ、その……少々、現実の厳しさを感じておりますの」


「? 一組ですものね。さすがですわ」


 違う。

 そこではない。


 だが説明できるわけもないので、レオノーラは曖昧に微笑んだ。


「光栄ですわ」


 その時だった。


「同じようだな」


 後ろから、聞き覚えのある声がした。


 反射で背筋が伸びる。


 振り向くと、そこにはアルベルト皇太子が立っていた。

 やはり側近二人つきである。


 周囲の空気が、また変わる。

 新入生たちがさりげなく距離を取る。令嬢たちも一斉に緊張した。


 レオノーラは心の中で泣きたくなったが、顔には出さない。


「ごきげんよう、殿下」


「ああ。君も一組だったか」


「はい」


「武芸棟での件は見事だった」


 やめてくださいまし。

 大勢の前で再確認しないでくださいまし。


 だが無視はできない。


「恐れ入ります」


 短く返す。

 それ以上広げない。

 ここ大事。


 すると横から、赤髪の令息がにこにこと割り込んできた。


「いやあ、あれは見事どころじゃなかったよ。君、本当に新入生?」


 またそれですのね。


 レオノーラは内心で思ったが、口には出さずに一礼した。


「お言葉ですが、本日入学いたしましたわ」


「はは、そうだろうね。分かってる。俺はアーネスト・ヴァンデル。よろしく」


 赤髪の令息――アーネストは人懐こい笑顔を見せた。

 軽薄そうに見えるが、目はよく回っている。観察眼があるタイプだ。


 続いて黒髪の令息も、最低限の礼を取った。


「リヒャルト・エーベルハルトです」


 こちらはかなり硬い。

 だが礼儀は正しい。


「レオノーラ・アルトヴァイスですわ」


 互いに名乗りが済む。


 終わってほしい。

 ここで終わってほしい。

 そう願ったレオノーラの心を踏みにじるように、アーネストが楽しそうに言った。


「同じクラスならちょうどいい。武芸の時間、ぜひ前の方で見せてくれよ」


 やめてくださいまし。


「まだ授業の内容も存じませんわ」


「でも使うんだろ、その剣」


「必要なら」


「必要になるに決まってる」


 決めないでくださいまし。


 レオノーラの笑顔がほんの少しだけ硬くなった。

 リヒャルトがそれに気づいたのか、アーネストへ低く言う。


「お前は少し黙れ」


「何でだよ」 「困っている」


「困ってないよな?」


 三人の視線が集まる。


 レオノーラは一瞬だけ迷った。

 ここで「困っております」と正直に言えば角が立つ。

 だが否定すると、今後も距離を詰めてこられそうだ。


 最適解。

 必要なのは、拒絶せず、期待もさせず、礼を失しない返答。


「……少々、気後れしておりますの」


 これならどうだ。


 すると意外にも、アルベルトが最初に反応した。


「それは意外だな」


「はい?」


「君はもっと、こう……物怖じしない性格かと思っていた」


 それは誤解ですわ、とレオノーラは本気で思った。


 たしかに剣を振る時は躊躇しない。

 だがそれとこれとは別だ。


「人前に立つのは、わたくしも得意ではありませんの」


「そうは見えなかった」


「本日、かなり頑張っておりますわ」


 少しだけ本音が混ざった。

 するとアーネストが吹き出し、リヒャルトまでわずかに目を細めた。


 なぜか空気が和む。


 レオノーラは少しだけ戸惑った。

 今の返答、そんなに面白かったかしら。


 アルベルトも、ごく薄く笑っていた。


「なるほど。では一組では、少し気を楽にするといい」


 それは無理ですわ。

 皇太子と同じクラスで、どうやって気を楽にしろと。


 だがもちろん言えない。


「努力いたしますわ」


「うん」


 短い会話のはずなのに、妙に疲れる。

 相手の立場のせいか、それとも“ゲームの主要人物かもしれない”という先入観のせいか。たぶん両方だろう。


 その時、掲示板の反対側からまた声が上がった。


「アルベルト殿下!」


 華やかな少女の声だった。


 周囲がさっと道を空ける。

 現れたのは、桃色がかった明るい金髪の少女だった。整った顔立ちに、愛らしい雰囲気。だが、その所作や服飾、連れの顔ぶれを見るに、かなり高位の令嬢だ。


 レオノーラの胸の奥で、何かがぴくりと動いた。


 誰かは分からない。

 けれど、“それっぽい”。


 ヒロインか。

 あるいはヒロイン級のポジションか。


 前世の記憶は相変わらず曖昧だ。

 だが、こういう時に限って直感だけは働く。


 少女はアルベルトの前で立ち止まると、はにかむように笑った。


「同じ一組でしたのね。わたくし、少し安心してしまいましたわ」


 親しげだ。


 いや、まだ距離感としては自然かもしれない。

 だがレオノーラには十分危険信号だった。


 関わりたくない。

 巻き込まれたくない。

 今すぐ少し離れたい。


 アルベルトが少女へ応じる。

 アーネストも軽く会話へ乗る。リヒャルトは控えめに見守っている。


 その間に、レオノーラは静かに後ろへ一歩下がった。


 さらに半歩。


 自然に。

 空気の一部になるように。


「お姉様」


 クラウスが小声で言う。


「何かしら」


「今の判断は正しいです」


「でしょう?」


「ですが、下がり方が野生動物です」


 ひどい言われようだった。


 だが、必要な回避行動である。

 これは危ない。直感がそう告げている。乙女ゲームの主要人物っぽい男女が揃った場に長くいても、ろくなことにならない。


 レオノーラはセシリアたちへ軽く会釈した。


「わたくし、少し先に教室を確認してまいりますわ」


「え? ええ、もちろん……?」


 セシリアは戸惑いながらも頷く。


 よし。

 今のうちに離脱。


 そう思ったその時だった。


「レオノーラ嬢」


 アルベルトの声が飛んだ。


 足が止まる。

 止まらざるを得ない。


 ゆっくり振り返ると、アルベルトがこちらを見ていた。

 隣の少女も、今気づいたというようにレオノーラへ視線を向ける。


「紹介しておこう。こちらはレティシア・フローレンス嬢だ。同じ一組になる」


 ――来ましたわね。


 レオノーラは心の中で遠い目をした。


 レティシア。

 その名前には聞き覚えがあった。

 はっきりとはしない。だが、乙女ゲームの記憶の底で、確かに引っかかる。


 少女――レティシア・フローレンスは、ぱちぱちと瞬きをしたあと、柔らかく微笑んだ。


「ごきげんよう、アルトヴァイス様。先ほどから、すごくお綺麗な方だと思っておりましたの」


 やめてくださいまし。

 そんなふうに真っ直ぐ来ないでくださいまし。


 レオノーラは内心で頭を抱えながら、表面上は完璧な礼を返した。


「ごきげんよう、フローレンス様」


 美少女が二人、優雅に挨拶を交わす。

 外から見れば、絵になる場面かもしれない。


 だがレオノーラの内心は穏やかどころではなかった。


 この少女。

 たぶん危険だ。

 悪い意味ではなく、シナリオ的に危険だ。


 関わればイベントが動く気がする。

 そして自分は、そのイベントからなるべく遠くにいたい。


 なのに、なぜこうも向こうから来るのか。


 レティシアはそんなレオノーラの警戒を知らぬげに、目を輝かせて言った。


「武芸棟でのお姿、少しだけ拝見してしまいましたの。とっても素敵でしたわ」


 終わりましたわね。


 レオノーラは確信した。


 これはもう、放っておいてもらえる流れではない。

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